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黄柳野高校で得られること,黄柳野高校が求める生徒
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黄柳野高等学校というのは,愛知県新城市(旧鳳来町)にある私立高校です.
主に中学・高校において「問題を抱える生徒」を多数入学させることで一時期は知名度がありました(その認識は間違いだけど).
ですが最近は少子高齢の影響を受け,大抵の高校が少しくらいの「問題」を抱える生徒であれば入学させるようになっていることと,通信制や専修学校に通う道を選ぶことが増えたためその特殊性が薄れつつあるのが現状でしょうか.
先日,故あって教職員やかつての学友,その保護者の方々と会う機会がありましたので,そこで懐かしい話や黄柳野高校の今後の在り方などを語ってきた次第です.
今日はその黄柳野高等学校の存在意義についての話です.
これまでにも,本ブログの記事として取り扱ったことがあります.
■喫煙ルーム(黄柳野高校のこと)
■お便りにお答えしたもの
ここ数年は世間を騒がせるニュースが立て続けに発生したので「あぁ,あの高校かぁ」と思い出す人もいるかもしれません.
卒業生である私としては,「よくもまぁ内部の事情に配慮せず,しかも教育問題を合理的に考えてしまえるもんだなぁ」と,当時は怒りを覚えました(今は憐憫の情を覚えています).
ですが今日は私の不平不満を語るのではなく,問題を抱える生徒に携わる中学校・高校の先生や,その保護者の方々に向けた記事とします.
別にこの高校の宣伝をしたいわけじゃないんですが,黄柳野高校に代表される「問題を抱える生徒を受け入れる高校」を探している人にとっては,一つの参考になるのではないかと思うのです.
基本情報として,黄柳野高等学校ホームページは↓
■http://www.tsugeno.ac.jp(黄柳野高等学校HP)
ウィキペディアは→:黄柳野高等学校
1)荒れているか?
上述した記事でも紹介していますが,「荒れた高校」かどうかを心配する人もいるかもしれません.特に送り出す保護者としては最重要チェックポイントでしょう.
全くもって問題が発生しないとは言いませんが,荒れてはいません.
何をもって荒れているかという話でもありますが,黄柳野を「荒れている」と言い出したら,日本全国の半数近い高校が荒れていると見做せるかもしれません.
皆さんが「優良」だと思っている高校にしたって,生徒事情を聞けば黄柳野なんてかわいいと思える話は山ほどあります.
全寮制の高校ですので「高校生活=日常生活」です.日常生活において問題が発生しない高校生などいませんよね.必然的に問題の絶対量は増えるのですから,そういう目で見てもらう必要があります.
と同時に,こうした「全寮制」という場において必然的に発生する問題に直面したとき,どのように対処するのかを学ぶのが黄柳野高等学校の価値の一つです.詳細は後述します.
2)寮生活は大変じゃないのか?
もちろん楽ではありません.
保護者の中には寮を学校から切り離されたサービス空間だと思っている人もいますが,それは期待しないでほしいものです.
前述したように,むしろ「寮生活」を通した問題解決能力を養うことが黄柳野の存在意義だと言っても良いでしょう.
ヤンキーみたいな生徒やオタクみたいな生徒もいますので,そんな彼ら/彼女らとどのように折り合いをつけていくかが共同生活においては重要な方略になってきます.
一般的な高校の寮であれば「ルールに従って生活すること」を求められますが,黄柳野の寮生活では「折り合いをつけて生活すること」が求められます.
酸いも甘いも噛み分け,成熟した大人の方であれば分かってくれると思いますが,人間というのはルールに従って生活することなどできません.
「ルールに従って生活させる」ことは管理者としては楽ですが,それは人間の生活ではないですし,そうした生き方に馴化することはつまり,「人間」ではなくなることを意味します.
こうした(教育)哲学の詳細は割愛しますが,とりあえず今日ここで言いたいのは,黄柳野高校に入学した生徒が学ぶ最も重要なことは,
これは「寮生活を通して,共同生活をする力が身についた」とか,「身勝手は良くない」とか,「結局は自分の生活が第一」などというペラい話ではありません.
ここんとこ,卒業生やその保護者の方々にしか実感できないのが残念ですが,それだけに非常に重要な黄柳野の存在意義です.
※それを書籍で学びたいという人は,福田恆存 著『人間・この劇的なるもの』をオススメします.→本記事の末尾に参考となる引用文を置いています.
3)どういう生徒であれば「やっていけそう」なのか?
これが結構大事です.
問題を抱える生徒の教員,その保護者からすれば,黄柳野高校をはじめとする「問題を抱える生徒を受け入れる高校」を経済的・市場的に比較して「どれが最もコストパフォーマンスが高いか?」などと考えてしまいます.
しかし,こういう態度ではその生徒や子供に適切な教育ができるとは言えません.
少なくとも黄柳野高校での学びを充実したものにするためには,生徒側にもその準備が求められます.
準備と言っても学力とか体力といったものではありません.
どこの誰とも知らない同年代の人間と共同生活をしようと,とにかく3年間かけて自分を成長させてみせる
という意志が,ちょっとでもいいからあるかどうかです.
とりあえず入学しておけば,あとはオートマチックに伸びていく,なんていう夢物語は期待しないほうがいいでしょう.
というか,それを言い出したら難関高校・優良高校と言われているところだって,「ただなんとなく」入学したという生徒が,「そんな高校に行かなければ,もっと良い人生があっただろうに」という顛末になる話は枚挙にいとまがありません.
その高校と生徒の意志が同調しているかどうかが重要なのは,黄柳野も一緒です.
4)学力は高まるのか?
黄柳野高校の「勉強」へのスタンスは,大学教育のそれと同じようなものを感じます.
実際,私を含め大学に進学した卒業生の多くが同じ感想を持っています.
(だから大学の勉強スタイルに親和する人が多いように思う)
もったいぶった話し方になったかもしれませんが,つまりは「自分で勉強する」ことが重視されるので,自分から積極的に勉強しなければ学力は高まらないことになります.
黄柳野の平均的な学力偏差値が低いというのは嘘ではありません.
しかし,ここで言う「学力」というのは,いわゆる「テキストの内容」という意味です.
例えば,通信制の高校ではテキストの内容を(もしかすると一般的な高校生よりしっかりと)勉強することができるかもしれませんが,残念なことにその評判は芳しくないことはご案内の方も多いかと思います.
黄柳野の卒業生の保護者の方々が口を揃えて言うことに,「人と人とが向き合って,悩み合うなかに重要な学びがある.そうしたことが稀薄になる通信制ではダメだった」というものがあります.
もちろん,通信制の高校の方式を批判するつもりはありません.通信制には通信制の良さと活き方があるはずだからです.
ですが,はっきり言って日本で最も濃密な人間関係を構築してしまうことになる黄柳野高校と通信制を比較してどうこう言うのは不適切でしょう.「教室以外のところにも重要な学びがある」ということに賛同してもらえるなら,黄柳野高校で学ぶという選択はアリだと思いますよ.
ちょっと仰々しいかもしれませんが,黄柳野で習得させている学力とは「卒業後も学んでいこうとする姿勢や態度」であると言えます.期末や卒業時に計量化できる学力ではないのです.
※これについては大学教育にも同じこと言えるはずでして,それを記事にしたのが先日の,
■大学教育の質が低下している?
です.そちらも参照ください.
5)食事
食事について心配する生徒や保護者は意外と多いものです.
東京周辺のメシの不味さに辟易している私ですが,
(詳細は■続・東京人と中国人はよく似ているを御覧ください)
そんな私でも食事に困ったことはありませんでした.
むしろ,この地域の味付けが私にとって第二の故郷の味になったと思います.今でもたまに名古屋や豊橋に降りた時には地元の味を出す店に入るようにしています.
先日,高校の先輩と池袋で飲んだ時なんかにも,店を「世界の山ちゃん」にするくらい,我々にとって尾張・三河の味は特別な味です.
6)特徴的な所在地と授業
その他に黄柳野ならではの特色をいくつか.
黄柳野高校はグーグルマップで見ていただければ分かるように,完全なる「山の中」にあります.
(近いうちに新東名高速道路の「新城インター」ができてアクセスは良くなる予定)
最寄りの大きめの街である新城駅周辺に行くことを,在校生は「下界に降りる」と言うくらいです.
そんなわけで,黄柳野では農業や林業に関する体験授業が豊富です.
実家が農業・林業である私にとっては目新しいものではありませんでしたが,多くの生徒には新鮮に映ることと思います.
当然,いやいや参加する生徒もたくさんいます.農業や林業は楽しいものではありませんからね.ですが,農業や林業といった仕事がどのようなものなのか,それをその身で体験しておくことは国民にとって重要なことだと思います.これも卒業後に活きてくる事の一つでしょう.
7)気になるようであれば・・・
この高校が気になるようであれば,まずは資料請求や見学に行くことをオススメします.
実際にその目で確かめ,教職員の方々と話してみることです.
(この私のブログ記事も含むのだろうが)ネット情報というのは物事の一側面しか映していないものです.
たまに黄柳野高校に関するネット情報を見ることがありますが,やはりその視点というのは高校教育というものを難関高校・優良高校を頂点とするヒエラルキーとして捉えているところが大きいのです.
ですから,そうした高校において「できている事」が,どれだけ比較対象校においては「できていないか」という観点で論じられます.
バカバカしいことです.(といって話し始めると長くなるので,今日は避けます)
この高校の教育方針と生徒の意志が調和するならば,チャレンジしてみる価値はあるでしょう.
途中でも述べましたが,この高校には「ここに通って成長するぞ」という意志がある生徒にとっては大きなポテンシャルがありますし,そういう生徒にこそ価値ある学校だと思うのです.
関連記事
※今回の記事と少しくらいは関係しそうな話題を扱った過去記事の一覧です.お時間があればどうぞ.
■喫煙ルーム(黄柳野高校のこと)
■お便りにお答えしたもの
■子供のコミュニケーション能力は社会の鏡
■学校教育対談
■続・女性の成功
■大学教育の質が低下している?
真の意味における自由とは,全体の中にあって,適切な位置を占める能力のことである.全体を否定する個性に自由はない.すでに在る全体を否定し,これを自分につごうのいいように組織しなおすことは,部分たる個人のよくなしうることではない.たとえ頭数をそろえようと,それは不可能なことだ.だが,今日,ひとびとは,それが容易であるかのごとき錯覚をいだいている.組織ということばが流行するゆえんである.
主に中学・高校において「問題を抱える生徒」を多数入学させることで一時期は知名度がありました(その認識は間違いだけど).
ですが最近は少子高齢の影響を受け,大抵の高校が少しくらいの「問題」を抱える生徒であれば入学させるようになっていることと,通信制や専修学校に通う道を選ぶことが増えたためその特殊性が薄れつつあるのが現状でしょうか.
先日,故あって教職員やかつての学友,その保護者の方々と会う機会がありましたので,そこで懐かしい話や黄柳野高校の今後の在り方などを語ってきた次第です.
今日はその黄柳野高等学校の存在意義についての話です.
これまでにも,本ブログの記事として取り扱ったことがあります.
■喫煙ルーム(黄柳野高校のこと)
■お便りにお答えしたもの
ここ数年は世間を騒がせるニュースが立て続けに発生したので「あぁ,あの高校かぁ」と思い出す人もいるかもしれません.
卒業生である私としては,「よくもまぁ内部の事情に配慮せず,しかも教育問題を合理的に考えてしまえるもんだなぁ」と,当時は怒りを覚えました(今は憐憫の情を覚えています).
ですが今日は私の不平不満を語るのではなく,問題を抱える生徒に携わる中学校・高校の先生や,その保護者の方々に向けた記事とします.
別にこの高校の宣伝をしたいわけじゃないんですが,黄柳野高校に代表される「問題を抱える生徒を受け入れる高校」を探している人にとっては,一つの参考になるのではないかと思うのです.
基本情報として,黄柳野高等学校ホームページは↓
■http://www.tsugeno.ac.jp(黄柳野高等学校HP)
ウィキペディアは→:黄柳野高等学校
1)荒れているか?
上述した記事でも紹介していますが,「荒れた高校」かどうかを心配する人もいるかもしれません.特に送り出す保護者としては最重要チェックポイントでしょう.
全くもって問題が発生しないとは言いませんが,荒れてはいません.
何をもって荒れているかという話でもありますが,黄柳野を「荒れている」と言い出したら,日本全国の半数近い高校が荒れていると見做せるかもしれません.
皆さんが「優良」だと思っている高校にしたって,生徒事情を聞けば黄柳野なんてかわいいと思える話は山ほどあります.
全寮制の高校ですので「高校生活=日常生活」です.日常生活において問題が発生しない高校生などいませんよね.必然的に問題の絶対量は増えるのですから,そういう目で見てもらう必要があります.
と同時に,こうした「全寮制」という場において必然的に発生する問題に直面したとき,どのように対処するのかを学ぶのが黄柳野高等学校の価値の一つです.詳細は後述します.
2)寮生活は大変じゃないのか?
もちろん楽ではありません.
保護者の中には寮を学校から切り離されたサービス空間だと思っている人もいますが,それは期待しないでほしいものです.
前述したように,むしろ「寮生活」を通した問題解決能力を養うことが黄柳野の存在意義だと言っても良いでしょう.
ヤンキーみたいな生徒やオタクみたいな生徒もいますので,そんな彼ら/彼女らとどのように折り合いをつけていくかが共同生活においては重要な方略になってきます.
一般的な高校の寮であれば「ルールに従って生活すること」を求められますが,黄柳野の寮生活では「折り合いをつけて生活すること」が求められます.
酸いも甘いも噛み分け,成熟した大人の方であれば分かってくれると思いますが,人間というのはルールに従って生活することなどできません.
「ルールに従って生活させる」ことは管理者としては楽ですが,それは人間の生活ではないですし,そうした生き方に馴化することはつまり,「人間」ではなくなることを意味します.
こうした(教育)哲学の詳細は割愛しますが,とりあえず今日ここで言いたいのは,黄柳野高校に入学した生徒が学ぶ最も重要なことは,
自分にとって都合の良い事は,必ずしも他者にとって都合の良い事ではない.ということを実生活を通してその身に刻むこと.そして,「ルール」や「権利」といった建前論を振りかざした生活では八方塞がりになっていく「実生活」の中において,それでも自分が自由になるにはどうすれば良いのか?ということなのです.
これは「寮生活を通して,共同生活をする力が身についた」とか,「身勝手は良くない」とか,「結局は自分の生活が第一」などというペラい話ではありません.
ここんとこ,卒業生やその保護者の方々にしか実感できないのが残念ですが,それだけに非常に重要な黄柳野の存在意義です.
※それを書籍で学びたいという人は,福田恆存 著『人間・この劇的なるもの』をオススメします.→本記事の末尾に参考となる引用文を置いています.
3)どういう生徒であれば「やっていけそう」なのか?
これが結構大事です.
問題を抱える生徒の教員,その保護者からすれば,黄柳野高校をはじめとする「問題を抱える生徒を受け入れる高校」を経済的・市場的に比較して「どれが最もコストパフォーマンスが高いか?」などと考えてしまいます.
しかし,こういう態度ではその生徒や子供に適切な教育ができるとは言えません.
少なくとも黄柳野高校での学びを充実したものにするためには,生徒側にもその準備が求められます.
準備と言っても学力とか体力といったものではありません.
どこの誰とも知らない同年代の人間と共同生活をしようと,とにかく3年間かけて自分を成長させてみせる
という意志が,ちょっとでもいいからあるかどうかです.
とりあえず入学しておけば,あとはオートマチックに伸びていく,なんていう夢物語は期待しないほうがいいでしょう.
というか,それを言い出したら難関高校・優良高校と言われているところだって,「ただなんとなく」入学したという生徒が,「そんな高校に行かなければ,もっと良い人生があっただろうに」という顛末になる話は枚挙にいとまがありません.
その高校と生徒の意志が同調しているかどうかが重要なのは,黄柳野も一緒です.
4)学力は高まるのか?
黄柳野高校の「勉強」へのスタンスは,大学教育のそれと同じようなものを感じます.
実際,私を含め大学に進学した卒業生の多くが同じ感想を持っています.
(だから大学の勉強スタイルに親和する人が多いように思う)
もったいぶった話し方になったかもしれませんが,つまりは「自分で勉強する」ことが重視されるので,自分から積極的に勉強しなければ学力は高まらないことになります.
黄柳野の平均的な学力偏差値が低いというのは嘘ではありません.
しかし,ここで言う「学力」というのは,いわゆる「テキストの内容」という意味です.
例えば,通信制の高校ではテキストの内容を(もしかすると一般的な高校生よりしっかりと)勉強することができるかもしれませんが,残念なことにその評判は芳しくないことはご案内の方も多いかと思います.
黄柳野の卒業生の保護者の方々が口を揃えて言うことに,「人と人とが向き合って,悩み合うなかに重要な学びがある.そうしたことが稀薄になる通信制ではダメだった」というものがあります.
もちろん,通信制の高校の方式を批判するつもりはありません.通信制には通信制の良さと活き方があるはずだからです.
ですが,はっきり言って日本で最も濃密な人間関係を構築してしまうことになる黄柳野高校と通信制を比較してどうこう言うのは不適切でしょう.「教室以外のところにも重要な学びがある」ということに賛同してもらえるなら,黄柳野高校で学ぶという選択はアリだと思いますよ.
ちょっと仰々しいかもしれませんが,黄柳野で習得させている学力とは「卒業後も学んでいこうとする姿勢や態度」であると言えます.期末や卒業時に計量化できる学力ではないのです.
※これについては大学教育にも同じこと言えるはずでして,それを記事にしたのが先日の,
■大学教育の質が低下している?
です.そちらも参照ください.
5)食事
食事について心配する生徒や保護者は意外と多いものです.
東京周辺のメシの不味さに辟易している私ですが,
(詳細は■続・東京人と中国人はよく似ているを御覧ください)
そんな私でも食事に困ったことはありませんでした.
むしろ,この地域の味付けが私にとって第二の故郷の味になったと思います.今でもたまに名古屋や豊橋に降りた時には地元の味を出す店に入るようにしています.
先日,高校の先輩と池袋で飲んだ時なんかにも,店を「世界の山ちゃん」にするくらい,我々にとって尾張・三河の味は特別な味です.
6)特徴的な所在地と授業
その他に黄柳野ならではの特色をいくつか.
黄柳野高校はグーグルマップで見ていただければ分かるように,完全なる「山の中」にあります.
(近いうちに新東名高速道路の「新城インター」ができてアクセスは良くなる予定)
最寄りの大きめの街である新城駅周辺に行くことを,在校生は「下界に降りる」と言うくらいです.
そんなわけで,黄柳野では農業や林業に関する体験授業が豊富です.
実家が農業・林業である私にとっては目新しいものではありませんでしたが,多くの生徒には新鮮に映ることと思います.
当然,いやいや参加する生徒もたくさんいます.農業や林業は楽しいものではありませんからね.ですが,農業や林業といった仕事がどのようなものなのか,それをその身で体験しておくことは国民にとって重要なことだと思います.これも卒業後に活きてくる事の一つでしょう.
7)気になるようであれば・・・
この高校が気になるようであれば,まずは資料請求や見学に行くことをオススメします.
実際にその目で確かめ,教職員の方々と話してみることです.
(この私のブログ記事も含むのだろうが)ネット情報というのは物事の一側面しか映していないものです.
たまに黄柳野高校に関するネット情報を見ることがありますが,やはりその視点というのは高校教育というものを難関高校・優良高校を頂点とするヒエラルキーとして捉えているところが大きいのです.
ですから,そうした高校において「できている事」が,どれだけ比較対象校においては「できていないか」という観点で論じられます.
バカバカしいことです.(といって話し始めると長くなるので,今日は避けます)
この高校の教育方針と生徒の意志が調和するならば,チャレンジしてみる価値はあるでしょう.
途中でも述べましたが,この高校には「ここに通って成長するぞ」という意志がある生徒にとっては大きなポテンシャルがありますし,そういう生徒にこそ価値ある学校だと思うのです.
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真の意味における自由とは,全体の中にあって,適切な位置を占める能力のことである.全体を否定する個性に自由はない.すでに在る全体を否定し,これを自分につごうのいいように組織しなおすことは,部分たる個人のよくなしうることではない.たとえ頭数をそろえようと,それは不可能なことだ.だが,今日,ひとびとは,それが容易であるかのごとき錯覚をいだいている.組織ということばが流行するゆえんである.
福田恆存『人間・この劇的なるもの』
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