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自分が理解できないから「おまえは間違ってる」っていうの,やめてほしいですよね

大学改革は順調に進んでいます


このブログでも,大学改革のバカ騒ぎを指摘し続けて,早10年以上になりました.

そういうのを私が書き始めた当時は,
「大学改革は百害あって一利なし」
などとネット等でおおっぴらに言ってた大学教員は,極少数だったんですよ.

世の中全体が「大学改革推進」の流れでしたからね.
当時は私も20代で,責任の弱い立場だったからでしょう.
もっと背負うものがあったら,躊躇しているかもしれない.

改革反対派として有名どころでは,神戸女学院の内田樹先生とかかな.
(ただし,内田先生にしても,元々は改革推進派だった,とご自身が著書で述べられています)

さて,そんな大学改革ですが,大学業界人の多くの皆さんも,昔からなんとなくその胡散臭さには勘づいていて.
こうした大学改革に,異様なテンションで嬉々として取り組んでいる教職員を冷ややかな目で見ていたことと思います.

ところがどっこい.
「どうせそのうち飽きてきて,改革ごっこは終息するだろう」
などと高を括っていたら,あれよあれよと言う間に,巨大な渦になってしまいました.

特に2000年代後半からの大学改革の動きは,学術業界にトドメを指すものになりました.

もともと大学改革の動きは90年代初頭から始まっているものですが,2006年に発足した安倍晋三内閣がこれに燃料を投下します.
教育基本法改正と,それに伴う大学改革のスピードアップです.
教育基本法(Wikipedia)

この燃料がとても良く燃えました.
大炎上となって,今や,学校や大学は焼け野原です.

その後,民主党政権下でもこの動きは止まらず,政治家も世論も「教育改革」の大合唱.
大学だけでなく,小中高そして幼保や学習塾などの教育業界全体が沈み続けます.

2012年から返り咲いた安倍晋三政権は,さらに教育現場を疲弊させ,研究現場を破壊してきました.

皆の合言葉は,
「日本を立て直すためには,教育改革が待ったなし」
というものでした.
特に右翼・保守系の人たちが熱心です.

当時,教育を改革することで「悪くなっている」ことについては,完全に無視していましたよね.

以前から言っているように,右翼や保守が教育を語ると碌なことがありません.


それがようやくここ数年ほど,
「教育現場が崩壊している! それはなぜか!」
などと叫ぶようになったんですけど.

だからあれほど言ったのに...


それが私の偽りのない,心の底から湧き出る言葉です.

よくもまあ,これだけ日本の教育を崩壊し尽くしましたよね.
もうこれ以上壊れるものがないんじゃないかと思います.


私は最近...,と言ってもこの5〜6年ですが,ブログで大学改革の話を取り上げることが激減しました.
「もう手遅れだな」
「もはやこれまで」
という状態だからです.

このまま堕ちるところまで堕ちて,そこから再生を開始するまでに20年〜30年くらいはかかるかなぁ〜って考えています.

私が大学教員を昨年度を最後に辞めたのも,それが理由の一つです.
当分は浮上することのない業界,そしてその撤退戦に参加するのはしんどいですから.
「せっかく恵まれているのに,もったいない」などと言われることもありましたが,こんなのは私の精神衛生上よくありません.
そんな仕事は辞めるに限ります.

よく,今の日本の経済不況を前にして,
「最近の若い奴らはけしからん.俺たちはド貧乏から這い上がって,日本を世界有数の経済大国にしたんだ.お前らは恵まれているのに,何を文句ばかり言ってるんだ!」
などと説教を始める高齢者がいますよね.

人間というものが,まるで分かっていない無教養な人間の典型です.

人は,どんな立場であっても「希望」や「上向きのエネルギー」があれば楽しくやっていけます.
逆に,どれだけ恵まれていようと,「絶望」や「下向きのエネルギー」の業界では不幸になります.

これだけの稼ぎがあるから幸福,こんなステータスだから幸福,などと判断することはできません.
年収1億円であっても日々の生活にストレスを感じて死にそうな人がいる一方で,毎日の生活費に困りながらも将来に希望を持って生きている人がいるのです.
どちらが幸福な人間なのかは,論を俟たないでしょう.


もっと言えば,バカな奴はここに至って「平均」の概念を持ってきて語ろうとします.
年収1億円の人と,100万円の人であれば,平均的には1億円の人のほうが幸福度が高いのではないか? とか言いだすわけ.

さっきまでの私の話を聞いてた? って,それこそ絶望的になります.

すると,それが理解できないからって,それにまた文句つけだすんです.
もうね,結論ありきなの.

自分が理解できないから「おまえは間違ってる」って言い出す奴


教育改革,そして大学改革を推し進めるエネルギーにも,それが大いに感じられました.

私の小説に,こんなシーンが出てきます.
藤堂道雄先生という,とても無能で厄介な大学教員が,大学改革と授業改革の必要性を声高に叫ぶのです.

なお,引用元はこちらです.
 藤堂はイチゴ大福を頬張りながら、オペラ歌手のように両腕を広げて言う。
「みーんな期待してますよ。兵藤先生やったら、なんかやってくれるんちゃうか、いうて。いっぺん、大学という枠組みをぶち壊してもえぇんちゃいますか? 皆、頭の中が古すぎるわ。よう分からん授業を展開しても、社会人になってから全然使えない人材ですからね。今までずっとそうやったんや、日本の大学は。私も、大学の授業なんて、これっぽっちも覚えてませんよ。これからの大学、そして未来の大学を考えて、私らの能力を使ってもらいたいですね。そのためやったら、私はこの身を喜んで捧げますよ。どんなドサ周りでもやりますから」

そう言えば,前々回のブログ記事である,
でも,同じようなこと言ってた面接官が登場しますよね.

この,
「大学の授業は,社会に出た時に役立つ内容にするべき」
という主張は,2000年代初頭に猛威を奮いました.

実のところこれが,大学・高等教育を崩壊させた主要因の一つでもあります.

その影響を受けて2017年から始まったのが「専門職大学」です.
専門職大学(Wikipedia)


でね,こういう主張をする人の口からよく出てきたのが,
「私も、大学の授業なんて、これっぽっちも覚えてませんよ」
というセリフです.
大学の授業を改革しようという輩が,口々にそう言ってた.

謙遜のつもりかどうか知りませんけど,ホント,勘弁してほしいですよ.

自分が理解できないからって,その理解できなかったことを否定して良いことにはならないでしょう.


そんなわけで,大学改革って,ある種の「恨み」とか「復讐」から惹起されているところがあるんですよね.
これについては,また次の機会に取り上げたいと思います.


コメント

  1. この手の話で著名なのは曾野綾子の 「学校を出てから、二次方程式の解の公式なんて一度も使う機会はなかった」 かもしれません。数学嫌いがよく学校の数学の授業に恨みを抱くかのようなことを口走りますね。 あとは橋下徹の 「学校で英語を十年習って、喋れるのはグッドモーニングだけ」 もひどかったですね。阪大ってそんなレベルなんですか? 確かに学校の授業・講義がつまらないことは多いのですが、それは担当者がカリキュラムに縛られているからであり、熱意がある人がその分野を熱く語れば、聞き手の目の輝きもまるで変わってきます。教育者の自由度を奪っている日本の教育の現状こそ問題でしょう。 また、評価が厳しい物理・統計などを「キツかった」「つまらなかった」と言ってくる学生も多いのですが、「習った経験があれば、今は不要な知識に感じても、将来必要になったときに自分で学ぶことができる。知らなければ、学ぼうとすることすらできない。若いうちにはいろんな経験をしておいた方がいいよ」などと言っています。 私も、この手の話によく悩まされているのでついコメントしてしまいました。失礼しました。

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