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気長に訴えていきます|選挙をやめて抽選にしよう

そんな考え方もあるんだなと思っててください


昨日のブログネタについて,奇特にもメールをくれた人がいます.
曰く,
「そういう人は,女性に限らず男性にもいますよっ」
って.

昨日のブログ記事というのはこちらです.

女性によく見られる行為として,
「元恋人に会う時に一人なのは嫌だから,適当な人を自分の恋人代行にする」
とか,
「男の気を引くために,別の男を取り上げて話す」
といったこと.

そりゃそうなんですけど,あれって,あくまでも雑談ですしねぇ.
でも,これにマジレスすれば,そんなことをする男は「女々しい奴」だと私は思います.

これ以上はジェンダーフリーとかLGBTとかがアップを始めだすので,ここまでにしときましょう.


さて,今回はもうちょっとマジメな話です.
これまで何度となく取り上げてきた,「選挙と抽選」のこと.

アメリカ大統領選挙が盛り上がっていますね


本日11月5日21時現在で,バイデン氏がトランプ氏より有利に進めているという見方がされています.

ただ,Yahooニュースなんかの反応をみていると,なんだか全体的に「トランプ派」の人が多いようでして.
昨日はなぜか,
「ほれ見たことか! 事前のメディア報道ではバイデン有利だったのに,トランプが強いじゃないか!」
などという意味不明な煽りコメントで埋め尽くされていました.

なんにせよ,稀に見る大接戦になっていることは確かなようで,どっちが勝とうと混乱が生まれると言われています.

というのも,アメリカの大統領選挙のやり方に問題があるというのです.
勝利宣言を出すタイミングとか,郵便投票のシステムとか,「そんなんで本当にいいの?」っていう仕様が結構あるみたいですね.
選挙結果によっては,法廷闘争に持ち込むとトランプ大統領も明言しています.


こんな感じだから,私はずっと,
「選挙をやめて,抽選にしよう」
って言ってるんです.

それについて解説した過去記事はこちら.


そもそも,選挙というのは非常に野蛮な方法です.

考えてもみてください.
政治家選びを大多数の一般人に任せてしまったら,彼らは自分にとって都合のいい人や,または単純に好き(ファン)な人に投票するに決まっています.

するとどうなるか.
自分にとって都合が悪い人が当選しちゃったらムカつくし,自分が投票した人じゃない政治家には敵対心を持つことでしょう.
実際,ほとんどの選挙制度を利用している政治ではそうなっています.

それだけならまだしも,本当に怖いのは,選んだ政治家やリーダーが骨の髄までバカだったとしても,その彼を支持・投票した人たちは「自分が投票した」という手前,その選択ミスを認めたがらず,いつまで経ってもこの政治家が犯す間違いや能力不足を擁護しちゃうことです.

日本では安倍晋三でそれが顕著に出ましたし,きっと今回の菅政権でも同じことが起きるでしょう.

選挙による政治家選びの危険なところは,「ミスや間違いを正しにくい」という点にあります.


そんな選挙制をやめて「抽選制」にしてはどうか? という案がでてくるわけですが,最近では大真面目にこんな研究書も出版されています.

D・ヴァン・レイブルック 著『選挙制を疑う』

以前,
で詳しく解説しましたので,詳細はそちらをどうぞ.


私がこの「選挙をやめて抽選にしよう」と考え出したのは,高校生くらいの頃です.
友達とそんな話をしていたら,案の定,妙な屁理屈だと相手にしてもらえませんでした.
けど,当時から直感的に「選挙というシステムはダメだな」って思っていたんですよ.

その後,大学では政治ネタができる友達に恵まれなかったこともあり,自分のなかで温めてきたわけですが.
実際,20歳を過ぎても私は選挙に行っていません.
この政治システムは本質的に間違っていると感じていたからです.


ただ,大学っていうのは凄く便利なところでして.
図書館に行けば,いろいろな本がいっぱいあるんです.
全く専門外な分野ですけど,チマチマと勉強してこれました.

2000年くらいからはウェブ上のコンテンツも充実していましたし,「2ちゃんねる」とかで議論もできました.

そこから言えるのは,やっぱり「選挙」っていうシステムは,かなりいい加減だということ.
これでまともな政治ができるとは思えないんです.

幸運だったのは,通っていた大学の歴史・思想系の授業を受けていたら,その教員が,
「民主主義と選挙は,最良の政治システムとは言えない」
と仰られていたこと.
これが結構参考になりました.
で,さっそく授業後に先生のところへ行き,「さきほどの話をもっと詳しく」と尋ねたところ,
「君は体育の学生なのに,どうしてそんなことを聞いてくるの?」
と “褒めて” もらえました.
っていうか,この先生も体育学が専門なんですけどね.


ひとまず,立候補・推薦方式の抽選制にしてはどうか?


具体的な「抽選制」の話です.
D・ヴァン・レイブルック 著『選挙制を疑う』では,
「抽選型代議制民主主義政治を実現するための具体的な方法」
についても言及されています.

そこでは,政策決定過程を分割して,その部門ごとに抽選型政治家・議員を置くという方式を採用しています.
詳しくは,
を読んでください.

ですが,いきなりこの政治体制にするのは難しいかもしれません.
研究結果に基づいた方法とのことですが,やっぱり民衆の心情も汲まないといけない部分もあるでしょう.

つまり,なるべく現在の政治構造を変えないようにしつつ,抽選制による政治家を採用する方法です.

例えばこんなのはどうでしょうか.

まず,『選挙制を疑う』で提言されているような,抽選対象を「全構成員」にするのではなく,「立候補者」のなかから抽選にするのが良いでしょう.
これにより,「私は政治家に選ばれたくない」という人の希望を聞くことが出来ます.

しかし,これだけだと「とりあえず立候補しておいて,政治家に選ばれたらラッキーだ」という愉快犯が現れる可能性があります.

そこで,「政治家」になるためには「試験」を受けなければいけない仕様にします.
それは,行政の在り方や日本国憲法の趣旨,基本的な政治システムを運営する上で必要な知識やスキルをテストするものです.
この試験に合格しなければ,抽選対象になれない,というわけです.

これにより,
「私は立法府の長ですから」
などと言い出す行政府の長を事前に払い落とすことができますし,
「知名度や人気などではなく,必要最低限の知識をもった人が政治家になってほしい」
といった国民の不満と要望に応えることができます.


さらに国民の心情に寄り添うシステムにするなら,選挙制による「推薦」と併用するのです.
それは例えば,抽選対象になる候補者を,事前に選挙で選んでおくわけです.

「あなたが次の市長に推薦する人を3人書きなさい」などという選挙をしておいて,その上位何名かを抽選対象にします.

これは,現在の日本の総理大臣選びにも使えます.
派閥でも推薦者数でもなんでもいいから,とりあえず抽選対象者を何名か出すんです.
で,その対象者から抽選で総理大臣を選出するというわけ.


私はこの抽選制による政治って,結構有益だと思うので,しばらくはこのアイデアを推していきたいと思っています.


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