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面白きことも無き世を面白くする必要はない

面白いとは何か?面白く生きるには?


日本を代表する「実際に面白そうに生きてる人」に,面白く生きるためのコツを語ってもらう.
というコンセプトで作成された新書と言えます.

森博嗣 著『面白いとは何か? 面白く生きるには?』




このブログでは過去に何度も取り上げている森博嗣氏の,新しく出た著書です.

著者の森氏は名古屋大学工学部助教授だった人.
つまり,私たちと同じく大学教員だった人です.

理系ミステリー作家としてたくさんの本を出しており,不動の地位を持っています.
代表作に「すべてがFになる」とか「スカイ・クロラ」があります.

2005年からは大学教員をやめて,現在は田舎で隠遁生活をしているそうです.


以前から,森氏の独特な価値観や考え方が注目されていて,こうしたエッセイもたくさん出版されています.


本ブログでも過去記事で,以下のような本を紹介してきました.
    

記事としては,
私も「臨機応答・変問自在」
「スカイ・クロラ」小説と映画を比較してみた
職業としてではない大学教員
大学教員をやめて,次どうするのか? その1

といったところでしょうか.


かねてより,おなじく学術・研究活動をしている者として共鳴する考え方や解釈が多いと感じていました.
授業のやり方とか,学生との向き合い方.科学の捉え方や人生観なんかもよく似ていると思っています.

なので,もうそろそろ森氏のエッセイは卒業しようかと思い,これが最後と思いながら購入した本です.

なぜ「卒業しよう」と思っているのかというと,共鳴・共感できるところが多いからです.
共感できるということは,別に読まなくてもいいということですから.

ただ,小説の方はこれからもずっと読むつもりです.
次に出る予定である『神はいつ問われるのか?』も予約済み.



今回の『面白いとは何か? 面白く生きるには?』ですが,タイトル通り「面白さ」の本質は何かを定義し,「面白く生きる」ためのヒントを提供している内容になっています.

要約すると,「面白さ」と言っても人それぞれ様々あることと,誰かに提供してもらう面白さよりも,自分で作り出す面白さに注力することが大事.というものです.

逆に,面白さを求めているはずなのに辿り着けていない人に多いのが,自分が本当に面白いと感じていることではなく,他人に自慢できる面白さを求めているというケース.
自分が面白いと感じる「面白さ」は自分だけが感じていればいいことで,他人に振り回されるべきではない,といったことです.






本書のなかで,特に興味深く読ませてもらったのは以下の部分です.

まず,「共感」に対する警鐘.
面白さに共感を求めることが,面白さを見失っていると述べています.

私もこの「共感」を重んじる最近の空気については,以前から危惧していました.
なので,昔,大学生向けに書いた記事で,映画を見るときは「共感しない」ことが大事であることを説いたこともります.
大学生用:時間をつくって映画を見よう


「共感することが大事である」という価値観を優先すると,「面白く生きる」ことはできなくなります.

共感を全否定するつもりはありませんが,共感とは,「自分で面白さを作り出す」ことから遠ざかるものだからです.


編集者との対談している章で,森氏はこのように述べています.
【今世の中に足りていない『面白さ』とは何でしょうか?】
おそらく世の中に足りていないものは,個人の余裕だと思います.たとえば,経済的なもの,時間的なものです.そして,これらは,ようするにエネルギィの問題で,エネルギィが無限にあって,機械がきちんと働いて,生産をしてくれれば,自ずと人間は自由になって,余裕も生まれるはずです.
エネルギィの問題は,簡単ではありません.一番いけないのは火力発電を増やすことでしょう.これは地球環境の破壊につながります.かといって,原子力は事故が怖いし,太陽光や風力は微々たるものです.これらをすべて上手く組み合わせて,エネルギィの安定供給を図ることが,将来的に人間を豊かにし,そうなれば,自然に誰もが,自分で面白いことを見つけようとするだろう,と思います.人間はそういう本能を持っている,と僕は考えています.
もう一つの問題は,他人と比較をする価値観が世の中に蔓延していることです.人を羨ましがる,人に自慢したい,など自然なことではありますが,こういう気持ちは,最後には,自分よりも不幸な人がいれば,相対的に自分は「面白い」「楽しい」となってしまうわけです.「金持ちになって,周囲のみんなを見返してやりたい」といった精神も,これです
こうした森氏の考え方は,いろいろな小説で垣間見ることができます.

「エネルギー問題」が改善すれば,人は人生の自由度が高まり,良くも悪くも他人への関心が低下し,結果として個人的な価値観の共有度が高い人と生活空間を共にする世界が訪れる.つまり,国家と呼べる共同体意識や紐帯が弱まっていく.
そうした先にあるのが「面白さ」を純粋に追求する人間の姿と,そうした人間が増えることによって,争いや暴力のコストパフォーマンスの悪さが露呈する社会です.

これは,森氏の小説・Wシリーズやスカイ・クロラの世界観と言えます.
Wシリーズ(Wikipedia)
スカイ・クロラシリーズ(Wikipedia)

  


これは国家主義的な考え方を大事にしたい人たちには悲しい話ですが,別に今現在そういう世界ではありませんし,それによって世界から戦争や差別,嫉妬妬みなどが少なくなるのであれば歓迎すべきことでもあるでしょう.

面白く生きるということを突き詰めると,それは人類社会のことを考えることにつながります.

会社のため,皆のため,国のため,といった価値観はたしかに大事ですが,それを第一にすると「面白く生きる」ことは難しくなります.
そして,面白く生きることができない人こそが,「戦争」や「差別」を生み出し,結局のところ皆のためにならない社会を作り出している可能性もあるのです.


実際,資源やエネルギーが人類に広く分配されてきている現在の世界においては,かつてと比べて,大規模な戦争などによる争いは急激に低下しています.


「世界は明らかに平和になっている」
ということについて眉唾に聞こえる人もいるでしょうが,このあたりの話は,ユヴァル・ノア・ハラリ 著『ホモ・デウス』や,ハンス・ロスリング 著『ファクトフルネス』などで取り上げられたこともあって,有名になりました.
 

ようするに,現在の「国家」は,戦争によって資源や科学技術を強引に収奪するよりも,経済協力やビジネス,文化・芸術,共同研究などを用いたほうがコストパフォーマンスが高い世界に生きているのです.
その片鱗とビジョンが見えたのが,先のイラク戦争だったと思われます.


人間というのは,自分自身や身近な人達と面白く生きていれば,その他大勢の人たちのことなんかどうでもいいと思うようになります.

それが本当の「平和な世界」なのでしょう.
平和とは,他人に対して無関心である世界のことなのです.

マザー・テレサが「愛の反対は憎しみではなく,無関心である」と言いましたが,そういう意味での無関心ではありません.
どちらかというと,仏教的な無関心でしょう.

お互いの人生を認め,相手が何をしようと無関心.
こちらはこちら,あちらはあちらの人生を楽しんでいればいいのです.


そのためには「孤独」であることを怖れてはいけないし,そもそも恐れる必要がない.
むしろ,孤独を楽しむことが出来る人が「面白い生き方が出来ている」というのが森氏の主張です.


世界平和を目指すためには,

「一人で楽しく面白く生きる」

ことを目指す必要があるのかもしれない.
面白く生きることとは,実はスケールの大きな話でもあるのです.



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