2016年10月27日木曜日

東京ラーメンと生物兵器教員:追記

しつこいと言われようと,本件についてもう少し述べておきたいことがあります.

以前の私の上司である生物兵器教員について書いた記事に,
私をほめなさい。300字程度で。
というのがありましたね.
信じられないかもしれませんが,そのタイトル通り,件のキチ◯イじみた俗物教員は,「私をほめなさい。300字程度で」と私に指示しました.
彼が登用されたのは,昨今の大学改革が進む中にあって必然でした.現在の大学は,総じて彼のような「無能で無責任な破壊者」を欲しています.

でもこれは最近のウヨク,そして東京人の特徴でもあり,彼らはこの大学教員と驚くほど行動パターンが同じです.とても興味深い.
ショートケーキ
やっぱり東京を諦める

その生物兵器教員の行動をみていると,現在の日本が見えてくる.これは今年ヒットした映画『シン・ゴジラ』の分析と同じです.
シン・ゴジラ再考

※ちなみに,『東京人』というのは「東京都在住の人全て」を指していません.詳しくは前回記事,
東京ラーメンと生物兵器教員:補足
をどうぞ.

さて,「私をほめなさい。300字程度で」のどこあたりが,東京人化してきた最近のウヨクと共通しているのか?
そのままズバリです.
昨今のウヨクは「私をほめなさい」という態度をとっています.
しかも,「300字程度で(なるべく簡単に)」ということを求めている.
自分たちがどれだけ優れているか,外国人からほめられているか,他国に威張れるものがあり,また実際に威張ることができているか,ということであり,しかも例の生物兵器教員と共通するのは,“それでいて自分は謙虚で控えめな態度をとっている,という評価を欲しがっている” という点です.
一歩間違えば「病院」行きのように思えますが,残念ながらこれを西洋医学的な疾病とは見做せません.

当該記事で紹介したように,その教員が私に「私をほめなさい」と指示したのは,自身の手で己をきちんと “ほめられなかった” からでした.
だから他人にそれを求めたのです.他人に自分をほめた文章を書かせ,それをパクろうとした.
ここには,自分がどのような人間であり,その組織にとってどのような貢献ができているのか分からない,考えようともしない者の痛々しさが見えます.

彼について「ほめるべき部分がない」ということを嘲笑っているのではありません.
どんな人間にも評価できる点はある.問題なのは,その評価について「こういう場面において相応しい回答とは何かを教えて欲しい」という意図を持った画策をとったことにあります.

これは,彼自身の中に己を評価するための基軸がないということを露呈しています.すなわち,彼のなかには「大学教員とはかくあるべき」という理念や哲学がなく,とにかく大学当局と学生の顔色をうかがうことが「評価」だという認識があるわけです.そして,その評価スコアさえ獲得していれば,仕事をしていることになると思っている.
簡単に言えば,彼は大学教員の仕事とは何かを知らないのです.

「私をほめなさい」と命じた大学教員と同じ人種の者は,マスメディアやネットメディアに日本の自虐的な記事が登場することに不満を持ち,その一方で日本を持ち上げる記事が出ると喜びます.

彼らは,日本が世界に誇れる「こと」を,自分で探すことはありません.
掲載してもらうことに楽しみを得ます.
彼らは「ほめられる」ということに快感を得ているだけです.
日本がどうあるべきかということを考えたくない.とにかく「ほめられている」という状況があればそれでいいということになります.