注目の投稿

この本を読んじゃえば,このブログを読まなくていいですよ

コロナ禍|この際,大学で勉強する意義を考え直そう


大学の新入生や高校生向けに書いたとの記述あり.

教養とはなにか?
大学ではなにを勉強しなければいけないのか?

といったことをテーマにしている書籍.
このブログで「大学教育とは?」に関心がある人は,ぜひ.

戸田山和久 著『教養の書』


かねてより,このブログで「大学の存在意義」とか「まっとうな高等教育」だとかを記事にしていましたが,それらについて丁寧に分析・解説がなされています.

というわけで,このブログはお払い箱です.
皆様,長い間でしたが,これまでありがとうございました.


とは言え,今後も,大学教員としてではなく,一人の農家として教養論や高等教育論を垂れ流すことがあるかもしれませんが,たいてい,この本に書かれていることの焼き直しになると思います.

それくらい過去記事との一致度が高いです.
きっと,今後の発言も似たようなものになるでしょう.

あと,先日アップした小説にも,この戸田山氏が述べていることと類似したシーンも散見されます.
※小説はこちら
大学の小説

興味のある人は,探してみてください.
探したくない人は,代表的なシーンがこちらですので,読んでみてください.
21:2012年9月17日
後半部の主要登場人物2人よる会話シーンです.


著者の戸田山氏によると,この本はもともと「名古屋大学の初年次教育科目」のために用意していたものが下敷きになっていると述べています.
ですから,大学教員の方々にとっても,大学初年次教育の授業の参考に使えるかもしれません.
よくあるでしょ,「基礎演習」とか「初年次ゼミ」とか,「大学教育入門」みたいな授業が.


しかし,私が小説の舞台にした「青葉大学」の初年次教育検討委員会の幹部メンバーたちは,こんなことを言うでしょう.

「それは名古屋大学の学生だから通用するんです.青葉大学の学生に教養の大切さを説いても無駄です」

実際,私はそういう委員会に所属していたことがあって,事実,彼らはそんなことを言ってました.

「ふざけんじゃねぇよ.お前ら自身に教養がないから,そんなこと言ってられるんだ」
と,若かりし頃の私はストレスを溜めていましたが,今となっては懐かしい思い出です.

ちなみに,私は偏差値45と60の大学で初年次ゼミを担当しましたが,その反応や理解度は両大学で変わりませんでした.
どちらも,分かる学生には分かってくれるし,分かんない学生には時間とタイミングが別で必要です.
結局,伝え方の問題だったり,レディネスの問題だったりするんです.

ここで最凶にヤバいのは,それを教育する立場である教員の側にある,
「どうせコイツらに言っても理解できねぇよ」
っていう態度です.

50人中10人が理解できるクラスと,50人中3人しか理解できないクラスがあったとして,じゃあ,前者にしか教養の重要性や,大学教育の意義を伝えないのか? ってこと.
ここで重要なのは,半数以上,概ね7割くらいの学生は理解できません.

授業って言うと,全ての学生に理解できるようにするのが教員の務めだと思われているフシがありますが,それは努力目標であり,現実には無茶です.
むしろ,そんなことができるんなら,世界はもっと平和になってるはずですよね.

でも,たとえ1人しか理解してくれなくても,大学教育なんだからやるべきです.
そんな教員側のコスパ感覚とか達成感に基づく授業展開を検討している時点で,そこはブラック大学であり,Fラン大学なんです.


教養とはなにか?


著者は,「教養」を以下のように定義します.
社会の担い手であることを自覚し,公共圏における議論を通じて,未来へ向けて社会を改善し存続させようとする存在であるために必要な素養・能力であり,また,己に規矩を課すことによってそうした素養・能力を持つ人格へと自己形成するための過程も意味する.

教養を高める使命を大学が担っているとすれば,大学生が大学で勉強する理由というのは,
①自分のため
②国家のため
が建前上は重要でもあるんですけど,究極的には,
「人類のため」
なんですよ.
綺麗事でも絵空事でもなく.

このブログでも,かなり以前の記事で,カール・ヤスパース 著『大学の理念』を引きながら論じたことがありました.



大学について
大学について2

大学の存在意義や高等教育について,ヤスパースはこう言います.
大学は,移ろいゆくことのない理念,つまり教会のそれと同じような,国家を超越した,世界に広汎に通用する性格の理念に基づいて自ら固有の生命をもつのです.
大学は,民族の表現なのです.しかし,大学は,真理を追求し,人類に奉仕することを願い,人間性を端的に表出しようとするものです.(中略)それ故,なるほどそれぞれの大学は,一つの民族に属しているのではあるのですが,しかし民族を越えるものを把握し,実現しようと努めるのです.

詳しい話は戸田山氏の『教養の書』を読んでもらうとして,では,教養を身に着けて,社会や人類に貢献できることを目指す理由とはなにか?

それは,人生を楽しくするためです.
それ以上の理由はないと戸田山氏は言います.

決して,より良い就職先を得たり,役に立つ知識を得るために大学に通うのではありません.
そう考えると,コロナ禍で先行き不透明な時代に「大学に通う」ことの意義や理由も見えてくるのではないでしょうか.



関連記事
この20年間で学生の「質」は変わったのか? その1
この20年間で学生の「質」は変わったのか? その2
大学について
大学について2
専門職大学に思うところ(1)
大学教育の質が低下している?


関連書籍
  

コメント