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フォトジェニック症候群|現代社会と教育を蝕む思考

教育業界だけでなく,現代社会を取り巻く禍々しい空気を名付けて「フォトジェニック症候群」


先日の記事で,コロナ対策としてオンライン授業をやらされていることを,知り合いの大学教員の人と対談した話をしました.
突貫工事として始まった「オンライン授業」は,今後の大学教育における主要な教授法として活躍できる可能性があることと,その延長線上には,真の大学改革の軸になるのではないか? というものでした.
大学のオンライン授業|やっぱり今後の主流になると思う


その対談で他に出てきた教育関係の話題に,
「フォトジェニック症候群」
というものがあります.

新型コロナウイルスの感染拡大に頭をかかえるよりも,フォトジェニック症候群を心配した方がいいのではないか.
そんな話題として出てきたものです.


その名付け親は私なんですけど,もしかすると既に使用されている名称かもしれない,と思っていました.
ネット検索してみたんですが,どうやら検索結果として表示されるものではないようです.


別に難しいことを指している名称ではありません.
教育業界だけでなく,現代社会にはびこっている現象を,これで指摘できるのではないかと考えたんです.

フォトジェニック症候群に罹患している人は,以下の症状を呈しています.

(1)この世界にある物事とは,すべからく価値の高さについての評価を受けるはずだと考えている
(2)それらの価値は不特定多数の民主主義的な手続きで,定量的に評価を受けるべきと考えている
(3)その評価はできるだけ簡単で,視覚的・直感的に訴える単一の尺度によって測定可能なものが望ましいと考えている
(4)そのようにして高い評価を得ている価値ある物事に乗じることで,自身のステータスが上昇すると思っている
(5)不特定多数から高い評価を得られるであろう物事と自身とを関連付けて発信したくてたまらない


「でも,そんな現象は昔からあったのではないか?」
と思われる人もいるでしょうが,これはゼロイチの話ではなくて,近年はそういう傾向を強く有した人が多くなっているのではないか,ということです.

たしかに昔から,自分が大手企業に勤めているとか,貴重なスーパーカーを持っているとか,有名人と一緒に写真を撮ったことがある,などといったことを自慢したがる人は多かったのです.

しかし,小型カメラやSNSの誕生はこれを強力に加速させました.
昔なら,「そんなものを得るためにそこまでするのかよ」と呆れられるような事,しかも,それを発信したとしてもローカルな話題でしかなかったことがカメラ技術の発達とSNSの登場によって様変わりしました.
どこでも誰でも,手軽に「自慢できそうな物事」や「羨ましがってくれそうな事柄」を,高性能な小型カメラで見栄え良く,簡単に大多数の人々に向けて発信できるようになったのです.

これにより,かつてならフォトジェニック症候群に罹ることのなかった人も,周囲から感染させられているとも言えます.




フォトジェニック症候群とは


もともと,「フォトジェニック(photogenic)」というのは「写真映え」を意味します.
写真映えのする事柄や風景などのことです.

しかし,現代において一般的にフォトジェニックというと,フェイスブックやツイッター,インスタグラムといったSNSに投稿した場合に,「いいね!」やリツイートなどを受けやすい写真を指します.

日本では「インスタ映え」として知られているものです.
2017年の流行語大賞にもなったので,ご存知の方も多いでしょう.


そしてこのインスタ映えというのは,
「写真映えのする状況や経験を持っている私のことを高く評価してほしい」
という,多くの人々が潜在的に持っている自己承認欲求を手軽に実現できるようになったことによるSNS上の現象だとする分析がよくされています.
それは別に「写真」に限らず,ビデオ動画やテキストでの投稿,そしてフォローやリツイート行為なども含まれます.

インスタ映えする上で最も重要なことは,一にも二にも認識のスピード,つまり,瞬間的な分かり易さです.
その投稿内容(写真・動画・テキスト)は,瞬時に「いいね!」と直感してくれるものでなければいけません.

じっくり眺めたり読み込んでみて,なんなら何度か見直してから,「うん・・,これはいいねぇ」となっていたのではインスタ映えした投稿ではないのです.


では「フォトジェニック症候群」とは何かと言うと,公共の場に何かを提供する際の判断基準が,できるだけ多くの人からの「いいね!」評価を受けるかどうかになることであり,それはできるだけ直感に訴えるものであることを求めてしまう症状です.
つまり,フォトジェニックなSNS投稿を求める心理が,その人の行動パターンや判断基準につながるようになったものと言えます.


さらにこの現象に拍車をかけた象徴的存在は,スティーブ・ジョブズのプレゼンテクニックだったと思います.
それに関連した「フォトジェニックな手法を利用したプレゼン」を紹介した書籍やネット記事が流行ったこともあります.

10年くらい前でしょうか.私もその当時は,こういった手法を勉強しました.
実際の発表用スライドには全く参考にしていないですけど.

例えば以下のようなもの.
 

「見栄え良く」
「質の高い画像や動画を使う」
「直感的な理解に訴える」
「シンプルにわかりやすく」
といったことが持て囃された時期がありまして,この頃からですね,ネットのニュースに使われる写真やそのレイアウトにも,「フォトジェニック」な要素が入ってきたと思います.


別に,インスタ映えするSNS投稿を批判しているわけではありません.
そんなつもりは微塵もありませんので,誤解無きよう.

ブログやSNSは有益なコミュニケーション・ツールだと思うし,そこに掲載する写真や動画はできるだけフォトジェニックなものを使う方がいいに決まっています.

フォトジェニック症候群を提唱している我々が危惧しているのは,
「多くの人々から直感的で情緒的な好評価を受ける物事を利用して自分をアピールすることで,自分自身のステータスアップにつながるはずだ,と考えて情報発信したり行動したりする現象・風潮が世間に広まってしまうこと」
です.

なぜ危惧しているのかというと,フォトジェニック症候群の蔓延は,
「直感的に分かりやすいものが善・正義」
「直感的に分からないことは悪・間違い」
「不特定多数の人から好評を得ているモノ・ヒトは善・正義」
「人々から好評を得ていない,または無視されているモノ・人は避けるべき」
といった風潮や現象が促進されます.

このブログにおける教育系の記事で繰り返し出てくる,
「『分かりやすい』を正義とする教育はダメだ」
ということと同義です.
危ない大学に奉職してしまったとき「授業評価アンケート対策」
反・大学改革論2(学生からの評価アンケート)


さらに言えば,フォトジェニック症候群において,この「分かりやすい」という認識にしても怪しいもので,あくまでも直感的で視覚的に訴える方略を用いているため,本当に分かっているかどうかは疑義があります.

行列のできるラーメン屋と一緒.
どうしてそのラーメンを食べたいのかと言うと,そこに行列ができているから.
「行列」という現象は,直感的に「美味しいラーメンを出している」という認識を惹起させます.
つまり,分かりやすいんですね.
行列ができているのは,不特定多数の人々がそのラーメンが美味しいと評しているからに違いない.
そう思ってフォトジェニックな行列を作って並び,フォトジェニックな見栄えのラーメンを食べて「美味しかったなぁ」と思うのです.
そういう人は,ご丁寧にも出てきたラーメンを写メってSNSにアップしてたりする.

でも,実際のところそのラーメンが美味しく感じた理由は,行列に並んで食べたからです.

これと同じことが,フォトジェニック症候群の患者にも発生しています.
っていうか,フォトジェニック症候群そのものです.


結局のところ,自分自身の価値を信じられなくなっている人が多いのではないか,そんな気もします.
だから,不特定多数の人々が共通して「すごい!」とか「いいね!」と評価する物事を利用して,自分の価値を高く見せようとしているのかもしれません.

ようするに,勝ち馬に乗ろうとする心理のバリエーションです.
俗物根性とも言えます.

ここまで書いてきて思い出したんですけど,このフォトジェニック症候群については,保守系評論家の福田恆存が似たようなことを論じていました.
そう言えば,これを記事にしたこともあるので,気になるようでしたら,そちらもどうぞ.
俗物が俗物らしくしちゃダメ

福田恆存は,「俗物」をこのように定義します.
「世間に対する自己の関係に不安を感じ,その不安を解消するために,劣弱な自己を拡大修飾して現実の自己以上の見せかけをつくろうとする人」
まさにフォトジェニック症候群です.
フォトジェニック症候群とは,福田恆存の言う「俗物」が罹りやすい病気とも言えます.




フォトジェニック症候群と,一般的なフォトジェニックとの見分け方


例えば,「田舎暮らし」の魅力をアピールする人がいます.
これについてフォトジェニック症候群を発症している人というのは,「田舎暮らしをしている私」を価値ある人間であると周知したいがために,フォトジェニックな写真や動画などを利用して,
「田舎暮らしには,こんなに素晴らしい環境や体験が満ちていますよ!」
ということを発信し,
「そんな環境や体験を日々享受している私って凄いでしょう?」
というステルスマーケティングを試みています.


私も今年から田舎暮らしを始めたので,こうした田舎暮らしの様子について,フォトジェニックなものをブログに出したこともあります.
しかし,このフォトジェニック症候群についての対談をしてくれた先輩教員の方曰く,私のブログはフォトジェニック症候群ではないのです.

なぜなら,このブログを読んでも,田舎暮らしをしている私に価値を感じることはないようですし,私としても田舎暮らしの魅力を表現するつもりはありません.

私にとっての「田舎暮らし」は,必要に迫られてとった行動による結果です.
田舎暮らしをする自分が魅力的に映ると考えたから始めたのではありません.

それはこれまでも一緒で,必要に迫られて研究員をやり,必要に迫られて大学教員をやり,必要に迫られて農家を始めたのです.


そんな中で書いている記事も,それらの状況下で必要だと思ったことを,似た境遇の人たちと情報共有しようと思って提供しているものです.

例えば,最近は「鉱泉」を掘って温泉生活をしていることをネタに記事を書いています.
暇つぶしに自宅で温泉を掘りあてた
鉱泉開発継続中|ドロコン(赤土&セメント混合コンクリート)がネット上で紹介されていない件
■毎日自宅で温泉プロジェクト進行中|近場にある須賀留(すがる)温泉を視察してきた
蛇口をひねったら出るようにした|毎日自宅で温泉プロジェクト

これらの記事を,もしフォトジェニック症候群に罹った人が書いたら,間違いなく,
「温泉に浸かって良い気分になっていること」
で書くでしょう.

しかし,上記の一連の記事にあるのは,温泉生活を楽しんでいることではなく,
「湧水の取り扱い方」
「取水堰の施工方法」
「山間部でのセメントの利用方法」
「井戸ポンプと配水の施工手順」
についての紹介です.
今回私が直面したことと同じ,湧水や沢からの採水をDIYで検討している人が読んで参考になるものとして記事を書いています.

これらは,このブログが持っている性格の一面とも言えます.
他にも,「エクセルを使った統計学」がそれです.
統計学の記事
統計記事のエクセルのファイル

最近は,オンライン授業が必要になったからか,4月から閲覧数が爆上がりしているのがこちら.
超便利:授業内レポート(小レポート,リアクションペーパー)作成のコツ


いずれも,できるだけフォトジェニックな(見栄えの良い)写真や画像を用意するよう工夫していますが,直接的なフォトジェニックとしての魅力は一切ありません.

何度もじっくり読み返さないと分からないし,誰もが面白いわけじゃないから読み手も選びます.
ただ必要とする人だけに向けて書き,その読者が「便利」だと思ってくれているだけです.

フォトジェニック症候群か否かの違いは,ここにあると思います.

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