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モラトリアム・プロトコル 第三章

 

第三章 領主と、処理されない値

3-1 審査の一行目

 梶原が役所にいた最後の三年間、彼の仕事は、土地を引き取らないための基準を作ることだった。

 制度の名前は、相続土地国庫帰属制度という。相続や遺贈で取得した土地を、一定の要件を満たす場合に限り、国が引き取る。長く議論されてきた仕組みで、法律が通ったときには、いくつもの新聞が好意的に書いた。所有者不明土地問題への一歩、という見出しだった。

 梶原は、その要件を書く側にいた。

 要件は、否定の形で書かれる。建物があるものは駄目である。担保や使用収益権が設定されているものは駄目である。他人の通行に使われている土地は駄目である。土壌が汚染されているものは駄目である。境界が明らかでないもの、所有権について争いのあるものは駄目である。崖があって管理に過分の費用がかかるものは駄目である。除去しなければ使えない工作物や樹木、地下の埋設物があるものは駄目である。

 そのうえで、承認された場合は、十年分の管理費に相当する負担金を、申請者が納める。

 条文を書きながら、梶原はその構造を理解していた。理解したうえで、書いた。国が引き取れるのは、更地で、平坦で、汚れておらず、境界が確定していて、誰も文句を言わない土地である。

 そういう土地は、たいてい、売れる。

 負担金の額も、決まっていた。原則として、十年分の管理費に相当する額である。粗放的な山林であれば二十万円程度。宅地や、市街化区域の農地であれば、面積に応じて増える。

 窓口には、こういう相談が来た。

 母が死に、実家を相続した。市街地から車で一時間の山あいで、家は空いている。売りに出したが二年間、内見が一件もない。不動産業者に、これは扱えないと言われた。固定資産税は年に一万円ほどだが、それより、台風のたびに屋根が飛ばないかが心配で眠れない。国に引き取ってほしい。

 答えは、決まっていた。まず家屋を解体してください。それから境界を確定してください。それから、負担金をご用意ください。

 解体に数百万、測量に数十万。そこまで払って、さらに負担金を納めて、ようやく手放せる。

 多くの人は、そこで話を終えた。終えて、家をそのままにした。

 運用が始まって、窓口には相談が殺到した。ほとんどが、申請にすら至らなかった。梶原の部署に上がってくる数字は、毎月同じ形をしていた。相談件数が数千、申請が数百、承認がその一部。承認された土地の多くは、平野部の農地か、市街地の空き地だった。

 三年間、彼は却下の理由が並んだ一覧を見続けた。

 建物あり。境界未確定。境界未確定。崖あり。建物あり。争いあり。土壌汚染の疑い。建物あり。

 同じ行が、何百と続いた。

 あるとき、部下の一人が言った。この制度は、要らない土地を捨てたい国民のためのものじゃないんですね、と。

 梶原は、そのとき初めて、自分たちが作ったものの正体を口に出した。

「制度が想定していたのは、要らない土地を捨てたい国民ではない。捨てられた土地を引き取りたくない国家だ」

 部下は笑わなかった。梶原も笑わなかった。

 その半年後、彼の父が死んだ。

 父は、日本海側の中山間にある集落で、最後まで一人で暮らしていた。八十四歳だった。梶原が高校を出るまで住んだ家である。母は先に死に、兄弟はいない。

 葬儀のあと、彼は家の中を片付けた。仏壇、位牌、古い写真、父が読んでいた新聞の束。台所の棚に、賞味期限の切れた乾麺が並んでいた。

 父は、最後の五年ほど、ほとんど誰とも会わずに暮らしていた。集落は九戸まで減っていて、そのうち三戸が空き家である。買い物は、週に二度来る移動販売の車でしていた。梶原は年に二度帰り、二度とも、帰るたびに冷蔵庫の中身を捨てた。

 父は一度だけ、この家をどうするつもりだ、と訊いてきた。

 梶原は、そのとき、制度の話をした。国が引き取る仕組みができること、要件はまだ詰めている段階だが、条件が合えば使えるかもしれないこと。父は頷いて、それきり何も言わなかった。

 いま思えば、父はあの家を残す気でいたのだと思う。残せると思っていたのではなく、自分が死ぬまでは自分が持つ、という意味である。その先のことは、たぶん考えていなかった。考えないまま死ねる程度には、健康だった。

 家は木造二階建てで、築六十年を超えていた。裏手に山を背負っていて、家との間に、コンクリートの擁壁が立っている。高さは四メートルほど。父が若いころ、集落の何軒かが共同で工事を入れたものだと聞いていた。昭和四十年代の話である。

 山は、家と一緒に相続することになった。八ヘクタールある。杉が植わっていて、最後に手が入ったのは三十年前だった。

 梶原は、東京の自分の家で、申請書を書いた。

 自分が要件を書いた制度に、自分で申請した。

 結果は、早かった。

 審査の一行目である。

 建物があること。それだけで、その先の項目は見られない。制度は、家屋の残っている土地を引き取らない。壊してから来い、という設計である。

 解体の見積もりを、地元の業者に頼んだ。二社に断られ、三社目が出してきた。四百万円を超えていた。道が狭く、重機を入れるのに手間がかかること、廃材の運搬距離が長いこと、そして冬季は着工できないことが理由だった。

 仮に払ったとして、更地にしたところで、次の行に進むだけである。

 境界が未確定であること。四方のうち、二方は隣接する山林で、名義人は明治生まれの人物だった。相続人が何人いるかは、調べる前から想像がついた。

 そして、擁壁である。

 四メートルのコンクリート。造られたのは昭和四十年代で、当時の基準で施工されている。現行の基準は満たしていない。水抜きの穴の数も、背面の排水層の仕様も、いまの設計では通らない。

 管理に過分の費用を要する工作物。要件の文言としては、そう分類される。

 その文言を起案したのは、梶原自身だった。

 彼は、却下通知を最後まで読んだ。書式に落ち度はなかった。彼が定めたとおりの手順で、彼が定めたとおりの理由が並んでいた。

 その夜、彼は自分の書いた条文をもう一度読んだ。何度も読んだ文章である。読み違いはなかった。

 制度は、正常に動作していた。

 問題は、正常に動作した結果、この国のどこにも行き先のない土地が、ひとつ増えたことだった。

 増えたのではない。もともとそこにあったものが、行き先がないと確定しただけである。確定させたのは、彼が作った制度だった。

 梶原は、家をそのままにした。

 電気を止め、水道を止め、郵便物の転送手続きをした。年に一度、盆に帰って、家の周りの草を刈った。刈るのは半日で終わった。父が生きていたころは、同じ範囲を、父が月に一度刈っていた。

 二年目の盆に行ったとき、擁壁の下の側溝に、細かい砂が溜まっているのに気づいた。

 彼はそれを、手で掻き出した。

 そのときは、それで終わったと思っていた。


3-2 県道に出た土

 三年目の三月だった。

 その冬は雪が多かった。梶原はそれを、あとから気象庁の記録で確認した。十二月から二月までの降雪量が、平年の一・四倍。三月に入って気温が上がり、一週間で急速に融けた。

 融けた水は、山の斜面に染み込んだ。

 染み込んだ水は、地形の低いところを選んで、地中を流れる。梶原がそれを理解したのは、ずっとあとになってからである。当時の彼は、土の中を水が流れるということを、条文の言葉としてしか知らなかった。

 水は、擁壁の背面に溜まった。

 水抜きの穴は、造られたときには機能していた。六十年のあいだに、穴の内側に土と根が入り、詰まった。詰まったことに、誰も気づかなかった。気づくためには、誰かが年に一度、そこを見なければならない。父が生きているあいだは、父が見ていた。

 三月十七日の午前、法面が滑った。

 四メートルの擁壁は、押し倒される形で前へ傾き、背後の土をまとめて下へ落とした。土砂は家の裏手を回り、家そのものにはほとんど当たらず、その下の斜面を流れ下って、県道に出た。

 県道は、幅が五・五メートルある。土砂は、そのうちの三メートル半を塞いだ。

 その道を、軽トラックが通りかかった。

 運転していたのは、七十四歳の男性だった。集落の一番下に住んでいて、その朝は隣町の医院へ行く途中だった。

 男性は、土砂を避けようとしてハンドルを切り、そのまま路肩から落ちた。落差は三メートルほどである。車は横転し、彼は脊髄を損傷した。

 死者は、出なかった。

 梶原は、その日の午後、県警からの電話でそれを知った。会議の途中だった。廊下に出て、五分ほど話し、席に戻って、会議の残りに出席した。何を議論していたかは覚えていない。

 その夜の新幹線で、彼は現地へ向かった。

 着いたときには、県の土木事務所が仮の応急工事に入っていた。夜間照明の中で、バックホーが土砂を掻いていた。梶原は、その光の外側に立って、自分の家の裏の斜面を見上げた。

 黒い口が開いていた。

 彼は、そのときのことを、正確に覚えている。何を感じたかではなく、何を考えたかを、である。

 彼が最初に考えたのは、責任の所在だった。

 土地の工作物の設置または保存に瑕疵があり、それによって他人に損害が生じたとき、まず占有者が責任を負う。占有者が必要な注意をしていたときは、所有者が負う。所有者の責任には、過失の有無を問わない。

 条文の番号まで、そらで言えた。役所に入った年に覚えた条文である。

 占有者は、いなかった。誰も住んでいない家だった。

 だから、所有者が負う。

 彼が知らなかったとか、擁壁が六十年前の施工だったとか、当時は基準を満たしていたとか、そういう事情は、この責任の枠組みには入らない。

 入らないように書かれている。被害者を救済するために、そう書かれている。梶原は、その趣旨を正しいと思っていた。いまでも正しいと思っている。

 示談の交渉は、一年半かかった。

 相手方の男性は、下半身の自由を失った。回復の見込みはないと診断された。妻がいて、息子が二人いた。

 交渉の場で、梶原は一度だけ、相手の妻と目が合った。

 彼女は、彼を睨まなかった。責める言葉も言わなかった。ただ、書類の説明が続くあいだ、ずっと湯呑みの縁を見ていた。その横顔を、梶原は覚えている。

 賠償の総額は、逸失利益と介護費用と慰謝料を積み上げて、一億円を超えた。

 彼が入っていた保険は、居住していない家屋の付属工作物について、支払いの対象外だった。約款を読み落としていたわけではない。読んだうえで、必要ないと判断していた。人の住んでいない家に、そこまでの保険はかけない。多くの人がそうする。

 彼は東京の自宅を売り、退職金を充て、それでも足りなかった。

 役所は辞めた。懲戒ではない。彼の起こしたことは公務とは無関係で、法的には何の処分にも当たらない。ただ、彼は自分が設計した制度の要件に自分の土地が落ち、その落ちた土地が人を潰したという事実を抱えて、あの席に座り続けることができなかった。

 妻とは、その翌年に別れた。恨まれたわけではなかった。彼女はむしろ、支払いを分担すると言った。梶原がそれを断った。断り方が悪かったのだろう、と彼はあとで思っている。

 その年、彼は本を買い始めた。

 地盤工学の入門書、擁壁の設計指針、斜面崩壊の事例集。役所にいたころ、どれも部下が読むものだと思っていた本である。彼は五十を過ぎてから、土の中で水がどう動くかを、初めて自分の頭で理解した。

 水は、地表を流れるだけではない。土の粒のあいだを、目に見えない速さで移動する。移動しながら、土の粒同士を押し広げる。押し広げられた土は、粒と粒の噛み合わせを失う。噛み合わせを失った土は、斜面の角度を保てなくなる。

 崩れるのは、雨が降ったからではない。土の中の水の圧力が、ある値を超えたからである。

 その値を超えるかどうかは、水抜きの穴が生きているかどうかで決まる。

 穴が詰まるまでに、六十年かかった。

 六十年のうち、最後の三年だけが、彼の管理だった。それ以前は、父が見ていた。父が何をどう見ていたのかを、梶原は一度も訊かなかった。訊く必要があるとも思っていなかった。

 残ったのは、分割の支払いだった。

 毎月、決まった日に、決まった額を振り込む。相手方の口座は、男性の妻の名義になっている。振込の控えには、その名前が印字される。

 彼はそれを、十数年払い続けている。あと数年で終わる。

 振込のたびに、その名前を目にする。忘れることは、構造的にできないようになっている。

 人に話したことは、ほとんどない。

 ただ一度だけ、酔った同期にしつこく訊かれたとき、彼はこう答えた。

「死んでくれていれば、私は裁かれて終われた」

 同期は、黙った。

 業務上過失致死であれば、刑事の手続きに乗る。捜査があり、起訴か不起訴かが決まり、有罪なら刑が言い渡され、刑は執行され、そこで終わる。終わりの日付が、紙に書かれる。

 男性は生きている。生きて、車椅子で暮らし、介護を受け、これから何年も生きる。

 だから、終わりの日付はない。

 あるのは、毎月の振込日だけである。

 その日付が、梶原にとっての制度になった。彼はもう、国家が定めた終わりを持っていない。自分で定めるしかない。

 そして彼は、ひとつだけ、自分に対する掟を書いた。

 二度と、自分の管理下にある斜面で、人を潰さない。

 それだけである。ほかには何も書かなかった。

 一度だけ、支払いの途中で、相手方から手紙が来たことがある。

 男性本人が書いたものだった。字は乱れていたが、内容は事務的だった。介護保険の区分が変わり、自己負担の額が変わったこと。それに伴って、来年度の請求額を調整したいこと。最後に、一行だけ、別のことが書いてあった。

 あの日は、雪解けの水が道に出ていたので、いつもより慎重に走っていました。

 梶原は、その一行を何度も読んだ。

 責める言葉ではなかった。事実の記載である。慎重に走っていた人間が、それでも落ちた。慎重さの量が足りなかったのではない。慎重さでは、間に合わない種類のものが落ちてきたのである。

 彼は返事を書かなかった。書ける言葉がなかった。

 その手紙は、いまも事務所の引き出しに入っている。


3-3 入会地

 事務所の壁に、一枚の古い図面が貼ってある。

 明治期の地籍調査でつくられた公図の写しである。原図は県の文書館にあり、梶原はその複製を取り寄せた。日本海側の、いまはもう地図から消えた集落のあたりが描かれている。

 線は、いまの公図とは違う形をしていた。

 一筆ごとの区画は不揃いで、境界は沢や尾根に沿って曲がっている。そして、山の大半を占める広い部分には、細かい番号が振られていない。

 入会地である。

 誰か一人のものではなかった。集落の者が、決められた範囲で薪を採り、萱を刈り、家畜を放した。誰がどれだけ使えるかは、村の中の取り決めで決まっていた。取り決めを破れば、罰があった。罰を与えるのも、同じ村の人間である。

 管理する者と、利用する者が、同じだった。

 梶原は、そこが要点だと考えている。

 近代国家は、それを解体した。地租を取るためである。税を取るには、すべての土地に、一人の所有者と、一つの地番が要る。誰のものでもない山からは、税が取れない。だから入会地は、官有地に編入されるか、私的所有に切り分けられた。

 所有権という制度が全国に敷かれたのは、徴税の必要があったからだ、と梶原は考えている。個人の自由のためではない。近代的な人格の確立のためでもない。台帳に一人の名前を書き、その名前に納税義務を紐づけるためである。

 その仕組みは、百年以上、機能した。

 機能しなくなったのは、土地から取れる税が、その土地を管理する費用を下回ったときからである。

 いま、中山間の山林に課される固定資産税は、多くの場合、免税点を下回っている。市町村は、その土地から一円も取っていない。取っていない以上、その土地の名義人を追跡する動機も薄い。

 しかし、所有権に紐づいた責任だけは、残っている。

 擁壁が崩れれば、所有者が賠償する。木が倒れて隣家を壊せば、所有者が賠償する。誰かが崖から落ちれば、所有者の責任が問われる。過失の有無を問わない。

 国家は、徴税をあきらめた。あきらめたが、責任は下ろさなかった。

 残っているのは、賠償責任だけを所有者に押しつける、空の器である。

 だから、梶原がやっていることは、破壊ではない。

 巻き戻しである。

 近代的な所有権を意図的に機能不全に陥らせ、誰の私有物でもない状態へ戻す。名義を散らし、持分を分割し、追跡を不可能にする。手続きは全部、合法である。持分の譲渡は自由であり、法人の設立も自由であり、外国法人が国内の土地を持つことも、現行法は禁じていない。

 梶原は、それを丁寧に、大量に行っているだけである。

 手順は、案件ごとに少しずつ違う。

 基本の形はこうである。まず、彼が用意した合同会社が土地を取得する。次に、その土地の共有持分を、細かく分割する。百分の一、二百分の一という単位で、別の法人や個人へ移す。移す先は、彼が管理している法人が数十、それから、報酬と引き換えに名義を貸す個人が何十人かいる。そのうち何人かは国外にいる。

 持分の一部には、地上権や賃借権を設定する。設定先は、また別の法人である。抵当権を設定することもある。被担保債権は少額でよい。権利が一つ載るごとに、その土地を処分するために必要な合意の相手が一人増える。

 登記は、正確に行う。

 そこが要点だ、と梶原は考えている。違法な登記をすれば、そこが弱点になる。彼が作っているのは、法の外にある構造物ではない。法の内側にある、極端に複雑な構造物である。

 一つひとつは、どれも普通の取引である。合わせると、解くのに数年かかるものになる。

 もっとも、これで国家を止められるわけではない。

 所有者不明土地を管理するための制度は、実在する。裁判所に管理人の選任を申し立て、公告を経て、処分に至る道は開いている。行政代執行という手段もある。法的には、可能である。

 可能であることと、行われることは、別である。

 一筆について数百人の共有者を公告で探索し、管理人の選任を申し立て、その手続きを筆の数だけ繰り返す。一件に数年と、数千万円がかかる。そこまでして辿り着く先には、汚染された廃工場と、崩れかけの山がある。処理すれば、さらに数億。

 対して、放置する費用はゼロである。

 役所が動くかどうかを決めるのは、法的な可否ではない。担当者の書いた稟議が通るかどうかである。梶原はその稟議を、二十年以上、内側から見てきた。

 彼の防壁は、法律でできているのではない。

 国家の財政難でできている。

 この構造には、ひとつだけ、決定的な弱点がある。

 人が死んだときである。

 平時の行政代執行は眠っている。予算がつかないからである。だが、土砂が県道を塞いで人が死ねば、翌週には目を覚ます。新聞に載り、議会で問われ、担当者の稟議は通る。通ったあとは早い。管理人が選任され、費用の求償が始まり、名義を散らした先の法人が一つずつ開けられていく。

 だから、梶原の絶対条件は、ひとつしかない。

 外に、実害を出さないこと。

 それは戦術ではなかった。彼が毎月、他人の妻の名義の口座に金を振り込んでいる理由そのものである。

 その日の午後、梶原の事務所に、若い男が入ってきた。

 ノックはしなかった。扉を開け、雪を払い、上がり框のない床にそのまま立った。作業着の上に古い防寒着を着ている。二十代の後半に見えるが、正確な年齢を梶原は知らない。

「三沢の山、見てきた」

 男は言った。ユラという。それが名前なのか、そう呼ばれているだけなのかも、梶原は知らない。

「どうだった」

「擁壁は二十メートル。水抜き穴は八本。生きてるのは二本」

 ユラは、防寒着のポケットから折り畳んだ紙を出し、机に置いた。手描きの断面図だった。

「背面に水が入ってる。壁の下の側溝に、細かい砂が出てた。あれは中から出てきたやつだ」

 梶原の指が、机の上で一度止まった。

「下は」

「林道が一本。その先の沢沿いに家が二軒。片方は空き家。もう片方は、七十代の夫婦が住んでる」

「工期は」

「雪が消えてからだと遅い。融ける前に、上の水を抜く。仮の集水路を掘るだけなら、四日でやる」

「費用は」

「重機の燃料と、俺の飯代」

 梶原は、断面図を手に取った。

「やってくれ」

 ユラは頷き、そのまま出て行こうとして、扉の前で止まった。

「ひとつ訊いていいか」

「どうぞ」

「あんた、あの山を追跡不能にするんだろう。追跡できない土地の斜面を、なんで直すんだ」

 梶原は、少し黙った。

 窓の外で、雪が水平に流れていた。

「追跡されないためだ」

 彼は言った。

「あの斜面が動いて、下の夫婦のどちらかが死んだとする。そうなれば、この国はどれだけ金をかけてでも、あの土地の名義を最後まで開ける。……私が作っている壁は、紙でできている。紙は、人が死ぬと燃える」

 ユラは、その説明を最後まで聞いた。

「わかった」

 それだけ言って、出て行った。

 扉が閉まったあと、梶原は壁の古い公図を見た。

 入会地には、地番がない。地番がないから、名義人もいない。名義人がいないから、賠償を負う者もいない。代わりに、そこには掟があった。

 村は、もういない。

 いない以上、掟を書く者が要る。

 私は解放者ではない、と梶原は思った。

 領主だ。

 彼は、そのことを恥じてはいなかった。


3-4 老人と水路

 ユラには、生まれた日がない。

 正確には、あるはずだが、記録されていない。母が出生届を出さなかった。理由を、ユラは知らない。訊いたときには、母はもう答えられる状態ではなかった。

 名前は、母が呼んでいた音である。漢字は当てられていない。

 最初に役所へ行ったのは、十六のときだった。

 窓口の職員は、親切だった。話を最後まで聞き、席を外し、上の人間と相談し、戻ってきて、別の窓口を教えてくれた。その窓口でも同じことが起きた。三つ目の窓口では、家庭裁判所に就籍の申立てをする方法があると教えられた。申立てには、出生の事実を証明する資料が要る。母子手帳、出生証明書、当時の関係者の陳述。

 どれもなかった。

 母が入院していた病院は、十年前に廃業していた。カルテの保存期間は五年である。

 ユラを担当した職員は、四人いた。四人とも、悪い人間ではなかった。困った顔をして、手を尽くし、それぞれの持ち場でできることを説明し、次の窓口を紹介した。

 誰も彼を追い返さなかった。誰も彼を受け入れなかった。

 差別されたのではない。嫌われたのでもない。彼を処理するための手続きが、どの窓口にも用意されていなかっただけである。

 そのことを、ユラはかなり早い段階で理解した。理解したあと、腹を立てるのをやめた。腹を立てる相手がいなかったからである。

 制度は、彼を排除したのではない。

 彼という入力に対して、処理を返さなかった。

 母が動けなくなったあと、ユラを引き取ったのは、血の繋がらない老人だった。

 集落は、日本海側の山の中にあった。十七戸。冬は雪が二メートル積もる。

 老人は七十を過ぎていて、一人で住んでいた。ユラを引き取った理由を、彼は一度も説明しなかった。学校の話もしなかった。役所に届けようともしなかった。ただ、飯を食わせ、寝る場所をやり、仕事をさせた。

 仕事は、季節で決まっていた。

 三月の終わり、雪が消えかけるころ、老人は山に入った。集落の上を通っている水路の、泥を上げるためである。

 水路はコンクリートで、幅が四十センチほどある。冬のあいだに落ち葉と土砂が溜まり、そのままにしておくと、雪解け水が溢れる。老人は鍬と鋤簾を持ち、上流から順に、泥を掻き出していった。ユラは、掻き出された泥を、水路の外へ運ぶ役をやった。

 距離は、上から下まで千二百メートルあった。

 二人でやると、四日かかった。

 六月には、法面の草を刈った。八月にも刈った。十月にもう一度刈った。年に三回である。刈った草は、その場に伏せる。運び出さない。

 ため池の斜樋は、月に一度、点検した。

 斜樋というのは、堤の内側に斜めに取り付けられた、水を抜くための設備である。木の栓を段ごとに抜き差しして、取り出す水位を変える。老人はその栓を一本ずつ抜き、木口を見て、また差した。腐っていれば替える。替える木は、老人が自分で削っていた。

 ユラは、それを手伝った。

 なぜやるのか、とは訊かなかった。

 訊かなかったのは、興味がなかったからではない。老人が説明しない人だったからである。説明されないことに、ユラは慣れていた。彼の人生は、説明されないことでできていた。

 誰かに頼まれてやっている様子は、なかった。集落の他の家から金が出ている様子もなかった。総会のようなものは年に一度あったが、老人はそこで水路の話をしなかった。

 礼を言われるのも、見たことがなかった。

 老人は、ユラが十九のときに死んだ。

 朝、起きてこなかった。心臓だった。葬式は集落でやった。四十人くらい来た。ユラは、後ろのほうに立っていた。誰も彼が誰なのかを詳しくは訊かなかった。訊かないことが、この集落のやり方だった。

 その年、水路の泥は、誰も上げなかった。

 ユラも上げなかった。上げなければならないと知っていたが、老人の家を出て、町へ働きに行くことになっていたからである。日雇いの現場に入るのに、身分証明が要らないところを探した。

 一年目、何も起きなかった。

 盆に戻ったとき、集落は変わっていなかった。水路には泥が溜まっていたが、水は流れていた。

 二年目も、何も起きなかった。

 溜まった泥の上に、草が生えていた。それだけである。誰も気にしていなかった。

 三年目の春、水路が詰まった。

 融雪の水が行き場を失い、水路から溢れた。溢れた水は斜面を下り、道を横切って、下の田に入った。田の畦が一部崩れた。集落の者は、水を切り、畦を直した。それで終わったと思った。

 水は、その年、地面の中に別の道を作っていた。

 四年目の春、集落へ下りる唯一の道が落ちた。

 落ちたのは、路肩から二メートルほどの幅である。長さは三十メートル近くあった。下の沢まで、まとめて滑った。

 道が落ちた原因は、県の調査で「融雪水の浸透による法面の不安定化」とされた。報告書には、水路のことは書かれていない。三年前に一度溢れたことも、書かれていない。書くための記録が、どこにもなかったからである。

 道が復旧するまでに、二年かかった。

 その二年のあいだに、集落の十七戸のうち、十一戸が出た。残った六戸も、その後の数年で出た。

 いま、あの集落に人はいない。

 誰も、老人が毎年やっていた四日間の仕事と、道が落ちたことを、結びつけなかった。

 結びつけるための材料が、どこにもなかった。

 老人がやっていたことは、記録されていない。集落の会計簿にも、市の台帳にも、県の報告書にも、一行もない。彼が働いているあいだ、水路は詰まらなかった。詰まらなかったので、誰もその存在に気づかなかった。

 止まったあとも、気づかれなかった。

 ユラが理解したのは、そこである。

 あの労働は、うまくいっているときには見えない。そして、止まったときにも見えない。止まったことの結果は、三年か四年遅れて、まったく別の場所に、別の名前で現れる。法面の不安定化、という名前で。

 だから、誰も払わない。

 払わないから、記録もされない。

 記録がないから、止まったことにも、誰も気づかない。

 老人の名前を、ユラはいまでも覚えている。

 覚えているのは、彼だけである。

 名前は、佐吉といった。

 その名前が書かれているものを、ユラはひとつだけ見たことがある。ため池の斜樋の、木の栓である。老人は替えた栓の木口に、小刀で年号を彫っていた。何年に替えたかが分かるようにである。名前は彫っていなかった。彫る必要がなかった。替える人間は、彼しかいなかったからである。

 道が落ちた年の秋、ユラは一度だけ、あの集落へ戻った。

 道は通行止めになっていて、手前の車止めから先は、歩いて入るしかなかった。落ちた区間には、青いシートが掛かっていた。彼はその脇を通って、ため池まで登った。

 斜樋の木の栓は、腐って、水が漏れていた。

 池の水位は下がっていた。堤の内側の斜面に、水が引いた跡が、白い帯になって残っていた。

 ユラは、栓を抜こうとした。抜けなかった。腐った木が膨らんで、噛んでいた。

 道具は持っていなかった。町の現場で使っている道具は、全部、現場に置いてある。個人で持てるものを、彼はまだ何も持っていなかった。

 彼はそこにしばらく座っていて、それから下りた。

 町に戻ってからの数年、ユラは日雇いの現場を転々とした。身分証を出さなくていい現場は、探せばあった。給料は手渡しで、名前は帳簿に書かれない。書かれないことに、ユラは慣れていた。

 ある現場で、彼は解体のオペレーターに気に入られた。その男が、バックホーの操作と、機械の直し方を教えた。教える理由を、その男も説明しなかった。

 ユラは、そこで初めて、自分の道具を持った。

 中古の〇・二五立米のバックホーである。エンジンを一度全部ばらして、組み直した。組み直したあとの機械は、どこがどう繋がっているかを、彼が全部知っている機械になった。

 名義は、その機械にもない。売った相手も、そんなものは求めなかった。


3-5 重力に従う

 ドローンは、雪の合間の三十分で飛ばした。

 ユラが使っているのは、測量用のレーザーを積んだ機体である。中古で買い、制御の基板は自分で組み替えた。上空から地表へレーザーを撃ち、返ってくるまでの時間で高さを測る。木の葉や枝に当たった点を除けば、地面そのものの形が残る。

 冬は、この作業に向いている。葉が落ちているぶん、地面まで届く点が多い。

 事務所に戻って処理をかけると、画面の中に、三沢の山が現れた。

 等高線ではない。色の濃淡で高低を表した、影のような地形である。ユラは傾斜の量で色を塗り替え、それから、水の集まる方向を計算させた。

 斜面のどこに降った雨が、どこへ集まるか。線が引かれていく。

 線は、擁壁の裏で一本に束ねられていた。

 尾根が二つあって、そのあいだの浅い谷が、ちょうど擁壁の背面に落ちている。地表を見ただけでは分からない、ごく緩い凹みである。三沢は気づいていなかった。六十年前にここへ壁を造った人間も、たぶん気づいていなかった。

 ユラは、その凹みを指でなぞった。

 水は、必ず低いほうへ行く。地面の上でも、地面の中でも同じである。土の中には、水の通りやすい層とそうでない層がある。通りやすい層が下へ傾いていれば、水はそこを走る。それが水みちである。

 水みちの出口が、この壁の裏だった。

 彼はプリントを二枚出し、防寒着のポケットに入れて、梶原の事務所へ持って行った。

 梶原は、二枚を並べて見た。

「対処は」

「二つある」

 ユラは、椅子に座らずに立ったまま言った。

「一つは、構造物で押さえる。アンカーを打って、抑止杭を入れて、壁を新しくする。二十メートルの区間なら、設計と施工で、たぶん一億は超える」

「もう一つは」

「水を抜く」

 ユラは、一枚目のプリントの、尾根と尾根のあいだを指した。

「壁の裏に来る前に、上で受けて、横へ逃がす。集水路を掘る。それから、壁の上に載っている土を、いくらか削る。削った土は、下の緩いところに盛る。斜面の足元を重くすると、滑りにくくなる」

「なぜ重くすると滑らない」

「斜面が滑るときは、ある面を境にして、上の塊がまとめて動く」

 ユラは、指で紙の上に弧を描いた。

「その面の上のほうが、滑らせる力になる。下のほうが、押さえる力になる。上を軽くして、下を重くすれば、押さえるほうが勝つ。……土を削って下に置くだけで、両方が同時に効く」

「費用は」

「重機の燃料と、俺の飯代だ。四日か五日」

 梶原は、二枚目を手に取った。

「一億と、飯代だ。差が大きすぎる。なぜだ」

「運搬費がないからだ」

 ユラは言った。

「普通の工事は、土を場外へ運ぶ。ダンプを何十台も使う。処分場に入れれば処分費もかかる。材料も、外から持ってくる。アンカーも杭もコンクリートも、全部、山の上まで運び上げる。……工事の値段の大半は、物を上げ下げする金だ」

「君のやり方では」

「一立米も外へ出さない。上から削って、下へ落とすだけだ。落とすのは重力がやる。重力は請求書を出さない」

 梶原は、しばらく紙を見ていた。

「それで、どのくらい保つ」

「保証しない」

 ユラは即答した。

「集水路は、必ず詰まる。落ち葉と土砂で、三年もすれば流れが悪くなる。放っておけば、五年か六年で元に戻る。……だから、毎年入る。春に一度、秋に一度。一日ずつだ」

「毎年、人が要るということか」

「そうだ」

「アンカーを打てば、毎年は要らない」

「二十年は要らない」

 ユラは頷いた。

「二十年後に、同じ額が要る。アンカーは腐る。緊張が抜ける。定期的に張力を測って、抜けていれば打ち直す。測るのに人が要る。打ち直すのに、また一億が要る」

 彼は、初めて少し身を乗り出した。

「構造物ってのは、金の払い方を先送りにする道具だ。今払わない代わりに、二十年後にまとめて払う。しかも、そのときに払う人間は、今の人間じゃない」

 梶原は、目を上げた。

「その先送りが、できなくなった土地の話をしているわけだな、我々は」

「そうだ」

 ユラは、また立った姿勢に戻った。

「二十年後に一億払える集落なら、最初から困ってない。困ってるところに構造物を建てるのは、返せない借金を組ませるのと同じだ」

 彼は、プリントの端を指で押さえた。

「だから、俺は残さない」

「残さない」

「集水路は、ただの溝だ。土を削って掘ってあるだけで、コンクリートは使わない。押え盛土は、その辺の土を寄せただけだ。壊れても、誰も賠償を請求されない。誰かが放置しても、崩れるだけで、落ちてくる構造物がない」

 ユラは、少しだけ声の調子を変えた。

「残さないものは、劣化しない」

 梶原は、その言葉を繰り返さなかった。ただ、二枚のプリントを重ねて、机の脇に置いた。

「一つ確認する。君のやり方で、下の家に土が届く可能性は」

「ゼロにはならない」

「数字で」

「今のままなら、次の融雪期に動く確率は、俺の見立てで五割を超える。集水路を入れて、上を削れば、一割を切ると思う。ただし毎年入ることが条件だ。三年入らなければ、元に戻る」

「入らなかった場合の判断は、誰がする」

「入る前提で作ってる。入らない前提の設計はしない」

 梶原は、そこで初めて、わずかに椅子の背にもたれた。

「私は、その前提を信用しない」

「あんたが信用しなくてもいい」

 ユラは言った。

「入るのは俺だ」

 沈黙があった。石油ストーブの上で、やかんが鳴っていた。

「ひとつ、言っておく」

 ユラが続けた。

「世の中に、放っておいても勝手に整う仕組みなんてものは、一つもない。永久機関は詐欺だ。……あるのは、崩れる速度が違うものだけだ」

「それが、君の設計思想か」

「思想じゃない。観察だ」

 ユラは、プリントの斜面を指でなぞった。

「この山は、放っておけば崩れる。俺が溝を掘れば、崩れる速度が遅くなる。それだけの話だ。止められるとは言ってない。遅くできると言ってる」

「その差に、意味があるか」

「ある」

 ユラは即答した。

「速度が遅ければ、下の夫婦は、たぶん自分の寿命まで住める。……価値ってものがもしあるなら、それは何かを新しく作ることじゃない。何かが崩れる速度を、遅くすることだ」

 梶原は、何も言わなかった。

「機械は足りているか」

 梶原が訊いた。

「バックホーが一台。〇・二五立米の古いやつだ。新しいのは要らない」

「なぜ」

「新しい機械は、壊れるとエラーコードを出す。コードの意味は、メーカーのサーバーにしかない。直すには認証端末が要って、端末は代理店にしかない。……山の中で止まったら、それで終わりだ」

 ユラは、ドアの取っ手に手をかけた。

「自分で開けて、中を見て、直せないものは、俺のものにならない。持ち主が誰かを決めるのは、名義じゃない。直せるかどうかだ」

 彼は出て行った。

 梶原は、机の脇のプリントをもう一度手に取り、二枚目の、水の集まる線を見た。

 線は、彼が三年前まで持っていた家の裏の地形と、よく似ていた。


3-6 壊れなかった証明

 三月の第一週に、ユラは三沢の山に入った。

 雪はまだ五十センチほど残っていたが、南向きの斜面から順に消え始めていた。彼は〇・二五立米のバックホーを林道の終点まで自走させ、そこから先は人力で笹を払った。

 四日で終わる予定が、五日かかった。凍った土が硬く、朝のうちは掘れなかったからである。

 集水路は、尾根と尾根のあいだの浅い谷を、横に切る形で入れた。幅は五十センチ、深さは四十センチ。上流側の斜面をわずかに削って、水を溝へ落とす。溝は緩い勾配で横へ走り、擁壁の脇を通って、下の沢へ出る。

 削った土は、擁壁の下の緩傾斜地へ落として、均した。

 場外へ出した土は、一立米もない。

 五日目の夕方、ユラは林道に立って、上を見た。斜面には、掘った溝の線が一本、横に走っている。それだけである。写真を撮っても、何が変わったのかは分からない。

 彼は、携帯端末を出した。

 電波は届かない。彼は一度、林道を下って、電波の入る場所まで移動した。

 端末の画面には、簡素な入力欄が並んでいる。日付。座標。作業の種別。作業時間。写真。

 ユラは、それぞれを埋めた。作業の種別の欄には、あらかじめ用意した項目から選ぶ。集水路の新設、泥上げ、草刈り、斜樋の点検、暗渠の清掃、押え盛土。

 写真は、着手前と、完了後を撮ってある。

 彼は送信を押した。

 その夜、梶原の事務所で、ユラはノートパソコンを開いた。古い機種で、天板の塗装が剥げている。画面には、黒い背景に文字だけが並んでいた。

「終わったのか」

 梶原が訊いた。

「終わった。これが、その記録だ」

 ユラは画面を梶原のほうへ向けた。

 一行が表示されている。日付、座標、種別、時間。そのあとに、長い英数字の羅列が続いていた。

「これは何だ」

「台帳だ」

 ユラは言った。

「名前はROOTにした。根っこのことだ」

 梶原は、画面に顔を寄せた。

「暗号のようなものか」

「ハッシュだ。中身を全部ひとまとめにして、一つの短い文字列に変換してある。中身が一文字でも変われば、この文字列がまるごと変わる。……前の行の文字列を、次の行の中に入れる。それを繰り返す」

「途中の行を書き換えると」

「そこから先の全部が合わなくなる。だから、後から書き換えられない」

 梶原は、それについては何も言わなかった。技術の説明を聞く顔ではなかった。

「それで、これは金になるのか」

「ならない」

 ユラは即答した。

「今は、ならない」

「では、何のためのものだ」

「証明だ」

 ユラは、画面をもう一度自分のほうへ戻した。

「計算機を使って何かを証明する仕組みは、前からある。電気を大量に燃やして計算をやらせて、その計算をやりましたという証明を作る。それに価値をつけて、通貨にしている。……作った証明だ。何かを新しく作った証明」

「知っている」

「俺がやるのは、逆だ」

 ユラは、五日ぶんの作業の行を指した。

「壊れなかったことの証明だ」

 石油ストーブの音が、部屋にひとつだけ残った。

「あの斜面は、来年の春も動かない。三年後も動かない。……動かなかったという事実は、誰の目にも見えない。何も起きないんだから、当たり前だ」

 ユラの声は、いつもと同じ調子だった。

「起きなかったことは、記録されない。だから誰も払わない。払わないから、やる人間がいなくなる。いなくなって三年か四年経つと、まったく別の場所で、別の名前のついた事故が起きる。法面の不安定化とか、そういう名前で」

 彼は、画面の一行を指で押さえた。

「これは、その逆をやる。誰が、いつ、どこで、何を壊れないようにしたか。それを、消えない形で書く」

 梶原は、腕を組んだ。

「記録して、どうする」

「どうもしない」

「価値がつかなければ、意味がないだろう」

「順番が逆だ」

 ユラは、初めて少し強い言い方をした。

「価値がつかなかったのは、記録がなかったからだ。人類は、壊れなかったことに一円も払ってこなかった。払ってこなかったから、記録もしてこなかった。記録がないから、止まったことにも誰も気づかなかった」

 彼は、パソコンを閉じた。

「これは通貨じゃない。台帳だ」

 梶原は、その言葉を聞いた。

 その前に、ひとつだけ訊いた。

「その記録が本当かどうかは、誰が確かめる」

 ユラは、少し黙った。

「今は、俺だ」

「君が嘘を書いたら」

「書かない」

「そういう話をしているのではない。仕組みの話だ。君が書き、君が確かめるなら、それは君ひとりの台帳だ。……君が明日死んだら、この列は誰が続ける」

 ユラは答えなかった。

 答えなかったのは、考えていなかったからではない。考えていて、まだ解けていなかったからである。

 証明の仕組みは組んである。書き換えれば分かる。分かるが、最初に書かれた一行が正しいかどうかは、その仕組みでは決まらない。誰かが現地に立って、確かに溝が掘られていることを見なければならない。見る人間が一人しかいない台帳は、その一人が消えた瞬間に、ただの文字列になる。

 老人の労働が消えたのと、同じ形で消える。

 ユラはそのことに、この時点で既に気づいていた。気づいていて、解を持っていなかった。

「いずれ、考える」

 彼はそう言った。

 梶原は、その言葉を聞いた。

 聞いたが、彼の頭の中で動いていたのは、別の計算だった。

 三沢の山の斜面は、当面動かない。動かなければ、下の夫婦は死なない。死ななければ、行政代執行は目を覚まさない。目を覚まさなければ、名義を散らした先の法人は開けられない。

 その状態を、あと十年か、十五年、維持できればいい。

 そのために必要なのは、毎年その斜面に入る人間である。入る人間を確保するために、この若い男が何を信じていようと、実務上の差はない。台帳を作りたいなら、作ればいい。金がかかるものでもない。

「わかった」

 梶原は言った。

「続けてくれ」

 ユラは頷いた。

 その頷き方を、梶原は同意と受け取った。実際、ユラは同意していた。ただし、まったく違うことに、である。

 ユラにとって、いま作り始めた台帳は、経済の仕組みではなかった。

 二十数年前、彼を登録しなかった台帳がある。老人の四日間を一行も書かなかった台帳がある。その二つの欠落を、彼は自分の手で埋め直そうとしていた。

 彼が書いているのは、労働の記録ではない。

 存在の記録である。

 梶原は、そのことに気づかなかった。

 気づく必要も、その時点ではなかった。二人がやっていることは、当面のあいだ、完全に噛み合っていたからである。梶原が消すのは所有の記録であり、ユラが作るのは労働の記録だった。対象が違う以上、ぶつかりようがない。

 ぶつかるのは、消すか書くかを、同じ一つのものについて決めなければならなくなったときである。

 その日は、まだ来ていなかった。

 ユラは防寒着を着て、外へ出た。事務所の階段を下りると、外はもう暗く、雪が細かく降っていた。彼は、その中を歩いて行った。

 事務所に残った梶原は、灯りを消す前に、机の上の断面図をもう一度見た。

 水の集まる線が、一本、壁の裏へ落ちている。

 彼は、その紙を引き出しにしまった。


第四章


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