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第三部 水を張らない田
第十四章 五年の平均
2028年3月 〜 4月/鶴岡・税理士事務所/立野目ファーム
佐久間稔/西村(税理士)/土田涼太
3月10日、佐久間稔(さくま みのる)は税理士の事務所にいた。
鶴岡の、古い雑居ビルの三階。担当は西村(にしむら)という60過ぎの男で、佐久間が法人にしたときからの付き合いになる。
机の上に、令和9年産の決算がまとまっていた。
売上高 2億5,360万円。
費用計 2億9,420万円。
営業損益 ▲4,060万円。
去年が2,390万円の赤字だったから、赤字幅が広がっている。
「収入保険、いけますね」と西村が言った。
佐久間は顔を上げた。
「いけるのか」
「いけます。計算しましょう」
西村は電卓を引き寄せた。
収入保険というのは、農業の収入が減ったときに補填を受ける制度だ。青色申告をしていることが条件で、掛金と積立金を毎年払っておく。
仕組みの中心にあるのが、基準収入という数字だった。
「過去5年の平均収入を出します。佐久間さんのところは、こうです」
西村は紙に並べて書いた。
令和4年産 1億9,600万円
令和5年産 2億2,300万円
令和6年産 3億5,100万円
令和7年産 4億1,900万円
令和8年産 2億6,780万円
「合計が14億5,680万円。5で割ると、2億9,136万円。これが基準収入です」
「ずいぶん高いな」
「令和6年と7年が入ってますからね」
佐久間は頷いた。あの2年は、米が高かった。
「補償の対象になるのは、基準収入の9割を下回った部分です。2億9,136万円の9割は、2億6,222万円」
西村は線を引いた。
「今年の収入が2億5,360万円ですから、下回った額が862万円。この9割が補填されます」
「いくらだ」
「776万円です」
佐久間は、その数字をしばらく見ていた。
4,060万円の赤字から、776万円が戻る。差し引き、3,284万円の赤字になる。
助かった、という気にはならなかった。
「これでも、去年より悪いですね」と西村が言った。
「悪い」
「ただ」
西村は電卓を置いた。
「佐久間さん、この基準収入、ずっとこの水準じゃないですよ」
説明は、単純なことだった。
基準収入は、直前5年の平均で決まる。だから毎年、いちばん古い年が抜けて、いちばん新しい年が入る。
今年の基準には、令和4年産から8年産までが入っている。そのなかに、3億5,100万円と4億1,900万円という、高値の2年が含まれている。
この2年が、順番に抜けていく。
「令和6年産が抜けるのは、令和11年産のときです。令和7年産が抜けるのは、令和12年産」
西村は五つの枠を書いて、数字をずらしながら並べていった。
「令和12年産までは、まだ3億円台を保ちます。令和7年産の4億1,900万円が、まだ枠に残っているからです」
「上がるのか」
「上がります。3億790万円まで」
西村は最後の枠を指した。
「落ちるのは、その次です。令和13年産。令和7年産が抜けて、代わりに安い年が入る。基準は2億8,000万円台になります。前の年から、3,000万円近く落ちる」
「基準が下がれば」
「補償される9割の線も下がります。同じ2億5,000万円の収入でも、補填が出なくなる」
佐久間は、ゆっくり言った。
「よくなったから下がる、じゃなくて」
「悪いままだと、下がります」
西村は湯呑みを取った。
「この制度は、急に落ちたときのためのものなんです。だんだん落ちていくときには、効きません。効かないというより、落ちた水準が新しい基準になってしまう」
佐久間は事務所を出て、車に戻ってから、しばらく動かなかった。
保険が効くのは、あと数年だ。
効かなくなるのは、状況が良くなったときではなく、悪いまま何年か経ったときだった。
制度としては筋が通っている。過去の平均に対して急落したときを補うのだから、そうなる。誰かが意地悪をしているわけではない。
それでも、順番が逆だと思った。
いちばん体力があるうちに手厚く、体力が尽きたころに薄くなる。
3月の後半は、資材の発注が続いた。
肥料の見積もりが上がってきた。去年よりさらに高い。
「また上がりました」と土田が伝票を持ってきた。
「どのくらいだ」
「尿素系のやつが、去年比で1割ちょっと」
佐久間は伝票を見た。
肥料が上がる理由を、彼はある程度知っている。原料のほとんどを輸入に頼っていて、価格は国際市況と為替で決まる。中東の情勢で天然ガスの値段が動けば、窒素肥料が動く。カリとリン酸は産出国が限られていて、輸出制限が出れば跳ねる。
そして、為替だった。
1ドル160円に近い水準が、もう2年ほど続いている。
国際価格が同じでも、円が安ければ、円建ての支払いは増える。
「社長、これって国際情勢ですか」
「それもある。半分は円だ」
「円?」
「1ドルが120円だったころと比べたら、同じものが3割高く見える」
土田は伝票をもう一度見た。
「じゃあ、米が安くて、資材が高いのは」
「別々の話だ」
佐久間は言った。
「米の値段は、国内の在庫で決まる。資材の値段は、海の向こうと為替で決まる。この二つは、連動しない」
連動しないというのが、いちばん厄介なところだった。
どちらか一方が動くなら、まだ読める。米が高い年に資材も高いなら、辻褄は合う。実際にはそうならない。国内が余っていて米が安い年に、海の向こうの都合で資材だけが上がる。
燃料も上がっていた。
乾燥機のバーナーに使う灯油、トラクターとコンバインの軽油、乾燥調製施設の電気。
施設の電気代は、去年より2割近く増えていた。高温の年は乾燥に時間がかかるから、というのが半分。残りの半分は、単価が上がっているからだった。
佐久間は事務所の壁に貼った表を見た。
主要な支出を並べて、毎年の推移を書き込んでいる。
肥料、上がっている。
燃料、上がっている。
電気、上がっている。
人件費、据え置き。
地代、据え置き。
賦課金、据え置き。
据え置きと書いてある三つのうち、二つは自分で決められない。人件費を下げれば人が辞める。地代を下げれば田が戻る。
賦課金だけが、他人が決める。
その賦課金について、去年の暮れに加賀谷から一度、話があった。
来年度は据え置きでいけそうです、と彼は言った。
いけそうです、という言い方が、そのときは引っかからなかった。
4月に入って、育苗のハウスが動きはじめた。
土田が朝早くから水をやっている。25歳になったはずだ。
佐久間はハウスの入口で、その背中をしばらく見ていた。
この男に、いつか会社を任せられるだろうか、と一瞬考えた。
考えて、その先を考えなかった。
任せられる会社が、そのときまで残っているかどうかのほうが、先に来る問題だった。
第十五章 東京からの電話
2028年4月8日/立野目江(江浚え)・五十嵐家
五十嵐源治(78歳)/土田涼太/五十嵐隆一(源治の長男・49歳・東京在住/電話)
4月8日、江浚え(えざらえ)の日だった。
五十嵐源治(いがらし げんじ)は、去年と同じ時刻に、去年と同じ場所に立った。
6時。まだ薄暗い。土手の草が、霜で白い。
77になった。
人が集まりはじめて、源治は数えた。
上流から3軒。中流から4軒。立野目ファームから一人。
八人。
去年は10人だった。
抜けたのは、上流の1軒と、中流の1軒。上流のほうは去年の秋に膝を悪くして、息子が代わりに出ると言ったが、その息子は新潟に住んでいる。中流のほうは、田を人に貸したので、もう受益者ではないと言ってきた。
貸した先が誰かというと、立野目ファームだった。
だから、受益面積は減っていない。作る人が一人減っただけだ。
そして立野目ファームは、受益者として1戸ぶんしか出役の割り当てがない。
源治は頭のなかで足し算をした。
田は減らない。人は減る。
この足し算は、いつも同じ方向にしか動かなかった。
「んだば、上から行くぞ」
作業は去年と同じだった。鍬とジョレンで泥を上げる。バックホウが入るところは機械でやる。
土田涼太(つちだ りょうた)は、今年で三度目になる。
もう教えることがなかった。ジョレンの角度も、立つ位置も、泥の置き方も、覚えている。
昼に、源治は帳面を出した。
土田が鉛筆を受け取って、日付を書いた。令和10年4月8日。
丸を八つ。バツを三つ。
「三つですね」
「んだ」
「去年は一つでした」
源治は黙っていた。
その日、浚えたのは1.4キロだった。
去年は1.6キロだった。人が二人減れば、そのぶん進まない。
「残り1キロ、どうする」
「来週やっぺ」
「来週来られる人」
手が挙がったのは、源治と、土田と、あと二人だった。
「四人だば、1日で終わらねぇな」
「二回に分けるべ」
「んだな」
結局、4月のうちに、三回に分けてやることになった。
夜、源治は風呂に入って、それから茶を飲んだ。
妻は6年前に亡くなっている。この家に一人でいるのは、もう慣れた。
9時前に、電話が鳴った。
東京の息子だった。五十嵐隆一(りゅういち)、49歳。世田谷に住んでいて、電機メーカーの子会社にいる。
「父さん、江浚えだったんだろ」
「んだ」
「腰、大丈夫か」
「んだな。まあ、大丈夫だ」
隆一はしばらく黙っていた。この息子は、言いにくいことを言う前に必ず黙る。子どものころからそうだった。
「あのさ」
「んだ」
「そろそろ、無理しないでくれよ」
その先は、何度か聞いた話だった。
もう77だ。一人で田をやって、水路の泥まで上げて、いつか倒れる。倒れたら誰が見つけるのか。近所の人だって、みんな年寄りだ。
「田、どうするんだよ」
「まだやれる」
「まだやれるって、いつまで」
源治は答えなかった。
「俺は帰れない」と隆一は言った。「悪いけど、帰れない」
「分かってら」
「会社もあるし、子どもの学校もあるし」
「分かってら」
「父さんが死んだら、あの田、俺のもんになるんだろ」
「んだな」
「俺、作れないよ」
源治は受話器を持ったまま、台所の蛍光灯を見ていた。
息子の言っていることは、全部正しかった。
一町とすこしの田だ。相続すれば隆一のものになる。隆一は東京にいて、作れない。作れなければ、誰かに貸すか、放っておくかになる。
貸す先は、立野目ファームしかない。
ただ、あの一町は、水路のいちばん上流にある。小さくて、区画が不整形で、機械を入れるのに手間がかかる。佐久間が借りてくれるかどうか、源治には分からなかった。断られたら、荒れる。
荒れた田は、翌年から草が出る。2年で灌木が生える。畦が崩れて、水が漏れる。漏れれば、その下の田も作りにくくなる。
源治の田の下は、上流ブロックの残り3軒だった。
「父さん、聞いてる?」
「聞いでる」
「いま決めろって話じゃないんだ。ただ、考えといてくれよ」
「んだな」
「体だけは、気ぃつけて」
電話は切れた。
源治は帳面を出した。
輪ゴムで束ねた大学ノートが6冊。いちばん上が今年のもので、いちばん下が昭和50年代のものだ。
彼は下から2冊目を取って、めくった。
平成の初めごろの頁に、隆一の名前がある。
——4月10日 江浚え 隆一 来る
高校生のころだ。あのころは、まだ手伝った。大学で東京へ行って、そのまま向こうで就職した。
源治はその頁を閉じた。
閉じて、今年の頁に戻った。
4月8日。丸が八つ、バツが三つ。
鉛筆を持って、余白に書きかけて、やめた。
書こうとしたのは、来年の4月に何人来るか、という数字だった。
それは書くようなことではない。書いても当たらないし、当たっても意味がない。
源治は帳面を閉じて、輪ゴムをかけた。
昭和54年の頁に、堰板を抜かれた話が書いてある。あのころ、水は取り合うものだった。夜中に見回って、板が動いていないか確かめた。腹が立った。腹が立ったが、腹が立つということは、みんなが水を欲しがっていたということだ。
いま、この帳面に書かれるのは、来た人の丸と、来なかった人のバツだけになった。
源治は電気を消して、寝床に入った。
外で風が鳴っていた。4月の庄内は、まだ夜が冷える。
あと5日で、水路に水が来る。今年も、いちばん最初に彼の田に入る。
第十六章 水を落とすと金になる
2028年6月24日/庄内町 農村環境改善センター
加賀谷忠/齋藤チカ(説明担当)
6月24日、庄内町の農村環境改善センターで、説明会があった。
加賀谷忠(かがや ただし)は、土地改良区の立場で末席に座っていた。呼ばれたわけではない。制度の話は水利に跳ね返るので、毎年、勝手に聞きに来ている。
演台に立っているのは、町の農林課の職員だった。
齋藤チカ。加賀谷は草刈りで何度も顔を合わせている。会計年度任用職員だと聞いたのは去年だ。それでこの手の説明会に立たされているらしい。
議題は二つあった。
一つめは、水田活用の直接支払交付金の見直しだった。
「これまで、転作した田について交付金を受けるには、5年に一度、水を張って稲を作る必要がありました」
チカは資料をめくった。
「この要件が、廃止になっています」
会場に、ああ、という声がいくつか上がった。
5年水張り要件、と呼ばれていたものだ。
水田を畑にして麦や大豆を作っても、5年に一度は水を張らなければ、水田としての交付金が出ない。田んぼを田んぼとして残すための仕組みだった。
現場では、評判が悪かった。大豆や麦を5年作って土がようやく落ち着いたところで、1年だけ水を張る。翌年からまた畑に戻す。手間ばかりかかって、収量も上がらない。
だから廃止された。
現場の要望に応えた、という説明だった。
加賀谷はメモを取っていた。
取りながら、別のことを計算していた。
5年水張り要件があるあいだは、転作田も「いつか水を張る田」だった。だから水利組合の受益から抜けない。賦課金も払い続ける。5年に一度、その田に水が来る。
要件がなくなれば、その田は永久に畑になる。
永久に畑になった田は、水を使わない。使わなければ、受益から抜ける。抜ければ、賦課金を払わない。
「加賀谷さん、何か質問ありますか」
チカがこちらを見ていた。
「いえ」と加賀谷は言った。
二つめの議題が、その日の本題だった。
「次に、水稲のメタン削減によるクレジットについてです」
チカがスライドを送った。
「田んぼに水を張っていると、土のなかが酸素の少ない状態になって、メタンが出ます。メタンは温室効果ガスです」
会場の何人かが、初めて聞いた、という顔をした。
「中干し、皆さんやりますよね。6月の終わりに一回、水を落として、土を乾かして、根を強くする作業です」
うん、という声。
「あの中干しの期間を、通常より7日間延ばすと、メタンの発生が減ります。減った分を、温室効果ガスの削減量として認定して、クレジットとして売ることができます」
「売れるのが?」と後ろの席から声が上がった。
「売れます」
説明は続いた。
国が定めた方法論があって、それに沿って申請する。地域の取りまとめ団体を通せば、個々の農家の手続きは軽くなる。認定された削減量は、企業が買う。
「単価はどのくらいだ」
「取引によりますが、10アールあたり数百円から、1,000円くらいと言われています」
「安いな」
「安いです」とチカは正直に言った。
会場が少し笑った。
「ただ、まとまると違ってきます。100ヘクタールあれば、10アール1,000円で100万円です」
誰かが、佐久間さんとこか、と言った。
また笑いが起きた。
加賀谷は笑わなかった。
彼はノートに、四つの言葉を並べて書いた。
転作すると、交付金が出る。
水を張らなくても、交付金が続く。
中干しを延ばすと、クレジットが売れる。
水路を維持しても、何も出ない。
線を引いて、囲んだ。
この四つに、悪意はない。
転作の交付金は、米が余っているのだから当然だ。5年水張り要件の廃止は、現場が求めたことだ。中干し延長のクレジットは、温室効果ガスを減らすための、世界的な取り組みの一部だ。
どれも、それぞれの理屈の上では正しい。
正しい制度が四つ並んで、同じ方向を向いていた。
水を使わないほうが得になる。
誰も、そう設計したわけではなかった。四つの制度は、別々の役所の、別々の課の、別々の目的で作られている。並べて見る人がいないだけだ。
加賀谷は、その並べた四行を見ていた。
水路は、水を流さないと傷む。
これは技術的な事実だ。土の水路は、常に水があることで形を保っている。乾けば崩れる。コンクリートの水路も、乾湿を繰り返せば目地が痛み、凍結融解で割れる。
使われない水路は、使われる水路より早く壊れる。
壊れた水路は、直すのに金がかかる。
金は、受益者から集める。
受益者は、減っていく。
説明会が終わって、加賀谷はチカに声をかけた。
「お疲れさまでした」
「加賀谷さん、来てくれたんですね」
「毎年、勝手に来てます」
チカは資料を片づけながら、少し笑った。
「私、あの説明、あんまり気が進まないんです」
「中干しのですか」
「はい」
「なぜ」
チカは手を止めて、少し考えた。
「うちの田、2.8ヘクタールなんですけど」
「はい」
「中干しを7日延ばすと、たぶん1,000円もらえないんです。2,800円くらい。それで、7日ぶん水を落とすんです」
「水管理が変わりますね」
「変わります。中干しを長くすると、その後の水の入れ方が難しくなる。私は毎日見に行けるから、なんとかなる。でも」
彼女はそこで言葉を切った。
「2,800円のために毎日の手間が増えるなら、やらない人が多いと思います。逆に、100ヘクタールある人なら、100万円ですから、やる意味がある」
加賀谷は頷いた。
「大きいほうが得ですか」
「そうなります」
チカは資料を鞄に入れた。
「クレジットって、面積で決まるんですよ。手間は面積で決まらないのに」
その夜、加賀谷は事務所に残って、受益面積の見込みを立てた。
来年度、水を使わなくなりそうな田を洗い出す。転作が続いている田、担い手が高齢の田、相続が発生した田。
改良区全体で、30ヘクタールから40ヘクタール。
今年抜けた27ヘクタールより多い。
彼は電卓を叩いた。
賦課金は10アールあたり5,000円。35ヘクタールが抜ければ、175万円の減収になる。
175万円だけなら、まだ吸収できる。
問題はそこではなかった。
抜けた田の分だけ、水路が使われなくなる。使われない水路は傷む。傷めば補修費が増える。補修費が増えて、賦課金の収入が減れば、単価を上げるしかない。
単価が上がれば、また誰かが抜ける。
加賀谷は、その循環を紙に書いた。矢印でつないでいくと、きれいに丸くなった。
丸くなった図を、しばらく見ていた。
それから、その紙も二つに折って、引き出しに入れた。
引き出しには、去年の秋に折って入れた紙が、まだそのまま入っていた。
第十七章 自分の水
2028年8月/立野目ファーム事務所
佐久間稔/三条(井戸掘削会社 東北営業所)/土田涼太/加賀谷忠(電話)
8月12日、また暑い夏だった。
去年ほどではない。出穂後の夜温は、去年より一度ほど低いところで推移している。それでも、佐久間稔(さくま みのる)は毎朝、気温を確かめるのが習慣になっていた。
その日の午後、事務所に営業が来た。
三条(さんじょう)という男で、新潟の井戸掘削会社の東北営業所から来たという。名刺には「農業用水源開発」と刷ってあった。
三条は感じのいい男だった。
押しつけがましくなく、まず話を聞いた。作付面積、品種構成、圃場の配置。それから、こう切り出した。
「佐久間さん、賦課金、上がりそうだって聞きましたけど」
「まだ決まってない」
「そうですか。ただ、全国的にはどこも上がってます」
三条は鞄からタブレットを出した。
「うちがやってるのは、要するに、水路に頼らない仕組みです。深井戸を掘って、ポンプで汲み上げて、パイプラインで各圃場に配る。水利組合の受益から抜けられます」
「抜けたら、賦課金は」
「払わなくてよくなります」
佐久間は黙って聞いていた。
「大区画で、団地化されているところほど向いてます。佐久間さんの下流ブロック、42ヘクタールですよね。あそこは条件がいい」
土田涼太(つちだ りょうた)が、途中から話に加わった。
彼は最初から前のめりだった。
「それって、うちの水を、うちで持てるってことですよね」
「そういうことです」と三条が言った。
「番水も要らないし、上の人がどうするかも関係ない」
「関係なくなりますね」
土田はメモを取っていた。
「あの、これって、どこかでやってるんですか」
「畑作ではふつうです。庄内砂丘のメロンや野菜は、地下水灌漑ですよ」
「水稲は」
「事例はあります。ただ、多くはないです」
三条は正直だった。この男は嘘をつかない、と佐久間は思った。だから余計に、話を最後まで聞く気になった。
見積もりは、1週間後に届いた。
封筒を開けて、佐久間は数字を確かめた。
下流ブロック42ヘクタールを賄うための計画だった。
深井戸 3本(深さ80メートル級) 5,400万円
揚水ポンプ・制御盤 1,800万円
送水管・配水設備 3,900万円
電源工事・受変電 900万円
合計 1億2,000万円
補助が使えるかどうかは、別紙に条件が書いてあった。読むかぎり、簡単ではなさそうだった。
佐久間は、まず電気代を計算した。
水稲は、水を大量に使う。10アールあたり、1シーズンで1,500トンから2,000トンくらいの水が要る。田に張った水は、蒸発するし、地下に浸みるし、水尻から出ていく。その全部を補い続ける。
42ヘクタールなら、10アールあたり1,600トンとして、67万トン。
これを地下80メートルから汲み上げる。
ポンプの効率を6割として、水1トンを30メートル持ち上げるのに要る電力は、おおよそ0.14キロワット時。67万トンなら、9万キロワット時ほどになる。
農事用の電力単価を、基本料金を含めて1キロワット時あたり25円とすると、
約229万円。
10アールあたりにすると、5,450円だった。
佐久間は、その数字を見た。
いま払っている賦課金が、10アールあたり5,000円。
電気代だけで、それを超える。
そこに、設備の償却が乗る。1億2,000万円を20年で割ると、年600万円。42ヘクタールで割ると、10アールあたり14,300円。
合計すると、10アールあたり19,700円ほどになる。
賦課金の、4倍近い。
佐久間は電卓を置いて、しばらく天井を見ていた。
夕方、土田が事務所に来た。
「見積もり、来ましたか」
「来た」
「いくらでした」
「1億2,000万」
土田の顔が、少し曇った。
「……高いですね」
「高い」
「でも、水路の補修も、これから金かかりますよね。賦課金も上がるって話だし」
「上がっても、7,000円だ」
佐久間は紙を土田に渡した。
「電気代だけで5,450円。設備を入れると1万9,700円だ」
土田は数字を追った。
「……ぜんぜん合わないですね」
「合わない」
土田は紙を持ったまま、しばらく黙っていた。それから、こう言った。
「でも、水路って、400年前にできたんですよね」
「そうだ」
「400年前の人は、この1億2,000万にあたるものを、どうやって払ったんですか」
佐久間は、その質問に答えられなかった。
答えられなかったので、次の日、加賀谷に電話をした。
「井戸の話ですか」と加賀谷は言った。
「知ってるのか」
「三条さん、うちにも来ました」
「なんて言った」
「営業ですから、悪いことは言いません。あの人自身は、まっとうです」
加賀谷はそこで少し間を置いた。
「佐久間さん、本気で検討してるんですか」
「電気代で落ちた」
「そうでしょうね」
「ただ」
佐久間は言葉を選んだ。
「うちの若いのが、納得してない。400年前の人はどうやって払ったんだ、と言うんだ」
電話の向こうで、加賀谷が小さく笑った気配があった。
「いい質問ですね」
「そうか」
「近いうちに、一度、うかがいます。それと」
「なんだ」
「東京から記者さんが来るという話が、農協経由で来てるんですけど」
「記者?」
「前に、高知のほうで米の取材をしてた人らしいです。庄内の水利を見たいと」
佐久間は少し考えた。
「うちでいいなら」
「じゃあ、その日に合わせます。井戸の話、その人にも聞かせたほうがいい」
「なぜだ」
「たぶん、同じことを訊きますから」
第十八章 重力はただ
2028年8月26日/立野目ファーム事務所 〜 立野目江
片岡瑞希(新聞記者・前作より継投)/加賀谷忠/佐久間稔/土田涼太
8月26日、片岡瑞希(かたおか みずき)は羽田から庄内空港に降りた。
東京本社の経済部に移って3年になる。4年前、高知にいたころに米の取材をした。そのときに書いた記事のことを、まだときどき思い出す。
庄内に来たのは、水利の取材だった。
全国で用水路の維持が難しくなっているという話は、どこの県でも同じように聞く。ただ、そのほとんどが中山間地の話だった。条件が悪いから壊れる、という筋書きは分かりやすい。
条件のいい平場で同じことが起きているなら、それは別の意味を持つ。
庄内平野は、日本でもっとも整備の進んだ水田地帯の一つだった。
午後、立野目ファームの事務所に案内された。
佐久間稔と、土地改良区の加賀谷忠。それに、若い社員が一人。土田といった。
テーブルの上に、見積書が広げてあった。
「これ、井戸の話ですか」と片岡が訊いた。
「そうです」と佐久間が言った。「先週、断ったばかりです」
「なぜ断ったんですか」
「合わないからです」
佐久間は数字を説明した。電気代だけで10アールあたり5,450円。設備の償却を入れると19,700円。賦課金の4倍近い。
片岡はメモを取った。取りながら、一つ確かめておきたいことがあった。
「概算金、今年はいくらでしたか」
「去年が8,400円。今年が8,900円です。袋ひとつ、30キロで」
「60キロだと1万7,800円ですね」
「そうです」
片岡はメモを見返した。
「4年前、高知で取材したときは、同じ年に7,350円でした。60キロで1万4,700円」
「早期米ですか」
「早期米です。8月に穫るやつ」
「2,000円違いますね」
「概算金は県ごとに、全農の県本部が決めるので」と片岡は言った。「同じ年に暴落しても、産地によって落ちる先が違います。私はそれを、高知にいたときは知りませんでした」
佐久間は何も言わなかった。
片岡はペンを置いて、それから、素直に思ったことを口にした。
「あの、素人の質問をしていいですか」
「どうぞ」
「水は地下から汲み上げて、直接それぞれの田んぼに注入すればいいじゃないですか。どうして、みんなそうしないんですか?」
佐久間が加賀谷のほうを見た。
加賀谷は、湯呑みを置いてから言った。
「やってる国はありますよ。全部、同じ終わり方をしてますが」
「まず、温度の話からします」
加賀谷はメモ用紙を引き寄せた。
「地下水は、年間を通してだいたい15度前後です。夏でも冬でも、あまり変わらない。飲み水としては、これはいいことです」
「冷たいほうがいいですよね」
「稲には、冷たすぎます」
加賀谷は数字を書いた。
「稲は、水温が13度を下回ると生育が止まります。13度から22度のあいだでも冷水温障害というのが出る。茎の数が減って、穂が短くなって、実の入りが悪くなる。適温は23度から36度あたりです」
「15度の水を、そのまま田んぼに入れると」
「稲が寒がります」
加賀谷はペンで、15と23のあいだに線を引いた。
「だから、地下水で稲を作る地域では、水を温めるための施設を作ります。水路を長く迂回させる温水路。日に当てて温める溜め池。本田の手前にもう1枚、浅い田を置く温水田」
「じゃあ、水路をやめても、別の水路がいると」
「そうです。土木から逃げたつもりが、土木に戻ってきます」
「二つめが、ここが面白いんですが」
加賀谷は、鞄から1枚の紙を出した。
水温の記録だった。去年の8月10日、午後2時。
北楯頭首工の取水口 15.8度
立野目分水工 17.2度
上流ブロックの水口 17.4度
中流ブロックの水口 21.6度
下流ブロックの水口 26.3度
「同じ水です」と加賀谷は言った。「同じ日の、同じ時刻の。2.4キロのあいだに、9度上がっています」
片岡は紙を見た。
「なぜ上がるんですか」
「田を通るからです」
加賀谷は水路の絵を描いて、そこから田へ矢印を引いた。
「用水は、上の田に入って、田をゆっくり横切って、水尻から出て、また水路に戻ります。次の田に入って、また出る。これを繰り返しながら下っていく。反復利用といいます」
「同じ水を、何度も使う」
「そうです。そして、浅い田に張られた水は、よく温まる。水尻から出る水は、水路の水より通年で7度ほど高い。夏はもっと開きます」
「それは、どの田でもそうなんですか」
加賀谷は首を振った。
「圃場整備が済んだところは、用水路と排水路を分けてあります。入れる水と出す水が別の道を通る。用排分離といいます」
「じゃあ、戻らない」
「戻りません。立野目でいうと、いちばん下の42ヘクタールがそれです。あそこの排水は、まっすぐ排水路へ行く」
加賀谷は絵の上のほうを指した。
「戻るのは、上です。上流の4戸は、整備のときに大区画にできなかった区域で、水路も昔のままの用排兼用です。同じ溝を、入る水と出る水が流れている」
片岡はペンを止めた。
「……つまり、水を温めているのが上で」
「温まった水を受け取るのが、下です」
加賀谷はペンを置いた。
「つまり、上流の田が、下流のための温水装置になっているんです」
片岡は顔を上げた。
「それは、誰かが設計したんですか」
「していません」
加賀谷は言った。
「400年、そうやって水を回してきたら、そうなっていた。設計図はどこにもありません」
部屋が少し静かになった。
土田が口を開いた。
「あの、じゃあ、上の田が水を張らなくなったら」
「下流に届く水が冷たくなります」
「それって、去年みたいな暑い年には、よくないですか」
加賀谷は首を振った。
「私も、去年それを考えました」
「違うんですか」
「量の問題があります」
彼はメモ用紙に、水路を一本引いた。
「上流が水を要らないと言えば、その分は頭首工で取水しません。水利権というのは、実際に使う面積に応じて決まっているので、使う人が減れば取る量も減る。取らなければ、下流にも来ない」
土田がペンを止めた。
「上が抜けると、下は……」
「冷たい水が来るのではなく、水が来なくなります」
「三つめが、いちばん単純な理由です」
加賀谷は片岡のほうを向いた。
「電気代です」
「さっき、佐久間さんが」
「10アールあたり5,450円。設備を入れると19,700円。あれは正確な試算だと思います」
加賀谷はメモ用紙に、大きく丸を一つ書いた。
「北楯大堰は、1612年に掘られました。立谷沢川から水を引いて、庄内平野の北側へ流している。この400年、この水路が水を運ぶのに使ったエネルギーは、ゼロです」
「ゼロ」
「重力です」
彼は丸から下向きに矢印を引いた。
「上から下へ流れる。それだけです。ポンプも要らないし、電気も要らない。400年前の人が、傾斜を測って、水路を掘って、その先ずっと、ただで水が来る仕掛けを作った」
加賀谷は少し間を置いた。
「私たちは、その上に乗っているだけです。作り直す金は、どこにもありません」
「四つめは、水の量そのものの話です」
加賀谷は続けた。
「さっき、反復利用の話をしました。上の田の落とし水を、下の田が使う。地域全体で見ると、頭首工で取った水の量よりも、実際に田で使われる量のほうがずっと多いんです。同じ水を三回も四回も使っているので」
「効率がいいということですか」
「そうです。ところが、各戸が自分の井戸を掘ると、この反復利用が消えます。1枚ごとに独立した水源になるので、使った水は排水路へ行くだけになる」
「地域全体では、使う水が増える」
「増えます。個々には合理的な判断が、合計すると水を余計に使うことになる」
「五つめは、この土地の事情です」
加賀谷は窓の外を指した。
「庄内平野は、もともと海とつながった潟湖です。最上川が運んだ土砂で埋まってできた。地層は砂と泥で、海が近い」
「掘ると、どうなるんですか」
「大量に汲み上げれば、二つ起きます。地盤沈下と、塩水の侵入です」
加賀谷は指を二本立てた。
「地下水を抜くと、粘土層が縮んで地面が下がります。一度下がった地面は、水位が戻っても元に戻りません。それから、海に近いところで地下水位が下がると、海側から塩水が入ってきます。塩の入った水では、稲は作れない」
「戻せないんですか」
「戻せません」
「六つめは、法律の話です」
加賀谷はそこで、少し言い方を選んだ。
「河川の水は、水利権で管理されています。誰が、いつ、どれだけ取っていいかが決まっている。だから、揉めることはあっても、量の管理はできる」
「地下水は違うんですか」
「地下水は、日本では土地の所有権に付随するものと扱われてきました。自分の土地の下の水は、自分のものです。量的な公的管理は、ほとんどありません」
「つまり」
「掘った者勝ちです」
加賀谷はペンを置いた。
「これは、自由でいいという意味ではないんです。誰も止められないという意味です」
「七つめは、先にやった国がどうなったか、です」
加賀谷は鞄からもう1枚、紙を出した。海外の資料をコピーして、書き込みをしたものだった。
「アメリカに、オガララ帯水層というのがあります。中西部の地下にある巨大な地下水の層で、全米の灌漑用地下水のおよそ3割を供給しています。アメリカの農業生産の五分の一が、この水で成り立っている」
「大きいですね」
「大きすぎて、無限にあると思われていました。1950年代から本格的に汲み上げが始まって、いま、水位は下がり続けています。場所によっては、汲み上げが始まってから200フィート——60メートル以上、下がっている」
加賀谷は数字を指した。
「カンザス州の南西部では、2024年の1年だけで1.5フィート下がりました。その前の年より速くなっています」
「もう、汲めなくなっている地域もあるんですか」
「あります。1986年から2018年のあいだに、アメリカでは3,000万エーカーほどの農地が耕作をやめました。その最大の集中が、オガララ帯です」
加賀谷は紙をめくった。
「テキサスの農家が、こういうことを言っていました。祖父が井戸を掘り、父がその水を汲み、自分の代で井戸に蓋をする」
片岡はその一行を書き取った。
「もう一つが、インドのパンジャブ州です」
加賀谷は続けた。
「ここは、インドの穀倉地帯です。1970年代の緑の革命で、米と小麦の二毛作が広がった。水が要る。だから井戸を掘った」
「どのくらい」
「1970年代の初めに、州内の管井戸が19万本ほどでした。2011年には138万本。いまはもっと多い」
「7倍以上」
「州の農地の7割以上が、地下水に頼っています」
加賀谷は数字を書いた。
「年間の地下水の採取量が28億立方メートル。自然に涵養される量が19億立方メートル。毎年9億立方メートルずつ、貯金を取り崩しています」
「増えているんですか、まだ」
「州の地下水ブロック153のうち、117が過剰採取に区分されています」
加賀谷はペンで表を叩いた。
「なぜそこまで掘ったか。理由がはっきりしています。電気がただだったからです」
片岡は顔を上げた。
「1997年から、農業用の電力が無料になりました。ポンプを回すのに金がかからない。だったら、汲む。深くなったら、もっと深く掘る。ある農家は、井戸を360フィート、次に450フィートまで掘り直しました。それでも水位は180フィートより下です」
「州は、何もしなかったんですか」
「2009年に、地下水保全法を作りました。何をしたと思いますか」
「取水の制限ですか」
「田植えの時期を法律で決めました」
加賀谷は言った。
「モンスーンが来る前に田植えをすると、地下水を大量に使う。だから、雨が来るまで田植えを禁止した。作物の栽培暦を、法律で決めるところまで行ったわけです」
部屋が、しばらく静かだった。
片岡がペンを置いて、こう言った。
「共通しているのは」
「電気が安いと、必ず掘りすぎます」
加賀谷は湯呑みを取った。
「日本で地下水稲作が広がらなかった最大の理由は、技術でも、制度でもありません。電気代が高かったからです」
「……市場が、水を守っていた」
「結果としては、そうなります」
加賀谷は少し笑った。
「これは褒められた話ではないですよ。日本には、地下水の量を管理する法律がほとんどない。守られていたのは、単に採算が合わなかったからです。もし電気が安くなったら、日本も同じことをすると思います」
最後に、加賀谷はこう付け加えた。
「それから、これは意地の悪い話なんですが」
「はい」
「庄内でも、地下水灌漑はやってるんです」
片岡が顔を上げた。
「砂丘地です。あそこはメロンや野菜を作っていて、地下水を使っています。ちゃんと成り立っている」
「じゃあ、技術としては使える」
「使えます。水稲だけが合わないんです」
加賀谷は指を折った。
「水稲は、水をたくさん使う。畑作の何倍もです。しかも水温に敏感で、しかも作った米の値段が安い。この三つが揃うと、揚水では合わない」
「作物を変えれば、井戸は成り立つ」
「成り立ちます」
加賀谷はそこで言葉を切った。
言い終わってから、自分が何を言ったのかに気づいたような顔をした。
「……つまり、水を守るための話が、水田をやめる話に着地するんです」
夕方、片岡は佐久間と一緒に、水路沿いを歩いた。
立野目江。延長2.4キロ。まだ水が流れている。
「結局、井戸はやらないんですね」と片岡が言った。
「やりません」
「電気代ですか」
佐久間は少し歩いてから、答えた。
「それもあります。ただ、加賀谷さんに、別のことを言われました」
「なんですか」
「井戸を掘ったら、うちは水路の受益者から抜けることになる。42ヘクタール分の賦課金が消える。残った10戸で、同じ2.4キロを維持することになるから、単価がまた上がる、と」
片岡は足を止めた。
「……抜ける自由がある」
「そうです」
佐久間は水路を見ていた。
「抜けられるということが、たぶん、いちばん危ないんだと思います」
第十九章 七千円
2028年12月4日/最上川土地改良区事務所・立野目分水工
加賀谷忠
12月4日、加賀谷忠(かがや ただし)は事務所で、来年度の予算案を最後まで詰めていた。
毎年やっている作業だった。収入の見込みを立て、支出の見込みを立て、差を確かめる。合わなければ、どちらかを動かす。
今年は、支出を動かせなかった。
収入の側から見ていく。
最上川土地改良区の受益面積は、去年の時点で約3,200ヘクタールだった。
そこから、今年、抜けた面積が38ヘクタール。
内訳を、加賀谷は一つずつ拾った。
転作が続いていて、5年水張り要件の廃止を受けて水田に戻す予定がなくなった田が、22ヘクタール。これがいちばん大きい。
経営者が高齢でやめて、引き受け手がつかなかった田が、9ヘクタール。
相続が発生して所有者が確定せず、賦課金の徴収先が分からなくなった田が、4ヘクタール。
宅地や資材置き場になったのが、3ヘクタール。
合わせて38ヘクタール。去年が27ヘクタールだったから、4割ほど増えている。
賦課金にすると、10アールあたり5,000円で、190万円の減収になる。
次に、支出を見る。
こちらのほうが、重かった。
幹線水路の補修が、3か所。うち1か所は、去年から先送りしていた分だ。目地の劣化が進んで、漏水が始まっている。
ポンプの更新が1基。
これが、加賀谷を追い詰めた。
排水機場のポンプで、設置から34年になる。夏に一度、制御盤が落ちた。メーカーに連絡したところ、制御基板の製造がすでに終了しているという返事だった。
「代替品はありますか」
「同型はもうありません。制御盤ごと更新していただくことになります」
「いくらですか」
「盤だけで1,800万円。ポンプ本体も、年数を考えると同時にやったほうが」
加賀谷はそこで電話を切って、しばらく机に座っていた。
このポンプは、直そうと思えば直せる。金さえあれば直せる。
直せないのは、部品がないからだった。
水路は400年もった。ポンプは34年だ。
インフラの寿命を決めるのは、多くの場合、コンクリートでも鉄でもない。部品を作り続けてくれる会社があるかどうかだった。
補修費と更新費を積み上げると、来年度の支出は、今年より4,200万円ほど増える。
収入は190万円減る。
合わせて、4,400万円足りない。
積立金を取り崩せば、2年は保つ。2年後に同じことをやれば、そこで尽きる。
国庫補助のつく事業として申請する方法もあるが、採択されるまでに2年から3年かかる。ポンプは、たぶん来年の夏まで保たない。
加賀谷は電卓を出した。
4,400万円を、受益面積で割る。
3,162ヘクタール。10アールに直すと、31,620。
4,400万円 ÷ 31,620 = 1,391円。
現在の賦課金が10アールあたり5,000円だから、6,400円になる。
彼はそこに、来年度さらに抜けるであろう面積の見込みを乗せた。今年の38ヘクタールと同じか、少し多い。40ヘクタールとして計算する。
5,000円のままでは200万円足りなくなる。
6,400円では、その分も足りない。
加賀谷は、いくつかの数字を試した。
6,500円。6,800円。7,000円。
7,000円で、ようやく2年先まで見通しが立った。
2,000円の値上げだった。
率にすると、4割になる。
加賀谷は、その数字を打ち込んだ予算案を、しばらく画面に出したまま眺めていた。
この4割は、誰にとっての4割なのか。
彼は立野目地区の台帳を開いて、受益者ごとに計算してみた。
五十嵐源治。1.1ヘクタール。5万5,000円が7万7,000円になる。2万2,000円の増。
齋藤チカ。2.8ヘクタール。14万円が19万6,000円になる。5万6,000円の増。
立野目ファーム。180ヘクタール。900万円が1,260万円になる。360万円の増。
三人とも、同じ4割だ。
同じ4割が、2万円と、5万円と、360万円になる。
加賀谷は席を立って、窓の外を見た。
12月の庄内は、もう雪が来ている。田も水路も、白く埋まっていた。
この値上げが何を起こすか、彼にはだいたい分かっていた。
賦課金が上がれば、転作を考えていた人の背中が押される。米で赤字なら、水を使わない作物に替えたほうがいい。替えれば受益から抜けて、賦課金を払わなくてよくなる。
抜ければ、面積が減る。
面積が減れば、来年度の計算では、同じ金額をより少ない面積で割ることになる。
単価が、また上がる。
この循環を、加賀谷は去年の夏に紙に書いて、引き出しに入れた。書いたときは、まだ図だった。
いま、その図の最初の一周が始まろうとしている。
通知書の印刷は、1月の下旬になる。
2月の総代会で議決して、それから各戸に送る。文面は、毎年ほとんど同じものを使い回している。
加賀谷は文面を開いて、金額の欄だけを直した。
10アール当たり 7,000円
直してから、その下に、いつも入れている一文があることに気づいた。
組合員の皆様のご理解とご協力をお願い申し上げます。
この一文を、彼は21年、毎年印刷してきた。
今年は、削ろうかと思った。
思って、削らなかった。削ったところで、何かが変わるわけではない。むしろ、いつもと違うことをすれば、余計な意味を読まれる。
加賀谷は保存して、画面を閉じた。
帰りに、彼は分水工まで車を走らせた。
雪の下に、コンクリートの箱が半分埋まっている。角の欠けたところは、去年見積もりを取ったまま、まだ直していない。38万円だった。
その38万円も、来年度の予算には入れられなかった。
加賀谷は車から降りずに、しばらくワイパーを動かしていた。
水路の上流のほうに、明かりが一つ見えた。五十嵐源治の家だった。
あの人は、この通知を2月に受け取る。
一町とすこしで、2万2,000円。
金額としては、大きくない。年金で払えないような額ではない。
ただ、加賀谷は、額の問題ではないような気がしていた。
78歳の人に、来年から4割上がりますという紙を送るということは、そういうことではないような気がしていた。
彼はギアを入れて、雪道をゆっくり戻った。
第二十章 書かなかった行
2028年12月20日 〜 2029年1月下旬/五十嵐家・農協窓口
五十嵐源治(78歳)/農協 営農指導員
12月20日、五十嵐源治(いがらし げんじ)のところに、農協の営農指導員が来た。
来年の作付けの意向を聞いて回っている。この時期の恒例だった。2月に営農計画書を出すので、その前に一度、下ごしらえをする。
指導員は30代の男で、湯呑みを両手で包むように持っていた。
「五十嵐さん、来年も、米ですよね」
「んだな」
「一町一反、そのままで」
「んだ」
指導員は用紙に書き込んだ。それから、鞄から別の紙を出した。
「あと、これ、一応お渡ししておくように言われてまして」
紙には、来年度から変わる制度のことが書いてあった。
転作した田について、5年に一度水を張る要件がなくなったこと。大豆や麦、飼料作物に対する交付金のこと。中干しを延ばすとクレジットが売れること。
「五十嵐さんのところは関係ないかもしれませんが」
「んだな」
「では、また2月に」
指導員は帰っていった。
源治は、その紙をこたつの上に置いたまま、しばらく見ていた。
2日後、土地改良区から封筒が来た。
まだ総代会の前で、正式な通知ではない。予定額のお知らせ、と書いてあった。加賀谷が、地区の総代を通じて、先に伝えておいたらしい。
10アール当たり 7,000円(予定)
源治は老眼鏡をかけ直して、もう一度見た。
いままでが5,000円だった。
一町一反で、5万5,000円払っていたのが、7万7,000円になる。
2万2,000円。
源治は、その数字を紙の余白に書いてみた。
2万2,000円で、何ができるか。
肥料が1袋いくらだったか。灯油が何缶か。孫に去年送った小遣いがそのくらいだった気がする。
払えない額ではなかった。
払えない額ではないのに、源治はしばらく、その紙を置けなかった。
夜、彼は帳面を出した。
輪ゴムで束ねた大学ノートが6冊。いちばん上の1冊を開いて、今年の記録を最初から読み返した。
4月8日。江浚え。丸が八つ、バツが三つ。
4月15日。続き。四人。
4月22日。続き。四人。ようやく2.4キロが終わる。
5月3日から12日まで、番水の記録。誰の田に何時から水を入れたか。
6月27日、中干し。
7月、8月、水管理の記録。気温。
10月12日、秋の草刈り。六人。出不足金五つ。
源治はそこまで読んで、ノートを閉じた。
それから、いちばん下の1冊を出した。
昭和54年。
あの年の春の江浚えには、24人来ている。
24人で、1日で終わっている。
源治は、いくつかのことを順番に考えた。
考えた順に、書いておくとこうなる。
一つ。自分は78になった。膝はまだいいが、腰が去年より曲がっている。江浚えのあと、3日は動けない。今年はそうだった。
二つ。息子は帰らない。それは責める話ではない。東京に生活があって、子どもの学校がある。自分が同じ立場でも、帰らないだろうと思う。
三つ。自分が死ねば、この一町一反は息子のものになる。息子は作れない。貸すことになる。貸す先は佐久間のところしかないが、あの人がいま、どういう状態かは、村にいれば分かる。
四つ。賦課金が7,000円になる。来年、また上がるかもしれない。
五つ。米は、去年が8,400円で、今年が8,900円だった。等級が落ちたから、実際に手元に来たのはもっと少ない。一町一反で、いくらにもならない。
六つ。大豆にすれば、交付金が出る。水を使わないから、賦課金も要らなくなる。手間は米よりずっと少ない。播いて、消毒して、刈るだけだ。
七つ。大豆にすると、水路の受益から抜けることになる。
七つめのところで、源治は手を止めた。
抜けると、どうなるか。
彼の田は、末端水路のいちばん上流にある。水口が最初にあって、いちばん先に水が入る。
その一町一反に水を張らなければ、そこを通る水がなくなる。
水が通らなければ、その先へ流れる水は、その分だけ減る。頭首工で取る水の量は、実際に使う面積で決まっているからだ。使わないと言えば、その分は取らない。
下流に、何がいるか。
上流ブロックの残り3軒。中流の齋藤たち。そして、いちばん奥の42ヘクタール。
源治は、そこまで考えた。
考えて、こう思った。
自分一人が抜けたところで、たいしたことはない。
一町一反である。59ヘクタールのうちの、1.1ヘクタールだ。2パーセントに満たない。2パーセントの水が減っても、下流の誰も気づかない。
実際、この10年で抜けた人は何人もいる。そのたびに何かが起きたわけではなかった。
源治は、こたつの上の2枚の紙を並べた。
賦課金の予定額と、制度の説明の紙。
それから、鉛筆を持って、帳面の来年の頁を開いた。
まだ何も書いていない、白い頁だった。
彼は日付を書こうとして、やめた。
来年の4月8日に、江浚えがある。そこに何人来るかは、まだ分からない。分からないが、八人より減ることは確かだった。自分が抜ければ、七人になる。
源治は鉛筆を置いた。
置いてから、まったく別のことを思い出した。
昭和54年の、堰板のことだ。
誰かが夜中に、上の田の堰板を抜いた。自分の田に水を入れるために。腹が立った。2日続けてやられて、3日目の夜は水路の脇で寝ずに見張った。
あのころ、水は取り合うものだった。
取り合っていたということは、みんなが欲しがっていたということだ。
いまは、誰も取りに来ない。
年が明けて、1月の下旬に、源治は農協へ行った。
営農計画書の下書きを出す時期だった。
窓口に座って、指導員に言った。
「来年、大豆にすっぺと思ってな」
指導員は、少し驚いた顔をした。
「五十嵐さん、米やめるんですか」
「一町一反だべ。もう、やってらんね」
「……そうですか」
指導員は用紙を出して、書き直した。
「じゃあ、水田活用のほうで申請しますね。転作面積、1.1ヘクタール」
「んだ」
「あと、土地改良区のほうに、受益の変更の手続きが要ります。書類、こっちで用意しましょうか」
「頼むわ」
手続きは、それだけだった。
15分もかからなかった。
源治は誰にも相談しなかった。
隆一にも言っていない。次に電話が来たときに言えばいい、と思っていた。
佐久間にも、加賀谷にも、齋藤にも言っていない。
相談するようなことだと思わなかった。自分の田を、自分がどうするかという話だ。米が合わないから大豆にする。それだけのことだった。
村の人はみんな、同じことをしている。この10年で、上流の3軒のうち1軒は大豆にしたし、中流にも何軒かある。誰も相談などしていない。
源治は帰り道、自分の田の脇に軽トラを停めた。
雪が積もっている。この下に、60年作ってきた田がある。
来年の5月、この田には水が入らない。
水口の板は、外すことになる。反っていたので、去年、削り直した板だ。
源治は、そのことを少し惜しいと思った。
思ったのは、それだけだった。
間章三 厨房
2029年1月/仙台市泉区・フーズネクスト協力工場
土田涼太/宮崎(同工場 製造課長)
1月の仙台は、庄内より雪が少ない。
土田涼太(つちだ りょうた)は、朝7時に泉区の工業団地に着いた。フーズネクストの協力工場の一つで、東北5県のコンビニと直営店に、1日3便で弁当とおにぎりを出している。
見学の手配をしてくれたのは、農協の佐藤だった。
「兄ちゃん、業務用がどうなってるか見でぐるといい」
佐久間には、販路の勉強に行ってこい、と言われている。
工場に入るには、白衣を着て、帽子で髪を全部覆い、粘着ローラーを全身にかけ、エアシャワーを通り、手を二回洗う。これに7分かかる。
案内してくれたのは、製造課長の宮崎(みやざき)という50代の男だった。
「炊飯から見ますか」
「お願いします」
炊飯室は、暑かった。
連続式の炊飯機が2列。米が計量されて、洗われて、浸漬されて、蒸気で炊かれて、ベルトで出てくる。1時間に何百キロという単位で流れていく。
土田は、その米を見た。
白い。粒が揃っている。
「これ、どこの米ですか」
「いま炊いてるのは、ブレンドですね。山形と、秋田と、あと少し」
「はえぬきですか」
「入ってます。何割かは」
宮崎は掲示板を指した。配合表が貼ってある。銘柄と、産地と、配合比率と、その日のロット番号。
土田は目で追った。
「山形県産はえぬき 38%」
その数字が、彼の会社の1年と、どこかでつながっているはずだった。
次に、おにぎりのラインを見た。
炊き上がった飯が、冷却装置を通って、成型機に入る。
成型機の脇に、制御盤があった。数字が表示されている。
「104」
「これ、何ですか」
「1個あたりのグラム数です」
宮崎は当たり前のことのように言った。
「去年の春に変わりました。それまで110だったんです」
「6グラム減ったんですか」
「そうです。フードロス削減で、ってことでした」
土田は、その数字を見ていた。
「6グラムって、見て分かるものですか」
「分からないですね。並べれば分かるかもしれませんが」
宮崎は少し笑った。
「うちは、言われたとおりに入力するだけですから」
休憩室で、宮崎は缶コーヒーを買ってくれた。
「兄ちゃん、庄内で米作ってるんだって?」
「はい。会社ですけど」
「何ヘクタール」
「180です」
宮崎は口笛を吹くような顔をした。
「でっけえな」
「でも、卸さんに言われました。うちの規模でも、2週間分だって」
「まあ、そんなもんだろうな」
宮崎は缶を開けた。
「うちの工場、1日でおにぎりだけで8万個作る。飯にして8トン強だ。年間だと、2,800トンくらいかな」
土田は暗算した。
立野目ファームの主食用米が、年間で750トンから800トン。
この工場一つで、その3倍以上を使っている。
「うち、4か月分にもならないですね」
「そうなるな」
土田は、もう一つ訊きたいことがあった。
「あの、原価って、米はどのくらいの比率なんですか」
宮崎は少し考えてから、答えた。
「おにぎりでな。うちは製造受託だから、値段のことは本部が決めるんだけども」
彼は指を折った。
「1個の売値が、税込みで150円くらいだとする。そのうち、原材料が半分弱。その原材料のなかで、飯が占めるのは、3割いかないくらいだ」
「具じゃなくて」
「具のほうが高い。鮭とか、明太子とか。あとは海苔だな。海苔がけっこう効く」
土田は暗算した。
「じゃあ、米は1個あたり」
「20円ちょっとかな。104グラムで」
「20円」
「そう」
宮崎は缶コーヒーを飲んだ。
「だからな、米が2割上がっても、おにぎりは4円しか上がらねえ。逆に米が2割下がっても、4円しか下がらねえ」
土田は、その計算をもう一度追った。
米が2割下がる。生産者の側では、袋あたり1,500円が消える。180ヘクタールなら、5,000万円が消える。
その2割は、おにぎり1個で4円だった。
「4円だと、値札は変わらないですよね」
「変わらねえな。1円単位で値付けしてるわけじゃないから」
「じゃあ、消費者は」
「気づかねえよ」
宮崎は缶を置いた。
「上がったときは気づくんだけどな。あんとき、大騒ぎになったろ。米不足のとき」
「はい」
「あんとき、うちは具を減らした。あと、飯の量も一回減らしてる。110を106にした。そのあと本部が104にしたから、二回減ったことになる」
土田は顔を上げた。
「戻さないんですか」
「戻さねえ」
宮崎はあっさり言った。
「戻す理由がねえだろ。減らして、クレームも来ねえで、ロスも減った。米が安くなったから元に戻します、なんて言ったら、何のために減らしたんだって話になる」
工場を出たのは、昼過ぎだった。
駐車場で、土田はメモを見返した。
110グラムが106グラムになり、104グラムになった。
一度も、戻っていない。
米の値段は、この4年で上がって、下がった。上がって下がって、いまはむしろ下がりすぎている。
値段は往復した。
グラム数は、片道だった。
帰りの車のなかで、土田はラジオをつけたが、すぐ消した。
考えていたのは、宮崎が最後に言ったことだった。
「戻す理由がねえだろ」
その言い方に、悪意はなかった。責める気にもならなかった。宮崎の言うことは、経営としてはまったく正しい。減らして、誰も困らなかったのだから、戻す理由がない。
困らなかったのは、消費者だ。
困ったのは、4円が積み上がった先にいる、名前の出てこない誰かだった。
土田は、その誰かのなかに自分たちがいることを知っている。
工場の掲示板には「山形県産はえぬき 38%」と書いてあった。あの38パーセントのどこかに、立野目の田がある。
どこかにある、としか言いようがない。
ロット番号を追えば、どの卸から来たかは分かるだろう。そこから先は、たぶん追えない。何十軒もの米が混ぜられて、精米されて、炊かれて、握られている。
混ぜるのが卸の仕事だと、去年、酒田で聞いた。
混ぜないと、1年分の量が揃わない。
村山を過ぎたあたりで、雪が降りはじめた。
庄内に入るころには、本降りになっていた。
土田は、山形と庄内を隔てる山を越えながら、ひとつだけ、はっきりしたことがあると思った。
自分たちが作っている米は、104グラムずつ、名前のないまま消費されている。
その104が、去年まで110だったことを、庄内で知っている人はほとんどいない。
知ったところで、どうにもならない。ならないが、知らないよりはましだと思った。
なぜましなのかは、うまく説明できなかった。
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