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第八章 夜が下がらない

2027年8月/農協事務所・本間家
本間弓/本間サキ

 8月5日の朝、庄内の空は白かった。

 本間弓(ほんま ゆみ)が農協の事務所に着いたのは8時前で、そのときすでに気温は30度を超えていた。駐車場のアスファルトから、油のような匂いが立っている。

 南風だった。

 庄内では、夏に南から風が入ると気温が跳ね上がる。山を越えてきた空気が、下りながら乾いて、温まる。フェーン現象という。日本でいちばん高い気温を出したことのある土地が山形県の内陸で、庄内も似た仕組みで暑くなる。

 この日、酒田の最高気温は38.4度になった。


 夏の弓は、検査をしない。

 検査は秋の仕事で、それ以外の季節は集荷の段取りや、生産者への通知の発送、資材の受注をしている。ただ、この時期になると、彼女は毎日ひとつだけ、余計なことをする。

 気象庁のサイトを開いて、前日の気温を控えることだ。

 最高気温ではない。最低気温を見る。

 弓が入組した年、当時の検査主任にこう言われた。

 「昼が暑いのは、そんなに怖くねぇ。怖いのは、夜が下がらねぇことだ」

 稲は、穂が出てからおよそ20日のあいだに、粒のなかにでんぷんを詰める。この期間に気温が高すぎると、詰め方が雑になる。詰まりきらなかった部分は空気を含んで、白く濁って見える。白未熟粒(しろみじゅくりゅう)という。

 昼に暑くても、夜に下がれば、稲は休める。下がらないと、休めない。

 出穂後20日間の平均気温が26度から27度を超えると、白未熟粒が急に増える。これは業界ではよく知られた目安で、弓の手帳にも書いてある。

 平均気温というのは、昼と夜を足して割ったものだ。

 だから、夜を見る。


 8月5日の最低気温は、27.1度だった。

 弓はノートに書き写して、その下に線を引いた。

 庄内のはえぬきは、だいたい8月の頭に穂が出る。今年は少し早くて、7月31日ごろから出はじめていた。

 つまり、出穂後20日というのは、8月20日ごろまでだ。

 その最初の1週間で、最低気温が27度を切らない日が4日続いた。


 昼休みに、営農指導員の若い男が事務所に戻ってきて、水筒の水を一気に飲んだ。

 「どうでした」と弓が訊いた。

 「暑いです。田んぼ、湯だってますよ」

 「湯だってる?」

 「掛け流ししてるとこも、ぬるいです。手ぇ入れたら風呂みたいで」

 弓は少し引っかかった。

 高温になったとき、田に水を掛け流して冷やす、という対策がある。用水は月山の雪解け水で、夏でも15度そこそこだから、それを流し続ければ田の水温が下がる。稲の根が休まる。

 その水が、ぬるい。

 「どこの田ですか」

 「下のほうです。立野目の、大きいとこ」

 弓は手帳に「立野目下流・水ぬるい」と書いた。書いたが、その意味を、このときはまだ分かっていなかった。


 夕方、実家に寄った。

 母のサキが台所でエアコンをつけっぱなしにして、そうめんを茹でていた。

 「暑いなあ、今年は」

 「うん」

 「こんげ暑いと、体さ悪いわ」

 弓は冷蔵庫から麦茶を出して、コップに注いだ。

 「お母さん」

 「なんだ」

 「今年、米、あんまりよくないかもしれない」

 母は火を止めて、振り返った。

 「なんで? 雨だって降ってるべ」

 「暑いから」

 「暑いと、よぐ実るんでねぇの」

 弓は言葉を探した。

 実る、というのは正しい。暑いと稲の成熟は早まる。早まるが、早まりすぎると中身が追いつかない。急いで詰めた粒は、粗い。

 それをどう説明すればいいのか、弓には分からなかった。

 「暑すぎるとね、粒が白くなるの」

 「白ぐなると、まずくなるのが?」

 「味は、そんなに変わらない」

 「んだば、いいべ」

 母はそうめんをざるに上げた。

 弓は麦茶を飲んだ。

 味は、そんなに変わらない。それはほんとうだった。白未熟粒が2割混じっていても、炊いて食べて分かる人はほとんどいない。柔らかくなる、と言う人はいるが、多くの消費者には区別がつかない。

 それでも、等級は落ちる。

 等級が落ちれば、値段が落ちる。

 食べる人が気づかない差で、作った人の収入が2割変わる。この仕組みを母に説明するのは、たぶん十分では足りない。


 8月は、そのまま終わった。

 弓は毎日、最低気温を書き写した。25度を切った日は、20日のうち3日しかなかった。

 8月20日の夜、彼女は電卓を出して、7月31日から8月19日までの平均気温を計算した。

 最高気温と最低気温を足して2で割り、それを20日分足して、20で割る。

 27.8度。

 弓はしばらく、その数字を見ていた。

 目安は26度から27度だった。それを、はっきり超えている。

 2010年に、これと似た夏があった。あの年、全国の一等米比率は63パーセントまで落ちた。新潟県のコシヒカリにいたっては17パーセントだった。山形県は76パーセントで、なかでもつや姫は98パーセントを保った。つや姫は高温に強い品種として育成されたもので、それがはっきり数字に出た年だった。

 はえぬきは、そうではない。

 庄内の主力で、業務用に強くて、コンビニのおにぎりに何十年も使われてきた品種だが、暑さには特別強くない。

 弓の実家の3ヘクタールも、はえぬきだった。

 立野目ファームは、150ヘクタールのうち120がはえぬきだ。


 窓を開けると、まだ生ぬるい空気が入ってきた。

 この時間になっても、外は28度あった。

 弓はノートを閉じて、机の引き出しにしまった。

 検査が始まるのは、あと1か月ほど先だ。それまで、彼女にできることは何もない。判子を押すのは、全部が終わったあとの仕事だった。

 あの四つの判子を思い出した。

 「1」は輪郭が丸くなっている。「2」は角が残っている。「3」と「規格外」は、朱肉が乾いている。

 去年、彼女はほとんど「1」しか押さなかった。

 今年は、たぶん違う。

 弓は電気を消して、実家を出た。空はまだ完全には暗くならず、西のほうだけが赤かった。田はどこも一面の緑で、穂が出そろって、風もないのに少し傾いて見えた。


第九章 白い粒

2027年9月14日 〜 9月下旬/立野目ファーム 圃場・事務所
佐久間稔/土田涼太

 9月14日、佐久間稔(さくま みのる)は圃場(ほじょう)の端で、籾(もみ)を親指の腹で潰していた。

 去年と同じ場所で、同じ動作をしている。

 違ったのは、出てきた粉の色だった。

 白い。

 去年も白かった。だが去年の白は、硬くて締まっていた。今年のは、指の腹で潰れすぎる。

 佐久間はもう一粒取って、爪で割った。断面の腹側が、乳のように濁っていた。


 刈り取りは3日前から始めていた。

 初日に刈った西の37番を、サンプルとして農協へ持ち込んである。予備的に見てもらう、というだけの話だ。結果は昨日、電話で来た。

 整粒は6割台。

 一等の条件は7割以上だから、届いていない。

 「白未熟が多いですね」と電話の相手は言った。「腹白と背白が。あと、乳白も」

 佐久間は礼を言って切った。切ってから、事務所の窓から外を見た。まだ140ヘクタール以上が刈られずに残っていた。


 「社長」

 土田涼太(つちだ りょうた)が、コンバインのタンクからサンプルを取ってきていた。掌に載せた玄米を、佐久間の前に差し出す。

 「これ、22番のです」

 佐久間は指で広げた。

 白い粒が、はっきり混じっている。ざっと見て、四分の一か、それ以上。

 「白いですよね」

 「ああ」

 「これ、味は落ちるんですか」

 「落ちない」

 土田が意外そうな顔をした。

 「炊いて食って、分かる人はほとんどいない」と佐久間は言った。「少し柔らかくなるくらいだ」

 「じゃあ、なんで」

 「等級は、見た目で決まるからだ」

 佐久間は掌の米を土田の手に戻した。

 「農産物検査ってのは、味を測る仕組みじゃない。粒の形と、色と、揃い具合を見る仕組みだ。均1な玄米が一定量そろっていることを保証する制度で、うまいかどうかは別の話になっている」

 「……変な話ですね」

 「変だが、理屈はある。何万トンも扱う商売で、1袋ずつ炊いて食うわけにいかない。見て分かる基準で揃えるしかない」


 9月の終わりまでに、およそのことは分かった。

 立野目ファームの150ヘクタールのうち、120ヘクタールがはえぬきだった。そのはえぬきが、軒並み落ちた。

 30ヘクタールのつや姫と雪若丸は、ほとんど落ちなかった。

 「品種の差です」と農協の担当は言った。「つや姫は、もともと高温に強く作られてますから」

 佐久間はそれを知っていた。知っていて、はえぬきを120ヘクタール作っていた。

 理由がある。はえぬきは業務用に強い。コンビニのおにぎりや弁当に長く使われてきた品種で、まとまった数量の契約が取りやすい。つや姫はブランド米で単価は高いが、作れる量に県の枠があり、栽培の基準も厳しい。

 180ヘクタールを回すには、まとまった数量が捌ける品種が要る。

 だから、はえぬきだった。

 規模を大きくすることと、業務用に寄ることは、同じ判断の裏表だった。そして業務用に寄るということは、暑さに弱い品種を大面積で持つということでもあった。

 誰かに騙されたわけではない。全部、自分で選んだ。


 もう一つ、数字が落ちた。

 反収である。

 去年は10アールあたり540キロあった。今年は505キロだった。

 高温で登熟が急いだ結果、粒が軽い。屑米(くずまい)に落ちる分も多い。

 150ヘクタールで計算すると、去年が810トン、今年が757トン。袋にして、2万7,000袋から2万5,250袋になる。

 1,750袋、減った。


 9月下旬、令和9年産の概算金が示された。

 はえぬき、8,900円。

 去年より500円、高い。

 事務所でその紙を見たとき、土田が「上がりましたね」と言った。

 「上がった」と佐久間は言った。「ただ、それは一等の値段だ」

 等級が一つ落ちると、玄米60キロあたり1,000円下がる。袋なら500円だ。

 佐久間は電卓を叩いた。

 一等が3割5分、二等が5割、三等が1割5分。おおよそ、そういう見込みだと農協から聞いている。

 一等は8,900円。

 二等は8,400円。

 三等は7,900円。

 加重して平均すると、8,500円になる。

 去年が8,400円だった。

 「100円上がりました」と土田が言った。

 佐久間は答えなかった。


 夜、事務所で計算をやり直した。

 2万5,250袋に8,500円を掛けると、2億1,463万円になる。

 去年は2万7,000袋に8,400円で、2億2,680万円だった。

 1,217万円、減っている。

 内訳を出してみた。

 等級が落ちたことによる減収が、約1,010万円。袋あたり400円の目減りが、2万5,000袋にかかる。

 反収が落ちたことによる減収が、約1,488万円。1,750袋ぶんが、まるごとない。

 合わせて2,500万円ほど減って、一等の値段が500円上がったぶんで1,200万円ほど戻して、差し引き1,217万円の減。

 佐久間は電卓を置いた。

 去年、彼は総会でこう説明した。売上が3割6分減っても、費用は7割が動かない。だから利益が消える、と。

 今年は、その7割がさらに増えていた。

 肥料が上がっている。燃料も上がっている。高温の年は乾燥に手間がかかる。籾の水分がばらつくので、乾燥機を丁寧に回さなければ胴割れが出る。時間がかかれば、燃料を食う。

 そして、地代の3,520万円は、去年と一円も変わらない。


 窓の外で、乾燥機が回っていた。

 去年建てたばかりの施設だ。静かだと業者は言った。実際、以前のものよりは静かだった。

 その音を聞きながら、佐久間は妙なことを考えた。

 この機械は、値段の安い米も、高い米も、同じだけ電気を食う。白い粒も、白くない粒も、同じ時間をかけて乾かす。二等の米を乾かすからといって、2割引きにはならない。

 施設の返済も、同じだ。

 1億4,400万円を10年で返す約束は、米が高かった年に結んだ。あのとき、2年続けて高値だった。3年目もそうだろうと、誰かがはっきり言ったわけではない。ただ、誰もそうでないとも言わなかった。

 佐久間は明かりを消して、外へ出た。

 9月の庄内は、夜になると急に涼しくなる。

 あれだけ暑かった8月が嘘のようだった。あと20日、この涼しさが早く来ていたら、粒は白くならなかった。

 田はもうほとんど刈られていて、刈り株の列が月に光っていた。

 去年、五十嵐源治は畦に立って、ええ米だ、と言った。

 今年、その台詞を聞いていない。


第十章 二十六度の水

2027年10月6日/最上川土地改良区事務所・立野目分水工
加賀谷忠

 10月6日、加賀谷忠(かがや ただし)は事務所の机に、夏じゅう書きためた紙を広げていた。

 水温の記録である。

 土地改良区の仕事として、夏のあいだ、週に二回ほど水路を回って水温を測る。ポンプの運転を判断するための基礎データで、ふだんは誰も見返さない。数字を控えて、綴じて、翌年また同じことをする。

 今年は、違った。

 7月の終わりから、加賀谷は測る回数を増やした。フェーンが続いて、営農指導員から「下のほうの田の水がぬるい」という話が入ってきたからだった。

 週二回を、毎日にした。測る場所も増やした。


 紙の上に、四つの数字が並んでいる。

 8月10日、午後2時の記録だ。

 北楯頭首工の取水口    15.8度

 立野目分水工       17.2度

 上流ブロックの水口    17.4度

 中流ブロックの水口    21.6度

 下流ブロックの水口    26.3度

 同じ水である。

 同じ日の、同じ時刻に、同じ水路を流れている水が、2.4キロのあいだに9度上がっている。


 理由は、難しくない。

 用水は月山の雪解け水だから、取水口では15度そこそこしかない。それが、水路を流れるあいだに日射で温まる。ここまでは誰でも分かる。

 温まるのは、水路のなかだけではなかった。

 水は、田を通る。

 上流の田に入って、1枚の田をゆっくり横切って、水尻(みじり)から出て、また水路に戻る。その次の田に入り、また出る。上の田の落とし水を、下の田が使う。反復利用という。

 ただし、立野目のどこでもそうなっているわけではない。

 圃場整備が済んだ区域では、用水路と排水路を分けるのが原則になっている。入れる水と出す水を別々の管路に通せば、水の管理がしやすく、水はけもよくなる。下流ブロックの42ヘクタールは、この用排分離の大区画だ。あそこの排水は、水路には戻らない。まっすぐ排水路へ行く。

 分離されていないのは、上流だった。

 上流ブロックの4戸は、圃場整備のときに大区画にできなかった区域で、水路も昔のままになっている。用水と排水が同じ溝を流れる、いわゆる用排兼用だ。中流の30アール区画は、その中間で、区間によって分かれていたり兼用だったりする。

 だから、立野目江を流れる水は、上の三分の一で田を出たり入ったりしながら下ってきて、下の三分の一では田に入るだけになる。

 浅い田に張られた水は、よく温まる。

 水尻から出る水は、水路の水より、通年でおよそ7度高い。夏のさかりならもっと開く。

 つまり、水を温めているのは上流の田であり、その温かい水をそのまま受け取るのが、いちばん下の大区画だった。


 この構造には、ふだん、大きな利点がある。

 庄内の水は冷たすぎるのだ。

 稲は、水温が13度を下回ると生育が止まる。13度から22度のあいだでも冷水温障害というものが出て、茎の数が減り、粒が入らなくなる。適温は23度から36度あたりとされている。

 つまり、15.8度の水をそのまま田に入れると、稲は寒がる。

 冷たい水を引く地域では、昔から、水を温めるための工夫をしてきた。水路を長く迂回させる温水路。日に当てて温める溜め池。ひとまわり浅い田を作って、そこを通してから本田に入れる温水田。

 立野目には、そういうものがない。

 要らないからだ。

 上流に田があるから、水が温まる。上の田が、下の田のための温水装置になっている。

 誰かが設計したわけではなかった。400年、そうやって水を回してきたら、そういう仕組みになっていた。


 加賀谷は、去年の同じ日の記録を出して、並べた。

 去年の8月10日、下流ブロックの水口は22.4度だった。

 今年は26.3度。

 4度近く上がっている。

 気温が高ければ水も温まる。それは当たり前だ。問題は、その水で稲を冷やせるかどうかだった。

 高温の年、農家は掛け流しをする。水を入れ続けて、田の水を入れ替えることで、稲の根まわりの温度を下げる。夜温が下がらない年に、これがいちばん確実な手だと言われている。

 冷やすためには、冷たい水が要る。

 源治の田には、17度の水が来る。掛け流せば、田の水は下がる。

 佐久間の田には、26度の水が来る。掛け流しても、下がらない。

 同じ水路の、同じ水である。位置が違うだけだ。


 加賀谷はしばらく、その表を見ていた。

 立野目ファームの被害が大きかったのは、はえぬきを120ヘクタール作っていたからだ、と農協は説明していた。品種の差だ、と。

 それは正しい。

 正しいが、全部ではない。

 佐久間の田は、末端水路の1番奥にある。この地区でいちばん整った大区画で、機械が入りやすく、収量も出る。だからこそ佐久間が集めた。

 その田に届く水は、400年ぶん温められた水だった。

 冬の冷え込む年や、梅雨寒の年には、それは恵みになる。上流の田を通って温まった水が、下流の稲を守る。

 暑い年には、逆になる。

 加賀谷は鉛筆で、表の余白に一行だけ書いた。

 ——上流の田は、下流の暖房であり、冷房ではない。

 書いてから、あまり上手い言い方ではないと思って、線で消した。消したが、意味は残った。


 午後、加賀谷は分水工まで行った。

 落水は済んでいる。水路は空で、底に落ち葉が溜まりはじめている。

 上流を見上げると、源治の田が見えた。刈り終わって、稲わらが筋になって干してある。

 源治のところは、今年もそれほど落ちなかったと聞いた。一町とすこしの、小さい田だ。水口が最初にあって、冷たい水が入る。区画が小さいから、水の入れ替えも早い。

 こういうとき、上流の小さい田がいちばん強い。

 加賀谷は、去年の秋に自分が書いて引き出しにしまった紙のことを思い出した。

 2.4キロを浚うのに必要な人数、八人。去年の秋の草刈りに来たのは七人。

 あの計算のとき、彼は人数のことしか考えていなかった。

 いま、別のことが引っかかっている。

 上流の田がなくなったら、どうなるか。

 源治のところが水を張らなくなれば、その一町ぶん、水は田を通らない。通らなければ、温まらない。冷たいまま下流へ行く。

 冷たい水は、平年なら困る。稲が育たない。

 しかし、今年のような夏なら。

 加賀谷は途中で考えるのをやめた。

 都合のいい話だ、と思った。上流がやめれば下流の水が冷えて助かる、などという計算は、成り立つはずがない。

 水を張らない田を通る水は、そもそも、そこを通らない。

 水路を流れる水の量は、途中で使う田が減れば、増えるのではなく、減る。取水量そのものが減るからだ。上流が要らないと言えば、その分は頭首工で取らない。取らなければ、下流にも来ない。

 温度の問題ではなかった。

 量の問題だった。


 事務所に戻って、加賀谷は水温の記録を綴じた。

 こういう数字を、誰かに見せるべきなのかどうか、少し迷った。

 見せたところで、どうなるものでもない。田の位置は動かせない。水路の順番も変えられない。佐久間に「あなたの田には温かい水しか来ません」と言って、何になるのか。

 結局、綴じて、棚に戻した。

 棚には、20年分の同じ綴りが並んでいる。いちばん左が、彼が入所した年のものだった。

 その年の夏、下流ブロックの水口は19度台だった。

 加賀谷は棚の扉を閉めた。

 明日は総代会に出す資料の続きをやる。来年度の賦課金は、まだ据え置きで出せる見込みだった。

 まだ、というのは、そういう意味の言葉だった。


第十一章 封筒の数

2027年10月12日/立野目江(秋の草刈り)
齋藤チカ(水利組合監事)/五十嵐源治/土田涼太/加賀谷忠

 10月12日の日曜、秋の草刈りだった。

 齋藤チカ(さいとう ちか)は7時前に家を出た。刈払機を軽トラの荷台に積んで、燃料の携行缶と、軍手と、麦茶を入れた水筒を助手席に置く。この段取りは、父の代から変わっていない。

 集合場所の分水工の脇に着くと、もう三人いた。

 しばらく待って、四人になった。

 7時半を過ぎて、五人。

 最後にもう一人が軽トラで来て、六人になった。


 「今年、少ねぇな」

 誰かが言った。誰も返事をしなかった。

 去年の秋は七人だった。その前が九人、その前が10人。

 チカは数えるのをやめた。数えても、増えるわけではない。

 「んだば、始めっぺ」

 五十嵐源治(いがらし げんじ)が言って、みんなが刈払機のエンジンをかけた。


 水路の草刈りというのは、水のなかの作業ではない。

 土手の草を刈る。放っておくと、秋のうちに伸びた草が冬に倒れて、根元に泥をためる。春に水を流したとき、そこが詰まる。詰まれば水が溢れて、土手が崩れる。

 だから、刈る。

 2.4キロの両岸だから、延べ4.8キロぶんの土手がある。傾斜がついていて、機械では危ない場所がある。そこは腰を落として、刈払機の刃を寝かせて刈る。

 六人で、朝から夕方までかかる。

 去年は七人で、4時前に終わった。今年は同じ範囲を、一人少なくやることになる。


 10時ごろ、立野目ファームの土田涼太(つちだ りょうた)が来た。

 「すみません、遅れました」

 「いいのよ」とチカは言った。「来てくれただけで」

 土田は去年より、刈払機の扱いが上手くなっていた。刃の角度が安定していて、切り口が揃っている。

 「上手くなったね」

 「源治さんに教わったんです」

 「そう」

 チカは自分の区間に戻った。

 戻りながら、去年の春に源治が言っていたことを思い出した。あの若い人、水番を覚えたいと言ってるんだ、と。

 覚えてどうするのか、とチカは思った。思ってから、そういう言い方はよくないと自分を止めた。


 昼、土手に座って弁当を食べた。

 源治が、いつもの大学ノートと、それから茶封筒の束を持ってきていた。

 「会計だ。あとで確認してけろ」

 源治は組合の会計をやっている。出役に出られなかった家が出不足金を払うので、その現金を預かって、記帳して、年度末に組合の口座に入れる。

 チカは組合の監事をしていた。持ち回りで、今年が彼女の番だった。

 封筒を数える。

 「1、2、3……」

 全部で五つあった。

 中身は一つ3,000円。合わせて15,000円になる。

 源治のノートには、その五つの名前と、金額と、日付が書いてある。字は鉛筆で、少し震えている。

 チカは合っています、と言って、封筒を返した。


 返してから、ふと気になって、去年の頁をめくった。

 去年の秋、出不足金は四つだった。

 その前の年は、三つ。

 封筒が増えていた。

 チカは前のほうの頁も見た。5年前は二つ。10年前は、一つの年もあれば、ゼロの年もある。

 人は減っている。封筒は増えている。

 当たり前だ、と思った。出ない人が増えれば封筒が増える。同じことを二つの数え方で見ているだけだ。

 それでも、チカはしばらくその二つの数字を見ていた。

 六人と、五つ。

 来た人が六人で、来なかった人が五人。

 11のうち、およそ半分になっている。


 「源治さん」

 「んだ」

 「これ、あとどのくらい」

 言いかけて、やめた。

 訊いてどうする、と思った。答えが分かっていて訊くのは、意地が悪い。

 源治はチカの言いかけた言葉を、たぶん最後まで聞き取っていた。おにぎりを包んでいたアルミホイルを丁寧にたたんで、それから言った。

 「江浚え(えざらえ)は、まだ大丈夫だ」

 「春は集まるものね」

 「んだ。来ねばみんな水入らねぇもの」

 源治は水路のほうを見た。

 「怖ぇのは、草刈りだ」

 「なんで?」

 「草刈りさぼっても、その年の米はできる」

 チカは、そのとおりだと思った。

 草を刈らなくても、今年の米はできる。困るのは来年で、来年の春に詰まったところを余計に浚うことになる。困るのは自分ではなく、来年の自分だ。

 人は、来年の自分には冷たい。


 午後、チカは自分の区間を刈りながら、この夏のことを考えていた。

 暑い夏だった。

 6月から8月まで、彼女は毎朝、6時半に長靴を履いて田を回った。役場に出て、帰ってきて、暗くなる前にもう一度回った。8月に入ってからは、夜にもう一度行った日がある。

 水を切らさないようにした。

 夜の気温が下がらないと聞いてから、掛け流しにした。冷たい水を入れ続ければ、稲の根まわりの温度が下がる。

 うちの水口は、中流の上のほうにある。入ってくる水は、20度をすこし超えるくらいだった。ぬるいが、田の水よりは冷たい。だから、流し続けた。

 結果、チカのつや姫はほとんど落ちなかった。はえぬきも、二等が少し出たが、思ったほどではなかった。

 周りに、あんたのとこはいいなあ、と言われた。

 いいわけではなかった。毎日、行ったからだ。

 毎日行けるのは、2.8ヘクタールだからだ。

 180ヘクタールを、毎朝毎晩、1枚ずつ見て回ることは、誰にもできない。人を雇えばできるかもしれないが、そのぶん人件費が出る。人件費は米が安くても出ていく。

 小さい田が高温に強いのではない。

 小さい田は、手が届く。それだけのことだった。


 4時半に、その日の作業が終わった。

 終わったといっても、下流の400メートルほどが残った。六人では届かなかった。

 「残り、どうする」

 「来週やっぺ」

 「来週、俺いねぇ」

 「んだが」

 結局、来週来られると言ったのは、源治とチカと、あと二人だった。

 土田が手を挙げた。

 「僕、来ます」

 「兄ちゃん、日曜だべ」

 「はい」

 「休みでねぇのが」

 「休みです」

 源治は少し黙って、それから、そうが、と言った。


 帰り道、チカは水路沿いをゆっくり走った。

 刈った側の土手は、きれいに丸坊主になっている。刈っていない下流の400メートルは、枯れかけた草が腰の高さまで伸びていた。

 境目が、はっきり見える。

 その先が、立野目ファームの大区画だった。

 チカは軽トラを停めて、しばらく見ていた。

 境目の向こう側の土手は、去年も、その前も、たしか誰かが刈っていた。誰が刈ったのか、思い出せない。

 思い出せないということは、たぶん、誰かがついでに刈ってくれていたのだろう。

 その誰かが、今年は来なかった。


第十二章 二の判子

2027年10月下旬/農産物検査場
本間弓/土田涼太/本間サキ

 10月下旬、検査場は忙しかった。

 去年よりも忙しい。理由は簡単で、判定に時間がかかるからだった。

 整粒が7割を超えているかどうか、ひと目で分かる荷は、早い。ガラス板に広げて、数えるまでもない。今年はそういう荷が来ない。6割5分か、7割かというあたりの荷が続く。そうなると、一粒ずつ分けることになる。

 本間弓(ほんま ゆみ)は、朝から同じ姿勢でピンセットを動かしていた。


 白未熟粒には、いくつか種類がある。

 腹白(はらじろ)は、粒の腹の側が白く濁ったもの。

 背白(せじろ)は、背の側が白いもの。

 基部未熟(きぶみじゅく)は、根に近いほうの端が白いもの。

 乳白(にゅうはく)は、粒の中心が濁って、全体が白っぽく見えるもの。

 今年は背白が多かった。出穂したあとの、夜の気温が下がらなかった年に出やすいと言われている。

 これらは、整粒には数えない。

 数えなければ、整粒歩合が下がる。下がれば、等級が落ちる。


 午前中に、弓は「2」の判子を14回押した。

 「1」は三回だった。

 この比率が、今年のすべてを表していた。

 判子を押すとき、去年は少し息を止める癖があった。今年はそれがなくなっている。20回も30回も押していると、身体がいちいち反応しなくなる。

 昼前に、弓は自分がそうなっていることに気づいて、少し嫌な気持ちになった。


 午後、立野目ファームの荷が入ってきた。

 運んできたのは、去年と同じ若い社員だった。

 「お願いします」

 「はい」

 サンプラーを刺して、玄米を掌に受ける。

 広げるまでもなかった。白い。

 それでも、弓はきちんと手順を踏んだ。水分計にかけて、ガラス板に広げて、ピンセットで分けた。

 整粒、6割3分。

 二等だった。

 「二等です」

 土田は頷いた。頷いてから、訊いた。

 「あの、これって、うちの田の作り方が悪かったんですか」

 弓は手を止めた。

 「いえ」

 「でも、二等なんですよね」

 「今年は、庄内じゅうそうです」

 弓は伝票を書きながら言った。

 「うちの検査場で、いまのところ一等が3割5分くらいです。去年は9割5分ありました」

 「3割5分」

 「はい」

 「じゃあ、6割5分が二等以下ってことですか」

 「二等が5割、三等が1割5分くらいの見込みです」

 土田はそれを口のなかで繰り返していた。


 「作り方じゃないです」と弓はもう一度言った。

 言いながら、なぜ自分がこの若い社員にこんなに丁寧に説明しているのか、少し不思議だった。

 「暑かったんです。出穂してから20日の平均気温が、27.8度でした」

 「それって、高いんですか」

 「26度から27度を超えると、白未熟が急に増えます」

 土田は手帳を出して、書いた。

 「はえぬきは、暑さにあまり強くないんです。つや姫は強い。2010年の猛暑のとき、全国の一等米比率が63パーセントまで落ちて、新潟のコシヒカリなんて17パーセントでした。そのとき、山形のつや姫は98パーセントでした」

 「うち、つや姫は落ちてないです」

 「そうだと思います」

 弓は判子を取った。

 「2」を朱肉に押しつけて、伝票に落とす。

 こつん、という音。

 去年と同じ音だった。


 夕方、荷が途切れたところで、弓は作業台を片づけた。

 四つの判子を、いつもの順に並べ直す。

 「1」「2」「3」「規格外」。

 少し、変わっていた。

 「2」の角が、丸くなりはじめている。去年は角が残っていた。この1か月で、何百回押したか分からない。

 そして「3」の朱肉が、湿っていた。

 弓は指で触れて、確かめた。乾いていない。今日も何度か使ったからだ。

 去年、この二つは触りもしなかった。


 帰り際、事務所で数字を集計した。

 この検査場で扱った令和9年産の玄米は、まだ全部ではないが、傾向ははっきりしている。

 一等、35パーセント。

 二等、50パーセント。

 三等、15パーセント。

 弓は電卓を出して、立野目ファームの分を計算してみた。

 2万5,250袋。

 全部が一等だったなら、8,900円で2億2,473万円になる。

 実際には、一等が8,900円、二等が8,400円、三等が7,900円。この比率で加重すると、平均8,500円。合わせて2億1,463万円。

 差は、1,010万円だった。

 弓は電卓の数字を消した。

 消してから、もう一度打ち直して、同じ数字が出るのを確かめた。

 この1,010万円は、彼女が判子を押したことによって決まった額ではない。彼女が押さなくても、粒は白いままだ。制度がそう決めているだけで、誰の責任でもない。

 それは分かっている。

 分かっているが、押したのは自分の手だった。


 実家の3ヘクタールも、二等だった。

 母から電話が来て、そう言われた。

 「弓ちゃん、うちの、二等だってな」

 「うん」

 「佐久間さんが、悪ぃなあって言ってきた」

 「なんで佐久間さんが謝るの」

 「作ってんの、あの人だべ」

 弓は少し黙った。

 地代は、10アールあたり22,000円で据え置きになっている。3ヘクタールで66万円。それは等級とは関係なく入ってくる。米が一等でも二等でも、田を貸している側の収入は変わらない。

 変わるのは、借りている側だけだ。

 「お母さん」

 「んだ」

 「地代は、今年も入るよ」

 「そうだべ。ちゃんと入った」

 「うん」

 「佐久間さん、大変だなあ」

 母はそう言って、電話を切った。


 外に出ると、10月の夕方の風が冷たかった。

 あれだけ暑かったのに、この時期になると、庄内はもう秋の風になる。

 弓は駐車場で立ち止まって、鳥海山のほうを見た。去年もここで同じことをした。

 去年、彼女は思った。庄内の米は、この10年でいちばんいいかもしれない。それが、いちばん安い年に穫れた、と。

 今年は、米が落ちた。

 落ちて、値段は袋あたり500円上がった。

 上がった500円は、等級が一つ落ちた500円で消えた。

 どういう年だったのか、うまく言葉にできなかった。

 ただ、判子の「2」の角が丸くなり、「3」の朱肉が湿ったことだけは、はっきりしていた。


第十三章 百四グラム

2027年11月17日/東京・五反田/株式会社フーズネクスト本社
鵜飼千夏(同社 商品開発部・34歳)

 11月17日、東京。

 株式会社フーズネクストの本社は、五反田の駅から歩いて7分のオフィスビルの、七階から九階に入っている。中食(なかしょく)チェーンで、直営とフランチャイズを合わせて全国に1,200店あった。弁当、惣菜、おにぎり。店内で調理はせず、各地の協力工場から1日3便で運ぶ。

 商品開発部の鵜飼千夏(うかい ちなつ)は、34歳になる。

 朝から会議室にいた。


 議題は、来春の定番おにぎりのリニューアルだった。

 テーブルの上に、7種類のおにぎりが並んでいる。ラップを外し、断面が見えるように半分に切ってある。

 鵜飼はスプレッドシートを開いた。

 「まず、去年の食べ残しの調査結果からいきます」

 プロジェクターに棒グラフが出た。

 「弊社の店頭で購入されたおにぎりについて、購入者アンケートと、協力世帯の実測を合わせています。全体の8.4パーセントが食べ切られていません」

 部屋の何人かが、へえ、と言った。

 「特に、2個以上まとめて買った場合の残存率が高い。2個買った人の18パーセントが、2個目を半分以上残しています」

 「多いな」と部長が言った。

 「多いです。それと、これは属性別なんですが」

 鵜飼はスライドを送った。

 「女性の20代から40代で、『1個が大きすぎる』という回答が43パーセントあります。男性の同世代では11パーセントです」


 鵜飼が提案したのは、単純なことだった。

 主力の定番おにぎり5品について、1個あたりの飯の量を、110グラムから104グラムに変える。

 「6グラムです」と彼女は言った。「見た目では、ほとんど分かりません」

 「小さくしたって、クレーム来ないか」と部長が言った。

 「来ると思います。ただ、価格は据え置きます」

 「据え置き?」

 「はい。値上げをしないための量目調整、という説明はしません。食べ残しを減らすため、と言います

 部屋が少し静かになった。

 「それは、嘘か」と部長が言った。

 「嘘ではないです」と鵜飼は答えた。「実際、8.4パーセントが捨てられています。6グラム減らせば、その一部は捨てられずに済みます。フードロス削減の文脈で説明できます」

 「原価は」

 「原価も下がります。ただ、それは目的ではなく結果です」

 鵜飼はそう言った。言いながら、自分がいまうまいことを言った、と思った。それから、うまいことを言おうとした自分に、少しだけ嫌気がさした。

 嫌気がさしたが、提案は正しいと思っていた。捨てられる飯を減らすことに、反対する理由がない。


 承認は、その日のうちに下りた。

 3月の切り替えに向けて、工場の設定値を変える。おにぎりを成型する機械には、1個あたりの計量値が入力されている。110を104にする。それだけの作業だった。

 全国の協力工場、11か所。

 鵜飼はその日の夕方、生産管理の担当と一緒に、必要な数量の見直しをした。

 定番5品の年間販売数は、およそ1億2,000万個。

 1個あたり6グラムを減らすと、

 6グラム × 1億2,000万個 = 720トン。

 精米で720トン。玄米に直すと、およそ800トンになる。

 「800トン減りますね」と生産管理の担当が言った。

 「そうですね」

 「調達に連絡しておきます」

 鵜飼は頷いた。


 調達部からの返信は、翌日に来た。

 現在の主力銘柄は、山形県産はえぬきを中心に、複数県のブレンドで組んでいる。年間の契約数量を減らす方向で、産地と調整する、という内容だった。

 鵜飼はその返信を読んで、了解しました、とだけ返した。

 「山形県産はえぬき」というのは、彼女にとって、調達仕様書に書かれた文字列だった。粒が締まっていて、冷めても硬くなりにくく、握ったときに崩れない。だからおにぎりに向いている。20年以上、この業界で使われてきた。

 その米がどこで作られているのか、鵜飼は知らない。山形県のどのあたりなのかも知らない。

 知る必要が、業務上、一度もなかった。


 その夜、鵜飼は残業して、リニューアルの企画書を仕上げた。

 最後の頁に、こう書いた。

 ——フードロス削減の観点から、1個あたりの内容量を見直します。

 嘘ではない。

 嘘ではないが、この一行が全国1,200店で実行されると、玄米で800トンの米が要らなくなる。

 800トンという量が、どのくらいなのか、鵜飼には見当がつかなかった。

 トラック何台ぶんだろう、と一瞬考えて、それきり考えるのをやめた。数字が大きすぎると、感覚が働かない。

 彼女は企画書を保存して、パソコンを閉じた。


 同じころ、庄内では雪が降りはじめていた。

 立野目ファームの令和9年産の主食用米は、玄米で757トンだった。

 150ヘクタールを、20人足らずで1年かけて作った量である。

 誰も、この二つの数字を並べて見ていない。

 並べる仕組みが、どこにもなかった。


間章二 棚

2028年1月/酒田の米卸・量販店の売り場
土田涼太

 1月の酒田は、風が強い。

 土田涼太(つちだ りょうた)は、卸の事務所を出たところでコートの襟を立てた。日本海から来る風が、駅前の通りをまっすぐ抜けていく。

 午前中、2時間ほど話を聞いてきた。庄内の米を扱っている中堅の卸で、担当は50がらみの男だった。

 佐久間から言われていた用件は一つだった。うちの米を、直接買ってもらえないか。

 答えは、やんわりとした断りだった。


 卸の仕事を、土田はこの日はじめて理解した。

 農協が集めた玄米を買い取って、精米して、小売や外食に納める。それだけの商売に見えて、実際には三つのことをしている。

 一つめは、量を揃えること。

 スーパーが1年間、毎週同じ棚に同じ商品を並べるには、1年ぶんの米を確保していなければならない。一つの産地、一つの生産者から買っていたら、その年の作柄で数量が変わってしまう。だから複数の産地から、複数の等級を混ぜて、量と質を平らにする。

 二つめは、品質を揃えること。

 同じ「はえぬき」でも、田によって、年によって違う。それを精米の加減と配合で調整して、1年を通じて同じ炊き上がりにする。

 三つめは、支払いを立て替えること。

 小売の代金が入るのは、納めたあとの1か月後や2か月後だ。そのあいだの資金を卸が持っている。

 「だからね」と担当は言った。「180ヘクタールって、大きいように聞こえるけど、うちの1年の扱いからしたら、2週間分くらいなんですよ」

 土田は返す言葉がなかった。

 立野目ファームは庄内でも指折りの規模だ。視察が来る。県の資料に名前が載る。

 その全部が、卸の帳簿では2週間だった。


 帰り道、土田はスーパーに寄った。

 用があったわけではない。米の売り場を見たことがなかった、と歩きながら気づいたからだった。

 3年、米を作る会社にいる。刈って、乾かして、運んで、伝票を書いてきた。その米が最後にどこへ行くのかを、彼は見ていなかった。

 売り場は、入口から入って左の奥にあった。

 棚は2段。

 いちばん目立つところに、山形県産はえぬき、5キロ、2,980円。

 その隣に、つや姫の5キロが3,580円。

 下の段に、複数原料米と書かれた袋が、5キロ2,480円。

 そして棚のいちばん端に、見たことのない袋があった。

 白地に青い帯で、「カリフォルニア産 うるち精米」と書いてある。5キロ、2,180円。


 土田はその袋の前に、しばらく立っていた。

 袋の裏を見た。産地、アメリカ合衆国カリフォルニア州。品種名は書いていない。輸入者の名前と、精米した会社の名前がある。

 輸入米が国内で主食用に売られるのは、珍しいことではない。国が毎年、義務として一定量を輸入していて、そのうちの一部が主食用として流通する仕組みがある。ただ、以前はほとんどが外食や加工向けで、家庭用の棚に並ぶことは少なかった。

 この4年ほどで、変わったらしい。

 2024年に国産米が足りなくなって、値段が跳ね上がったとき、輸入米の商流が一気に太くなった。関税を払ってでも入れる業者が出た。あのとき築かれた道が、値段が下がっても消えなかった。

 「これ、どうなんだべね」

 声がして、土田は振り返った。

 70くらいの女性が二人、同じ棚の前にいた。

 「食べだこどある?」

 「ないない。んだけど、安いべ」

 「800円違うもんな」

 一人が袋を持ち上げて、裏を読んで、また戻した。

 「んだども、やっぱり国産だべな」

 「まあな」

 二人は、はえぬきの5キロを買い物かごに入れて、行った。


 土田は、そのやりとりを聞きながら、別のことに引っかかっていた。

 「安いべ」と言われた800円が、生産者の側では、いくらに当たるのか。

 5キロの精米は、玄米にすると5.5キロくらいになる。玄米60キロあたりで考えると、5キロは11分の1だ。

 800円の差は、玄米60キロあたりにすると、8,800円になる。

 いま、農家が受け取っている概算金は、60キロで17,800円。

 棚の上の800円は、田んぼの側では8,800円だった。


 しばらくして、別の客が来た。

 30くらいの女性が、ベビーカーを押していた。はえぬきの5キロを手に取って、値札を見て、戻した。それから複数原料米の2,180円を取って、かごに入れた。

 スマートフォンを見ながら、連れの女性に言った。

 「米、まだ高いよね」

 「高いね」

 「前、2,000円しなかったよ」

 「したっけ?」

 「してたよ、絶対」

 二人は行ってしまった。


 土田は、その場から動けなかった。

 2,000円しなかった、というのは、たぶん正しい。何年か前は、5キロで1,800円台の袋がふつうにあった。

 いま、はえぬきが2,980円。

 その2,980円を出すために、農家は袋あたり8,900円の概算金を受け取っている。等級が落ちたぶんを差し引くと、平均で8,500円。60キロあたり1万7,000円。

 庄内で米を作るのにかかる費用は、統計だと、大きい経営で60キロあたり1万2,000円ほど、小さい経営なら1万7,000円を超える。

 ただし、2月の総会で社長が言った数字は、1万9,000円だった。180ヘクタールあるのに、統計のどの区分よりも高い。

 作っている側は、コストを割っている。

 買っている側は、高いと感じている。

 どちらも嘘をついていない。

 2,000円しなかった、という記憶が正しいのと同じように、コストを割っている、という計算も正しい。

 土田は、その二つがどこですれ違っているのかを考えた。

 考えて、答えが出なかった。


 結局、土田はカリフォルニア産の袋を一つ買った。

 2,180円。自分の財布から出した。

 寮に帰って、その夜、炊いた。

 炊き上がりは、少し粘りが弱かった。粒が長めで、口のなかでほぐれる感じがある。

 まずくはなかった。

 むしろ、カレーには合うかもしれないと思った。

 土田は茶碗を持ったまま、しばらく食べていた。

 これで困る、と思うほど困らなかった。それが、いちばん困ることだと気づくのに、少し時間がかかった。

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