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今の大学院生は,これからの研究者人生をどのように考えたらいいのか



先日の記事では,これからの時代に大学教員を目指すとしても,こういうタイプの人はオススメできないという話をしました.
これから大学教員を目指さない方がいい人のタイプ

そこでお話したのは,現在の大学は,かつての「大学教員らしい仕事や活動」をすることが困難になってきており,そのつもりで仕事に就いてしまうとガッカリしたり,精神を病みますよ,ということ.

それだけならまだしも,「隣の芝生は青く見える」というように,そうしたブラックな職種であっても外から見たら羨望の的なので,がんばって学位をとったり研究業績を積んで就職を希望するもののポストにありつけず,不安定な身分の月日が続いて精神を病む.
という人もまた多いんです.自殺する人もいるくらいですから.

先日そんなニュースがありました.
文系の博士課程「破滅の道。人材がドブに捨てられる」 ある女性研究者の自死(朝日新聞 2019.4.10)


それでも,どうしても大学教員になりたい,という人はこちらをどうぞ↓
大学教員になる方法
大学教員になる方法「強化版」
大学教員になる準備


さて今回は,これからの将来のこと,なかでも「研究者」を目指す上で悩んでいる大学院生に向けて書くことにします.

結論から先に言ってしまえば,

「大学院まで進んだんだから,こういう仕事に就かなきゃ損だ」

という考え方を捨てた方がいいということ.


むしろ,「大学院まで進んだんだから,一般的に思い付くような仕事をしない」と構えた方が,大学院での学びを活かせると思います.


新年度が始まって間もない現在,そろそろ就職活動についての決断を迫られている人もいるかと思います.

「研究者」としての道を検討している人であれば,とりあえず博士後期課程まで行ってみる,その後は,助手やポスドク,臨時・非常勤の研究員を考えているかもしれません.

そういう意味では,研究者志望の人はもうちょっと時間があると言っていいでしょう.


 

最近の大学は,大学院生に向けた就職説明会を開いていることも多いので,以下の内容も知っている人もいるかと思います.

ですが,まずは基本情報としておさえておいてください.

出典元と,参考になるデータ資料はこちらです↓
大学院の現状を示す基本的なデータ(文部科学省 2017.5.30 PDFページ)
資料2-2 日本の研究力低下の主な経緯・構造的要因案(参考データ集)(文部科学省 2018年度 PDFページ)
研究人材のキャリア形成状況(文部科学省 2018年度 PDFページ)



まず,大学院の在学者数ですが,平成の始めと比べると,2017年は約2.5倍まで増えています.


一方,社会で活躍する研究従事者数はそれほど増えていません.



下図は企業系の研究者数です.
総数が増加しているように見えますが,その増加数は1990年に約30万人だったのが,2017年は約55万人であり,およそ1.5倍の増加に留まっています.

また,理系の研究者数は1998年をピークに減少しており,いわゆる「研究者らしい研究者」は減っていることが分かります.





次の下図は大学教員の数です.
こちらも一貫して若手教員が減少しています.

この資料の作成者・文部科学省も誤魔化そうと(ミスリード?)していますが・・・,
日本人の年齢別人口比率の変化が若手教員の減少と関連しているように見せていますけど,そもそも,上述したように研究者の分母は「40歳未満の人口」ではなく,「大学院修了者数」のはずですよね.

つまり,研究者の人数は増えているのに,教員になれている人の数は減っているわけです.

なので,年輩の大学教員が時々漏らす「昔は,大学の先生になりやすかった」というのは,かなり本当のことです.



 

そんなわけで,「研究者」を目指して大学院に進学した人には,かなり厳しい現実と将来が待っていると思って間違いありません.


だからといって,「今の大学院生は研究者を目指すことを諦めた方がいい」などとアドバイスしたいわけではありません.

そんな結論は,いい加減な教育系ジャーナリストが上記の資料を見せながらブログやツイッターでつぶやくようなものです.



私が言いたいのは,冒頭でも述べたように,
「私は大学院まで進んだんだから,それ相応の仕事に就かなきゃ損だ,という考え方を捨てた方がいい」
ということです.

研究者になりたい人がいなければ,研究者は生まれません.
情熱のある人が研究者になることが,日本だけでなく人類社会全体のためになるのです.
研究者になりたいと思っている人は,ぜひその夢を追いかけてもらいたい.


しかし,そうやって夢を追いかける中にあって,研究者になりたいという「夢」はいつの間にか経済的視点,コストパフォーマンスとして評価するようになってしまい,
「大学院まで進んだんだから,それ相応の仕事に就かなきゃ損だ」
と言い出す人が増えてきます.

しかも,大学教員であれば尚の事,その地位を得るためには長い年月(場合によっては40歳くらいまで)をかけた努力と根性,実力と知恵の累積が必要だと思われがちです.

なので,その「夢」が叶わない状況にある人には,苛立ちと焦燥感,場合によっては嫉妬や妬みも生まれます.


ですが,大学院(大学部も含めて)で身につけているアカデミックなスキルとは,必ずしも「研究活動」によって給料をもらったり,「研究職」という身分を得るためのものではありません.

この世界や自分自身を,普通の人よりも広く深く,バリエーション豊かに捉えるスキルを身につけているとも言えます.

もともと「研究」というのは,そういう活動だからです.


別記事のシリーズで私はずっと,「大学は就職予備校ではない」ということを叫んできましたが,それは大学院でも同じだと考えています.


むしろ,大学(学部)の使命がこれだけ凋落してきた現代日本において,大学院がその役割を担わなければいけないのではないかとも思ったりします.

ですから,「大学院まで進んだからこそ,一般的に思い付くような仕事をしない」と構えることをオススメします.


すなわち,研究者志望の大学院生は,「研究職」に就くことを能動的に目指すのではなく,
「運良くなれたらいいなぁ」
程度に考えておくことです.

上述したように,研究職に就くことは狭き門.
しかも,運任せの部分がかなり大きいんです.
いくら努力したって,耐え忍んだって,報われない人も多いのですから.


実は,私も大学教員になりたくて大学院生をやっていたわけじゃありません(もう引退するけど).

ゼミ論とか卒業論文をやっていたら,大学院の諸先輩方と仲良くなって研究活動の楽しさを語り合うようになり.

いつしか院生室や実験室に入り浸るようになり.

卒業論ではやりきれなかったことを研究したい,もっとこの分野や領域のことを知りたいと思って,なりゆきで大学院へ進学.

さあ,いよいよ就職はどうしようかと思っていた時に,知り合いを通じて,運良く助手の仕事が舞い込み.

それを続けているうちに,目をつけてくれた他大学の先生の一本釣りで,意図せず運良く「大学教員」になっちゃって.

と思っていたら,運悪くそこが結構なブラック大学だったので,このブログでも「我々が成すべき大学教育とは何か!」と不満をこぼしながら辞職.

その後,運良く別の大学の教員として奉職することにしました.

このあたりのことは,それらしいタイトルの過去記事を御覧ください.


で,そうやって生きてきた15年ほどを振り返ってみると,別に大学教員とか研究職に就かなくても,自分の「研究心」を満足させる人生は送れると確信するに至りました.

研究費を使って,研究室や実験室でやれることだけが「研究」ではありません.
詳しくはまた後日お話できたらと思いますが,その境地になると,人生の自由度が上がります.
これは大学院で身につけた思考法です.


本当なら,こうしたことを学生に伝えられたらいいんですが.
残念なことに,それこそ運悪く,現在の日本の大学業界では「私がやりたい大学教育」ができないところが多いし,じゃあ,この業界をより良いものにしようか,という熱意も私にはありません.




え? 私が何を言いたいのか要領を得ないって?
たしかに,このことを語りだしたらブログ記事数本分になるでしょう.
面と向かって話したら,最低でも30分はかかります.

なので,混迷の時代にある研究者志望の大学院生にオススメの本があります.

ちょうど今日,注文していた本が届いたので読んでみたんですけど,それが今回の記事にぴったりだと思いました.
森博嗣 著『なにものにもこだわらない』


森氏は,元名古屋大学 助教授(工学博士)の小説家.
今は引退して,都市から離れたところに住居を構えてのんびり暮らしているとのこと.

この著書では,私が大学院生に言いたいことを,森氏らしい言葉で語ってくれています.
私がゴチャゴチャ言うよりも,この本を一読してもらった方が早いでしょう.


タイトルでも分かるように,物事に「こだわる」ことを戒めるエッセイです.

この本に限らず,森氏の著作には「やっぱ,そう考えた方がいいですよね」と共感できる部分が多いんです.私とは授業のやり方も似ていました.
気になる方は,氏の他の書籍もどうぞ.


実際,今回私が大学教員を引退することを決める上でも,ちょっとは影響があったかもしれません.いや,ないかな.どうだろ.

「大学院まで進んだんだから,それ相応の仕事に就かなきゃ損だ」という人は,進路やステップアップ,キャリアアップといったものに「こだわり」がある場合が多いと思うんですよ.

その「こだわり」が過ぎてしまうと,求めるものと現実との差に苦しんでしまいます.
場合によっては自殺する人も出てきます.


たしかに,研究者になるためには長い時間と労力を要しますから,思い立ったら覚悟を決めて忍耐強く「待つ」ことが求められます.
それがいつしか「こだわり」になってしまう.


研究者になれなくても,研究することはできます.
「研究職」と呼称されている職業や身分でなくても,実質的な研究活動をしている人もいるんです.

また,研究テーマをお金のかからないものにすれば,個人的な空き時間に研究できることはたくさんあります.
「どうしてもやりたい研究テーマがある.だから研究者になりたいのだ」という人もいますが,それこそ,そのテーマへの「こだわり」を捨てればいい.


これを突き詰めていくと,あなたは,
他者から「研究者に見られたい」のか
それとも,
自分が「研究をしたい」のか
という話になります.


もし「自分が研究をしたい」のであれば,そして,大学院を出た人であれば尚の事,生き方や職業への「こだわり」を捨てた方がいい.

もっと言えば,今の大学院生は,そういう心づもりで大学院生活を送ることが大切です.


森氏も著書で述べていますが,研究こそ「こだわる」ことができない活動です.
研究スキルを身につけることとは,「こだわらない」ことを身につけることと言えます.

研究者になれたのなら,それはそれでラッキー.
なれなくても,それはそれでオッケー.

そんな心構えでいることが,大学院生には必要です.

無責任な物言いに聞こえますが,そうやって捉えた方が,大学院を卒業した者として幸せな人生を送れると思うのです.


 


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コメント

  1. はじめてお目にかかります.
    博士後期課程で研究しており, キャリアの戦略を策定している最中の者です.
    こちらの記事, 楽しく拝読させていただきました.
    19/4/13の「これから大学教員を目指さないほうがいい人のタイプ」と共に私のブログで引用致しました(https://blog.enalab.org/2020/01/blog-post.html).
    今後も度々コメント・引用させていただくかと存じますので, よろしくお願い致します.

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    返信
    1. 興味をもっていただき,ありがとうございます.記事の引用は大歓迎です.自由に使ってください.今後ともよろしくお願いします.

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