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選挙に行かなくても政治に文句は言える|しつこいけど繰り返し書きますね

正しい議会制民主主義を実現するためには,選挙は必要ではない


本日,東京都知事選挙がありました.
7月5日21時現在では,現職の小池百合子氏が当選確実のようです.

ところで,今回の都知事選挙に合わせて,やっぱり出てきたのが,
「選挙に行かない奴は,あとから文句を言うなよ!」
という主張です.

この主張は完全に間違っています.

これまで私は,「選挙に行かないことは民主主義として正しい」ことを何度か記事にしてきました.

選挙に行かない理由を探している人は、こちらを参考にしてください
民主主義のためには「選挙に行ってはいけない」|「若者よ、選挙に行くな!」は正しい
なぜ「投票しなかった人は政治に口を出してはいけない」と言われるのか?


投票行為が大好きな人や,被選挙人の方々にはカチンとくる話でしょうけど,民主主義国家において「選挙」を考える上で重要な態度と考え方だと思いますので,私としてはしつこくブログ発信しておきます.

上記のリンク先と合わせて読んでもらうと,より理解してもらえるのではないかと思います.
興味のある方はどうぞ.


「選挙に行かない奴は,あとから文句を言うな」の理由や根拠を言える人が全くいない


本当に全くいませんし,それに近しい考えを見たことも聞いたこともありません.
なのに,まるでそれが一つの正論のように世間で語られています.
これは驚くべきことです.

過去記事で,その理由について論じてみました.
なぜ「投票しなかった人は政治に口を出してはいけない」と言われるのか?

そこでは複雑に書いてますけど,ようするに「ムカつくから」です.

むしろ,これをきちんと説明できる人がいたら,ぜひお知らせください.
選挙についての考え方を変える柔軟性は持ち合わせていますので.


彼らの考え方を,日常的なものとしてシンプルに例示すれば,以下のようなことです.

飲み物を買うことになったとします.
オレンジジュース,ウーロン茶,コーラ.

それらを5人で話し合って買うことになったのですが,そのうちの一人が「お前らが勝手に決めろよ」と言って放置しました.

残った4人で多数決をとったら,オレンジジュースが2人,ウーロン茶とコーラが1人ずつ.
オレンジジュースを買うことに決まったのです.

そして,そのオレンジジュースを飲んでみたら,「お前らが勝手に決めろよ」と言っていた奴が「美味しくないよ」と文句を言う.
これに対し,「ムカつく」という気持ちは分かります.
つまりこれが,「決める時点でその権利を放棄した奴は,あとから文句を言うな!」ということです.


いやいやいや,権利放棄していても文句は言っていいでしょ


これがオレンジジュースが「美味しくない」程度の話だったり,その権利放棄者1人だけが「美味しくない」って言うんだったら,「文句を言うな」という考え方が通るかもしれません.
しかし,もっと別のパターンが考えられますよね.

まず,他のウーロン茶,コーラを買いたかった人が,
「このオレンジジュースは本当にマズい.ヤバい! 買い換えろ!」
と怒り心頭なほどに不評であれば,それは「オレンジジュースに対する不満」として合算できるものではないですか?

他にも,もっと重大なパターンもあります.
「このオレンジジュース,腐ってるんじゃないのか? お腹が痛くなってきたんだけど」
という場合.
権利放棄した人の意見も聞き入れるべきじゃないでしょうか.


そもそも,本質的な話として「購入する飲み物の選択」と,「購入した飲み物に対する評価」は全くの別物です.
それを一緒にしたがるのは,人間らしい感情から惹起されるものであって,物事の成否判断とは関係がありません.


飲み物購入の話ひとつ取っても「権利放棄」と「文句を言う」の間に関係性が無いのですから,国民・市民の生活がかかっている政治と,その為政者評価であれば尚の事.
選挙に行かなかった人が文句を言う権利は十分にあるのです.


ついでに,もっと具体的な事例を考えてみましょう.
例えば今回の東京都知事選挙ですが,この「私」は選挙で投票行為をしていません.
だって私は高知県民ですから.

でも,だからって東京都政に文句をつけちゃいけないんでしょうか?

「そうだ! お前は高知県民だろ.もちろん文句をつけられる筋合いはない!」
という人もいるかもしれない.

では,私がこれから東京都に引っ越して「都民」になったらどうなんでしょう?

その時,私は立派な東京都民です.
でも,今回の選挙で投票していないんだから,「選挙に行っていない人」ですよね.
そんな私が東京都での生活で困ったり,退っ引きならないトラブルに巻き込まれて都政に文句をつけたくなったら,「お前は選挙に行っていないから文句を言うな!」となるのか?


「選挙で政策が決まる」と考える方がおかしい


事実上,「選挙によって政策が決まっている」という側面があります.
「そのために私は投票に行っているぞ」という人もいるでしょう.

しかし,それは議会制民主主義の本来の姿ではありません.
そんなつもりで投票している人がいたら,どうか猛省してください.
あなたは,議会制民主主義をとる日本の政治を冒涜しています.


議会制民主主義における為政者は,投票行為をした人も,していない人も,そして賛成派も反対派も,すべて等しくその恩恵を受けられるような政治をすることが求められます.
そのために,議会で議論を尽くすのが仕事です.

選挙というのは,そういう議論ができる人間を選ぶ作業に他なりません.

逆に,適切で健全な議論ができていないのであれば,選挙に行った・行かなかった関係なく,ガンガン文句をつけなければいけません.
それが国民の仕事であり権利です.
これには,投票行為の有無なんぞ関係ないのです.

オレンジジュースが腐っていたら,文句をつけなければいけないのと一緒.
我慢して飲むことはありません.


もっと言えば,この為政者の選出方法は「選挙」である必要もないのです.
実際,例えば古代ギリシャや中世イタリアでは,「抽選制」により為政者を選出していました.
ようするにクジ引きです.

私は,この抽選制による政治家選出はバカにできないと思っています.
むしろ,今後の議会制民主主義における重大なヒントだとも考えていますが,ここでは割愛します.

例えば以下のような書籍で,選挙制を批判して「抽選制」による政治の可能性を説いていますので,興味のある方はどうぞ.



ときどき,
「私の政策は前回の選挙で認められたんだ」
などとホザく政治家がいますね.
あれは典型的なバカ議員です.
今後注意してください.
必ず国民を不幸にします.


最後に一つ.
これ,ホントは言いたかないことなんですけど,結局のところ,
「選挙に行かない奴は,あとから文句を言うなよ!」
などと主張している人って,盤石与党の多数派勢力という「勝ち馬」に乗る俗物根性を発揮しているだけなんじゃないですか.

だってそんな言葉,自分自身が「勝ち組(多数派)」だと認識していなければ発せられないからです.
つまり,自分のことを平均的で常識的な考えを持っている「多数派」だと考える,大衆性の強いマウンティングですよ.
言い換えれば,そういう人ってのは,「多数派」であることを「正しい」とか「勝ち組」だと認識している人だとも言えます.

実際,『大衆の反逆』の著者であるホセ・オルテガ・イ・ガセットは,大衆のことを以下のように定義しています.
自分自身に特殊な価値を認めようとはせず,自分は『すべての人』と同じであると感じ,そのことに苦痛を覚えるどころか,他の人々と同一であると感ずることに喜びを見出しているすべての人

もし自分のことを「少数勢力」だと認識しているのなら,選挙に行かなかった人も巻き込んで,多数派に向けて政治的主張をしたいはずです.
だって,そうじゃないと自分の主張を支持する人は少ないままだから.

逆に言えば,「多数派」にとっては,少数派が連合されると困るのですから,「自分たち」に文句を言ってくる数を減らすためにも,こうした要求をすることは極めて合理的な発想です.

しかし,繰り返しますが,そういう多数派・少数派という考え方を議会での議論に持ち込むことは,原則として間違っています.
議会でやらなければいけないのは,得票数や支持団体の強さを誇ることではなく,万人にとって最適な落とし所や答えを見つけるための,健全な議論なのです.



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