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蒙古襲来のリアルはこんな感じでは?|20年越しの構想が形となった
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元寇をテーマにした、リアル感を求めたコメディ小説
元寇・蒙古襲来っていうのがあるじゃないですか。
日本史における有名なエピソードの一つです。
日本存亡の危機だったということで、緊迫した状況だったことを伝える話は多いのですが、実際のところはどうだったのか?
・・・という点にスポットを当てた作品です。
本作のきっかけは、約20年前に目にした逸話です。
「河野の後築地」
ウィキペディアにはこうあります。
弘安4年(1281年)の弘安の役では、通有率いる伊予の水軍衆は、博多の海岸に陣を敷く。博多の石築地(元寇防塁)のさらに海側にある砂浜に戦船を置いて、海上で元軍を迎え撃つべく陣を張り、石塁は陣の背後とした。この不退転の意気込みは「河野の後築地(うしろついじ)」と呼ばれ、島津氏をはじめとする九州諸将も通有に一目置いた。(Wikipedia「河野通有」)
この後築地という作戦、「称賛された」「一目置かれた」などと評価されていますが、どうやら「鎌倉幕府」サイドからは、積極的に褒められた形跡がありません。
ここから、私は「元寇」「蒙古襲来」における、「実際のところ」を妄想することになったのです。
率直に言えば、彼ら「日本軍」は、相当仲が悪かったのでは?ということ。
特に、九州西国武士と、鎌倉武士との間には深い溝があった可能性が高い。
だいたい、河野の後築地にしても、鎌倉幕府側からすれば、迷惑この上ない話です。
こんなことされたら、戦略・戦術・指揮系統に関わります。
それでも、河野通有はこれをやっているし、それを九州西国武士は褒めた。
そこに、当時の人間関係が透けて見える気がするのです。
で、こういうエピソードとそれに対する私の解釈をAIに読み込ませて、話を膨らませてもらったのが、今回ご紹介する小説『異国警固異状なし』です。
全三部作となっています。
■異国敬語異常なし
AIは私の「元寇」についての解釈をかなり補完してくれて、全体的によくまとまっていますが、特に私が話題提供した「河野の後築地」については、念入りに執筆してくれています。
私も笑い転げることができた作品ですので、皆さんもぜひ楽しんでください。
これも続編・シリーズにするつもりです。
次作は「十字軍遠征」をテーマにしています。これも現在楽しんでいますので、最後までまとまったら、またアップしたいと思います。
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