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大学改革論を考える上での良書

久しぶりの書籍紹介記事です.
今回は,私のブログにおいて中核を成している「大学改革」に関する本をご紹介します.
吉見俊哉 著『「文系学部廃止」の衝撃』


本のタイトルは,時世に合わせた「文系学部廃止」を冠しているものの,実際のところは大学改革論争全般に関わる内容です.
私がこれまで散発的に記事にしている内容が,データや資料を交えてボリュームたっぷりに整理されたものとしてオススメです.
本書の最後の最後には,私もブログで取り上げることの多いホイジンガの「遊び」についても触れており,なんだかニンマリしました.

この混沌とした大学改革論争における著者なりの解決策も提示されており,それについて私も概ね賛同します.
本件について,茶化しながら笑い混じりに書かれている私のブログを読むよりも,こちらを読んだほうが勉強になるでしょう.

特に,昨今の理系学部偏重の流れの中で発生した文系学部の軽視を前に,長期的な視野からすれば文系学部こそ「役に立つ」ことを示しているのは首肯できますし,その一方で,どうして現在のような状況になったのかを詳細に論じておられます.

Amazonでカスタマーレビューを読んでみました.その中の「トップカスタマーレビュー」はこんなのでした.
著者は「文系は役に立つ」と主張し、その理由を説いているのですが、では実際にどこでどう役に立ったのか、卑近な例だけではなく歴史的な長期的視点での話でも何でもいいのですが、それについてはまったく記載がありません。
(中略)
身も蓋もない話ですが、結局、大学を維持する資金を提供しているのは学生やその親、文科省やそれを支える納税者であって、それらの人々に届く議論をしないとどうしようもないのでは?と思います。
吉見先生がこれだけ懇切丁寧に大学教育の価値を解説しているのに結局理解できなかったのでしょうし,まさしく,こういう「コメント」を発するような人間が増えないように教育しているのが大学なのだ,と本書でも論じているのですが.

どこでどう役に立つのかとか,資金提供者に届く議論なんてものをする事自体が間違っているのです.そんな議論をして理解してもらえるような国なら,はなから大学なんぞいりません.
身も蓋もない話をすれば,理解できない人に理解してもらおうとは思いません.だって理解できないんだから.
理解できる/できないとは別に,大学をどのようにするかは議論されなければいけないはずのものなのです.

さて本書について,私としては概ね賛同できる内容であるものの,やはり細かいところで意見を違える部分もあります.
いえ,細かいところのようで,実は最も根幹となるところに差異があるとも言え,それは最終的に大きな齟齬となってきます.

著者は大学を「国や宗教や共同体といった個別の単位を超えた人類普遍の価値」というものを探求することを目指すものであり,これこそが大学の生命線だと述べます.
私も過去記事で同様のことを述べておりますので,ここまでは同感.

著者はそれに加えて「それ故,大学は地球的な視点で奉仕し,グローバルに教育を展開することが,今後の大学の進むべき方向性」であることを示します.

たしかに私も前段のところまでは同意です.しかし,過去記事でも取り上げたことがあるように,私は大学のグローバル化には懐疑的です.
「え?どうして? 人類普遍の価値を探求するんなら,後段へと繋がるのでは?」
と思われるかもしれませんが,ここに微妙な違いがあるのです.

そもそも,私は「人類普遍の価値」とか「グローバルな視座」というものがあるとは考えていません.
なにかの拍子にそのような表現をすることがあるかもしれませんが,研究や議論の末に人類にとって普遍的な価値を見つけたり,絶対的な認識に到達できる,という立場はとっていないのです.

私は「普遍的価値を求めようとするのが人間」だと考えていて,ゆえに,普遍的価値を求めて「思案に暮れる」ところに大学の価値があると捉えています.
微妙な違いですが,これは私にとって極めて重要な違いです.

「人類普遍の価値」を求めれば,国や宗教,共同体といった個別の価値観を超えた研究や学びができる.留学生や様々な年齢層,各種カテゴリの学生を受け入れることで,大学は真のグローバル化を遂げる可能性がある,という議論もあるかもしれない.著者もそのように述べています.

しかし私は,学問をする上で人は,どこまでいっても民族や宗教,そして言語,共同体といったものから逃れられないと思うのです.
そんな議論は■英語教育は国をあげて取り組むことか?とか施光恒 著『英語化は愚民化』あたりを読んでもらうとして,一部の実験的な取り組みを除き,大学の基本スタンスとしては,
学生および教育者の母語を用いた学問
に重きを置かねばならないと考えています.

誤解してほしくないのは,だから外国語教育を廃せばいいなどと言っているわけではありません.むしろ,今よりもしっかり外国語は勉強したほうがいいと思っています.

ただ,「英語」という言語を使った教育を日本でも推進していくべきだという議論には反対です.
「留学生が勉強しやすくなる」ってことのようですが,英語で勉強したい奴は英語圏に行けばいいじゃないですか.
それに「留学生が勉強しやすくなる」って言っても,その留学生にしたって普段の生活は日本語の社会で過ごすんでしょ.授業を英語にして,そこにどれだけの学術的な意味があるのか.

過去記事でもいろんなところで私は述べていますが,日本の大学の価値を高めたいなら,日本語ならではの学問を活発化させればいいのです.
そうして初めて国際的に価値ある大学になるでしょう.
逆に,英語によるグローバル化という土俵で本格競争すれば,どうあがいても日本の大学が勝てるわけがありません.
そしてこのことは,自ずと「人類普遍の価値」を求めることが大学の使命ではないことを示唆することになります.

大事なのは,幅広い議論を展開することでも,人類普遍の価値を求めることでもなく,
より良い答えを探そうとする態度を学生に身につけさせることです.

話が長くなるのでここまでにします.
とにかく本書は「大学とは何か? ―より良い改革をするとして,それはどのようなものか?」といった点を考える上で一読の価値有りです.



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