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この本を読んじゃえば,このブログを読まなくていいですよ パート3

デタラメな結果を生む「選挙制度」をやめよう


過去記事で何度か「選挙制度」を批判してきました.

我ながら,結構精力的に書いています.
選挙に行かなくても政治に文句は言える|しつこいけど繰り返し書きますね

古い記事だと2017年に,
っていうのを書いていて,ここで初めて「私は思想信条の理由から選挙には行っていません」という告白をしています.


元来,選挙制度はデタラメな結果を生みます.
そして,必ず衆愚政治に陥るシステムです.

面白おかしく「政(まつりごと)」を楽しむことができる一方で,それこそただの「お祭り」で終わる制度,それが「選挙」です.


本来,選挙は「人間」が投票してはいけませんでした.
「選挙」という字の由来に遡れば,それは「大いなる存在」や「運命」や「神」が執り行わなければいけないのです.

「なんじゃそれ.こりゃ危ないブログ記事にあたっちゃったな」

などと言って,ページを閉じるのはもう少し待ってください.
別に宗教がかった啓発をしたいわけではありません.


「選挙は民主主義の根幹を成す」
などと言われます.
それはたしかに正しいのですが,問題は運営方法です.

過去の人類の歴史から,現代の多くの民主主義国家では,“選挙結果がそのまま政治に反映されない” ように工夫されています.
なぜなら,選挙結果をそのまま反映したら,多数派の意見を優遇する碌でもない政治が展開され,国や社会の崩壊はまぬがれないからです.

ですから,そのための工夫として,
「議会制」
「二院制」
を用いていることが多いですね.

つまり,2つの異なる議会の場で話し合いをして決めるシステム.
そして選挙は,その話し合いをする代表者を決めるために用いられています.

しかし,その話し合いをする人を決める選挙において,有権者である市民・国民は,
「より有意義な話し合いをしてくれそうな人」
ではなく,
「自分の意見と一緒な人」
「自分の意見を通してくれそうな人」
に投票してしまうようになります.

「え? それが選挙の目的じゃないの?」
って思った人は,既にこの選挙制度を悪用している人間と言えます.
無自覚的悪行と言っていいでしょう.

そんな調子で政治をやっていると,結果としてデタラメな政治家が誕生し,人気があるからって出世したり,他に代わりがいないからって絶大な権力を長期に渡って持ち続ける政治家が出てきてしまいます.


それもこれも,
「人間は誰もが,しっかり熟慮すれば合理的で正しい判断が可能である」
という思想から始まっています.

常識的に考えれば,どんなに熟慮しても正しい判断ができない人はいます.
いえ,圧倒的多数の人が「しっかり熟慮」なんかすることできません.
自分好みの愛国者を選んだつもりで,とてつもなく売国奴を選んでいたりする.挙げ句,そのことを全く自覚できないままで.

細かい話は過去記事でも読んでもらうとして,ここでは上記のようなことを理路整然と解説している書籍がありましたので紹介します.
実際,私の過去記事の内容は,ほぼこの本で言い尽くされています.

「選挙という制度に疑問を持っている.けど,自分の頭の中で整理できない」
という人には強烈にオススメです.

D・ヴァン・レイブルック 著『選挙制を疑う』


著者は,現代において腐り切った民主主義政治を執り行う国々を見渡し,このように診断します.
その責任は何にあるのか? と.

それはポピュリズムであり,政治家本人に責任があるのではないか?
それはテクノクラシーであり,民主主義の構造に責任があるのではないか?
それは複雑化した手続きや不透明な抗争であり,その元となる代議制民主主義に責任があるのではないか?

否,そうではない.
これらは全て,ある一つの政治システムからトラブルが発生している,というのが著者の見立てです.
それこそが「選挙」であり,選挙型代議制民主主義だというものです.

つまり選挙を用いると,政治家はポピュリズムに陥り,民主主義はテクノクラシーに陥り,代議制民主主義は「次回の選挙」を目指した権力抗争に陥ります.

じゃあどうすればいいのか?

著者はこれに対し,
「だったら選挙をしなければいい」
ということで,
抽選制を採用する」
ことを提言しています.

「抽選制」
これは何も新しい政治システムではありません.
かつてのいくつかの民主政治では,抽選制が採用されていました.
古代ギリシャ・アテナイ,ルネサンス期のイタリア都市国家など.
いずれも当時は健全な民主政治が執り行われていた記録が残っています.

それに,抽選制であれば,選ぶのは人間ではなく「神」や「運命」です.
つまり,本来の「選挙」の意味になるのですよ.

現在でも,非常に公平中立な判断が求められるものには抽選制が採用されています.
例えば,陪審員や裁判員などです.


考えてみれば当然というか,逆におかしな話ではないですか?
代議制民主主義の根幹は,公平中立な話し合いが成されることのはずですよね.
だったら,その話し合いをする政治家も「抽選」によって指名されるのが道理というものではないでしょうか.
なぜここで「選挙」が選択されてしまうのか,そっちの方がなんぼか不思議です.


それに,抽選制を用いるメリットは多いのです.
まず,特定の個人・組織に対する賄賂や権力集中が発生しません.
抽選ですから,どこの誰が当選するか分からないので当然です.

それに,政治課題に対する人々の注目度が俄然高まります.
選挙ではなく,どこの馬の骨とも知れぬ人々が話し合いをして判断・決断するのですから,どんな議論になっているのか,その手続きや進捗状況に注目することは間違いないでしょう.


逆に,デメリットもあります.
もし現在の政治家と同じ仕事量や職務内容に取り組んでもらう人間を,抽選によって選ぶとしたら無理があります.
まったく政治に興味がない人や,著しく偏った政治思想をしている人が抽出されることがあるのですから.


そこで著者は,こうした抽選制のデメリットを緩和するため,
「抽選型代議制民主主義政治を実現するための具体的な方法」
についても紹介しています.
これが非常に参考になります.

詳しくはこの本を読んでもらいたいのですが,以下の方法です.
それは,政策決定過程を分割して,その部門ごとに抽選型政治家・議員を置くのです.
これにより,政策の立案から制定までを同一人物・党組織が担当しないので,権力抗争による影響を受けず,透明性も高く,議員たちの負担も軽減されます.

例えば,
・政策提案議員:その国や自治体にとって必要だと思われる政策のアイデアだけを出す議員
・政策審査議員:提案された政策案の中から,現時点で本当に必要だと思われる案を選び出す議員
・政策決定議員:選び出された政策案について,立法のための手続きをとる議員
・政策監視議員:立法作業を監視・統制し,市民やジャーナリストからの指摘を受け付ける議員

・・・といった議員を用意し,それぞれで「その部門だけの仕事」をさせるという方法です.
これなら実現可能性は高くなります.


現在のところ,抽選制の政治を「選挙制の政治」に置き換える動きはありません.
しかし,日本で言うところの「衆議院」「参議院」のどちらか一方,またはそれに加えて「第三の院」として配置する提案をしている国や自治体はあるようです.

つまり,「選挙制の院」と「抽選制の院」で政治を動かしてはどうか?ということ.

よく,
「衆議院も参議院も,結局は同じような選挙結果になるのだから,もはや一院制で良いのではないか」
などと言われることがありますよね.
それに対する改善策として,どちらかの院を抽選制にしてはどうでしょうか.


選挙による政治に限界を感じている人は,ぜひ一読をオススメします.


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