注目の投稿

インスタ映えと読解力の低下が「学生の質」に影響している

学生の質は変わったのか? の理由をもうひとつ


先日,
と,その理由が「大学」そのものにあるという話をしました.

でも,大学の劣化や態度だけで入学してくる学生の質が変わるわけではありません.
それ以外にもあるはずです.

今回は,その理由として「読解力」と「インスタ映え」を取り上げます.


読解力低下については,国立教育政策研究所の分析結果に,「今どきの大学生」と共通項が見出されます.
それは,読解力が二極化していることと,情報を探し出す」「評価,熟考する」能力が顕著に低下していることです.

インスタ映えについては,学生の振る舞いに影響を与えている可能性があります.
インスタ映えに限らず,SNSにおけるコミュニケーションのとり方の変化が,大学における学びと関連しているかもしれません.



読解力の低下から考える


読解力といえば,先日も記事にした「国際学習到達度調査(通称,PISA)」のニュースが記憶に新しいと思います.

PISAにおける日本の読解力が大幅に低下したことが話題となりました.
ちなみに,PISAは3年に1度,各国の15歳児童を対象に行われている調査ですが,調査年度によって読解力の結果も違っています.



以下が調査結果の図です.
2018 年調査のポイント https://www.nier.go.jp/kokusai/pisa/pdf/2018/01_point.pdf

黄色の部分が「日本」です.
右端が今回の2018年調査,左端が2000年です.

ご覧の通り,そもそもの話をすれば,世界的に見て,日本の児童の読解力は低くありません.
むしろ,高いほうです.


ところが,問題視されているのは,得点のバラツキが大きくなっていることです.

国立教育政策研究所が取りまとめた資料にも,そのことに触れられています.
以下がその図です.

2018 年調査のポイント https://www.nier.go.jp/kokusai/pisa/pdf/2018/01_point.pdf

小さいので見づらいかと思いますが,これはレベル1〜6として区切った度数分布です.
中央部の「レベル3」を平均得点として,右側が高得点者の人数で,左側が低得点者の人数です.

各レベルごとにおける色分けされているバーが,年度別の結果です.
淡い色ほど過去の結果(左端が2000年,右端が2018年)です.

なお,●印はOECD平均です.


これらの調査結果を要約すれば,
(1)かつての調査結果では中央部(レベル3・4)に該当する児童が多かった
(2)最近は,低レベルと高レベルとに該当する児童に分かれている
というもの.

つまり,「読解力のレベルが二極化している」ことが問題視されているんです.

ちなみに,この傾向は世界的なものと分析されており,OECD平均をみても,読解力レベル1以下の児童が有意に増加しています.


結果を詳細に分析した国立教育政策研究所は,以下のように「日本の読解力の低下」を整理しています.
(1)「情報を探し出す」能力については、2009年調査結果と比較すると、その平均得点が低下。特に、習熟度レベル5以上の高得点層の割合がOECD平均と同程度まで少なくなっている。
(2)「評価し、熟考する」能力については、2009年調査結果と比較すると、平均得点が低下。特に、2018年調査から、「質と信ぴょう性を評価する」「矛盾を見つけて対処する」が定義に追加され、これらを問う問題の正答率が低かった。また、各問題の解答状況を分析したところ、自由記述形式の問題において、自分の考えを根拠を示して説明することに、引き続き課題がある。誤答には、自分の考えを他者に伝わるように記述できず、問題文からの語句の引用のみで説明が不十分な解答となるなどの傾向が見られる。
まとめれば,特に日本の子供には,
  • 提示された課題から適切な情報を探せない
  • 情報の質や信憑性が評価できない
  • 情報の矛盾点が指摘できない
  • 自分の考えを他者に伝えられない
という特徴がみられます.

こういうことを指摘すると,それこそ上記の特徴に該当する「読解力が乏しい」人達からは,
「そういう子供は昔からいる!」
と言われそうですが,そうじゃないんです.

当然,昔からそういう子供はいますよ.
でも,最近はそういう子供の「割合が増えている」.
そして,そうではない優秀な子供の割合はあまり変化していない,ということなんです.

さらに言えば,普段,知的レベルが高い子供と接することの多い人達からすれば,
「今も昔も変わっていない」
「むしろ,優秀な子供は増えている」
と言うでしょうが,そこに「格差」が現れていることに気づけていないわけです.

もちろん,この調査は2000年から始まっているので,それ以前との比較はできません.
でも,それ以前の私達が中学・高校生の頃から「最近の子供は読解力がない」と言われていましたし,ここ20年ほどは実際にそういう傾向があるわけです.
しかも,世界的に.


さて,大学の話に戻せば,こうした状況にプラスして,
「大学全入時代」
が本格到来しています.

それまでは「読解力・上位層」だけを掬い取っていた大学も,18歳人口の減少や経営難対策として,定員を満たすために「下位層」が入ってくるようになったわけです.
(すみません.分かりやすくするためこのような表現にしていますが,私の教育信条からすれば本意ではありません)
つまり,かつてならレベル5以上の学生だけだった大学に,レベル3とか2が入るようになったんです.

先日の記事で,「学生の質の変化」を顕著に感じ始めたのは4〜5年ほど前からと言いましたよね.

これ,読解力の二極化が始まった「2012年時の15歳(2015年頃から大学生)」と一致します.
それまで二極化が抑えられていたところからの反転ですから,それだけに体感的な落差が大きいわけで,こちらも敏感に感じやすいというもの.


さらに,現在の大学は,平均的な学生の理解レベルに合わせて単位取得水準を変えなければなりません.
落第する学生が増えないように,採点を甘くするということです.
もちろん,建前上はそういうことになっていませんが,文部科学省の通達(落第する学生を増やすな)をちゃんと守ろうとすれば,自然とそうなります.
結果,その基準は「いわゆる平均値」ではなく,大きく下方修正された基準にならざるを得ません.

そして,この影響を「いわゆる平均以上の大学生」が受けないわけがありません.
「これくらいの勉強で単位はとれる」
と踏んだ大勢の学生は,その時代における「大学生の典型像」を形成するのです.

これが「読解力の二極化」から発生した,学生の質の変化です.


さらに,こうした現象をSNSの普及が後押しします.
なかでも典型なのが,インスタ映え志向です.



インスタ映え(盛り・チル志向)が読解力を劣化させる


SNSにおけるインスタ映え,もとい,「いいね!」などのグッド評価が諸悪の根源.
読解力の「下位層」の増加を生んでいるのは,このインスタ映え(フォトジェニック)志向ではないかと私は考えています.

以前もどっかの記事で書いたことがありますし,実際に,ゼミ学生に対しては飲み会の機会に言ったこともあります(私のキャラクタを理解していない学生が多い講義授業では憚られる話だから).

端的に言えば,「いいね!」という評価を基軸としたコミュニケーションは,学術活動とは反りが合わないんです.

SNSを利用する上で大事とされているのは,不特定多数の人間に公開するが故の,「炎上」や「バカッター」になることを避けることです.
特定の人間に公開するフェイスブックなどであっても,それだけに,
「周囲の知り合いからどう見られるか?」
がコミュニケーションの優先課題となります.

「インスタ映え」という社会現象は,それを如実に表しています.
ここでは,物事の正否性よりも共感性が重視されるのです.

それはそれで大事でしょう.
しかし,コミュニケーションはそういった,
「波風立てずに,不特定多数の人々から好感触を得る」
ことばかりが大事なのではありません.

ところが,SNSでのコミュニケーションや,インスタ映えに代表されるような「発信」は,
誰もが予め理解できることが前提の文章やコンテンツ
であり,しかも,
誰もが感情レベルで反発しないもの
であることが求められています.

言い換えれば,
論理的な正しさをもった文章
や,
時間をかけて理解する文章
ましてや,
不快な感情を喚起させやすい文章
は好まれません.
というか,そもそも読まれませんし,理解しようという気も起きません.

理性的に正しくとも,難解な文章や反発心を喚起する文章は,情動的に避けられます.
しかも,この関係は一方向的です.
読解力の低い人は,簡単な文章・共感を呼ぶ文章にしかアクセスしませんが,読解力が高い人はどんな文章でも対応可能.

かくして読解力は二極化を強めます.
ここに読解力の壁が出来てしまうのです.

思い起こせば,2003年にこれを養老孟司氏が「バカの壁」と称してベストセラーになりました.

そして現在,バカの壁はSNSを媒介して拡大し,世界中の人々から読解力を奪っています.


よく,
「昔の子供より,今の子供のほうが文章を読む機会が多い」
と言われます.

たしかに,文章を読む機会は現代人や現代の子供の方が多いでしょう.
ある意味では,「難しい文章」を読む機会も増えているかもしれない.
しかし,問題になるのは「何のために読む文章か?」「読んだとして,その文章を理解しているのか?」という点です.


インターネットの登場は,人々に提供できる情報の種類と量を飛躍的に増加させました.
ところがその裏では,特定の種類の情報だけを好きなだけ閲覧できる状態にもなったのです.

これによって発生したのは,
その人間にとって,事前に理解できることが予測できる情報だけを大量に摂取する
という状況です.

聞き慣れた言い方をすれば,
得たい情報だけを採取する
ということ.

その結果,「分かりやすいが正義」になります.
分かりやすく説明する人が正しく,分かりやすい内容が正しい.

これ,つまりは,
「自分が事前に知っていたことが正しい」
ということでもありますよね.
その時点で理解できなかったのであれば,理解するための材料を集める作業が必要なのですけど,その作業を踏まなくても「理解したことにする」で済まそうとする人が増えてしまいます.

これが,以前の記事で私が評した,
自分の手が届く範囲のことだけで済まそうとする学生が増えている
ということです.

こんな環境下で過ごしていれば,いくら「文章を読む機会が増えた」としても,読解力が鍛えられるわけがないのです.
なぜなら,その情報を読解する必要もなく,事前に理解できている文章なのであり,自分が納得できることしか理解しないのですから.


もっと言えば,その「理解」というのも,
「どうしてこの意見に賛同できるのかというと・・・」
といった自分の考えを論述して説明するものではなく,
「いいね!」ボタンや「グッド評価」ボタンのクリック
で済ませることができます.

やっぱりここでも,内容理解の基準が「直感的」であり,「感情レベル」「納得レベル」になりやすいわけです.

これは,PISAの結果において,
自分の考えを他者に伝わるように記述できない」
という特徴がみられるのと一致しています.


繰り返しますが,これは「日本の子供・若者」だけの特徴ではありません.
世界中で同じ傾向にあるようです.

こうした事態に対し,ネット利用やスマホ利用の制限で対応するわけにはいかないでしょう.
なるべく早めの教育対策が求められます.


関連記事
【国際学習到達度調査】日本の子供の読解力低下について

読解力がない学生が発生していることを詳細に解説した記事
偏差値45の日本人は日本語が理解できない

学生に向けて書いた記事「共感するな,理解しろ」

関連書籍
    


コメント