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なぜ大学教員をやめて農業を始めたのか? その3|せっかく大学を出たのに就職するのはもったいない

講演会を依頼されたので,そこで話す内容に関連するものを...,ってことで記事をシリーズにしています.

過去記事はこちら.
なぜ大学教員をやめて農業を始めたのか? その2|研究三昧になりたくて研究者をやめた

今回の「その3」では,私が学生時代の頃から持っていた「考え方」についてフォーカスを当ててみたいと思うんです.

というのも,依頼された講演会の対象者の多くが「大学生」だからです.


就職活動をしたくなかった


私は学生の頃,「就職活動」っていうのにいまいちピンとこなかったんです.
もちろん,私の学生時代でも世間では就活合戦が激しく繰り広げられていたんですけど,なんかね,そうやって「就職」して「サラリー」をもらう人種になるのが,なんだか「負け」な気がしてならなかったんですよ.

就活をしたくなかったから「大学院進学」という道を選んだ,というのも,心のなかでは60%くらいあったかもしれない.


つまり,
「せっかく大学まで行って勉強したんだから,就職するのはもったいない」
っていう感覚です.

過去記事でも,
「大学は就職予備校ではない」
「大学はキャリア支援に熱をあげるべきではない」
っていう話をしたことがありますけど,その源流はここにあると行っても過言ではありません.

もっと抽象度を上げた言い方をすれば,
「大学は,どのような社会・世界においても,自立・自律して生きていける人物を陶冶する教育機関」
だと思っています.

なので,大学で勉強するからには,ゆくゆくは個人営業・個人事業を展開するのが,大学を卒業した者が目指すべきゴールであり,ある意味でスタート地点なのだ,という認識がありました.

ですから,大学新卒者による一斉就職活動というのは,そんな私の思想哲学から外れる活動・行為だったんです.
まあ,ケツの青い若者による,生意気な考えですね.


もともと,私が大学に入学したのは
「スポーツ・コンディショニングの専門的スキル(フィジカル・ケアの専門家って言った方がわかりやす人もいるかな)」
を身に着けて,それを糧としてフリーランスとか自営業的に仕事をしたかったんです.

でも,どうやらそういう専門家の世界って,当時は「専門的スキル」よりも「本人のタレント性(キャラ立ち)」の方が重要だ,って言われていたものでして.

なので,どっかの病院に勤めながらとか,学校の教員をやりながらとか,スポーツクラブのインストラクターとか,プロスポーツチームのトレーナーとかをやりながら,ちょっとずつキャリアを積むものなのかなぁって思ってた時もありました.


ですが,ひょんなことから「スポーツ科学研究」についての関心が急上昇することになって,それで「就職活動を先延ばし」の感覚もありつつの大学院進学になったのです.

その後,大学院生活を続けていると,これまたひょんなことから「研究助手」の仕事が舞い込んできました.
それこそ,「さて,いよいよ就職をどうしようかなぁ...」って悩み始めたときに,日本スポーツ科学界のレジェンドと言える超重鎮の先生の,定年退職ラスト1年だけの助手(秘書的な要素もある)にならないか,というお誘いでした.
もともと,別の人物がその職を受け持つ予定だったのですが,急遽空きポストになったわけです.
それで,じゃあ他に誰か出来る奴はいないかってことで,私の名前が挙がったらしい.

研究分野が違うのに,なぜ私が担当できようか,ってたじろぐものの「せっかくのチャンスなんだから」と思って引き受けさせていただいたんです.
これが私にとって初めての「就職」でした.

実際,この先生との1年間は,あたかもエッカーマンの『ゲーテとの対話』みたいなものでした.
私の人生にとって,極めて重要な1年間だったと思う.

この先生のエピソードはこちらで記事にしています.


その後,これまたひょんなことから「大学教員」の仕事をすることになりました.
いわゆる「一本釣り」と呼ばれるタイプの大学人事です.

なので,私としてはここでも「就職活動」はしていないことになります.

それなりに仕事させてもらったんですが,この大学がですね...,まぁ,その,あれな大学でして.

2012年頃からのブログ記事は,徐々に,
「反・大学改革」
「打倒・ビジネスライク教育」
「学内にカフェ作って喜んでんじゃねぇよ」
の色が強くなってきたのは,これがきっかけです.

この時点で,私はすでに別の仕事がしたくなっていました.
大学教員なんかやるもんじゃねぇな,って.


ただ,もうちょっと違う大学の世界を見てみたいなぁと思って,公募している大学教員人事に出してみたんです.

つまり,就職活動したわけですよ.

大学教員の公募ですから,年に何本・何十本と応募するわけですけど,面接とか模擬授業とかにこぎつけたうちの,2大学から採用通知が来たんですね.
ひとつは,関東の有名私立大学.
もうひとつは,関西の新設私立大学.

なかなか無い機会だということもあって,前者の有名私立大学に奉職することにしました.


ちなみに,後者の新設私立大学は,私とは教育哲学が全然合わないところでした.
全然合わないっていうか,全く真逆の思想哲学で運営するつもりでした.
面接の時点でもそれが明確になっていたのに,どうして私に採用通知を出してきたのか,なんとも意味不明です.

その後,その大学は運営状態が劣悪であることで有名になりましてですね.
で,後年,その大学の教員の一人が,このブログを読んでメールをくれまして,都内の飲み屋で一杯やりながらお話したこともあります.
結局,その人は退職して別の仕事をするって言ってました.

その件を記事にしたこともあります.


すみません,脱線し過ぎました.
話を「就職するのはもったいない」に戻しますね.

そんなこんなで考え至ったのは,
「どっかに就職・所属して,労働者やサラリーマンをやるのは性に合わないな」
ということでした.

過去に,このブログでいろいろと,
「大学ってのは,こうでなくてはならない!」
などと吠えていたのも,つまりは自分自身が経営者気質だからだろうな,って思うんです.

私が経営陣ならこんな大学経営しないのに.
本気で学生募集する気があるなら,大学という業種の強みを活かせばいいのに.
などと,「労働者のボヤキ」ではなく,心底そう思ってる自分がいるんです.


「そんなに大学業界に不満があるなら辞めちゃえばいいのに」
って言われるんじゃないかな,っていう認識はありました.

なので,
「だったら辞めちゃおう」
って.

もともと,すでに辞める気は満々だったわけですし.
それが7年くらいノラリクラリとしてしまったわけで.

で,学生時代の気持ちを思い出したんです.
そう...,当時から私はこう考えていたじゃないかと.

「せっかく大学まで行って勉強したんだから,就職するのはもったいない」
「大学で勉強するからには,ゆくゆくは個人営業・個人事業を展開するのが,大学を卒業した者が目指すべきところだ」

今となっては,そんなの個人個人の勝手だ.
本人のキャラによる.
資質・素質・能力による.
と考えていますが,それでも,元来,大学や大学院での学びは,個人を可能な限り「自立(自律)」させて,できるだけ一人で完結できる活動(経済活動,文化活動,私的活動などなど)を展開できるようにするためのものだと解釈しています.

ざっくり言えば,究極の「お一人様生活」を目指すのが,大学・大学院なのです.

これに焦点をあてて語りたいことはもっとあるんですが,とりあえず「なぜ大学教員をやめて農業を始めたのか?」に関連するところとしては,以上のようなものです.

実際,大学で勉強してきたことや,大学院で身につけた研究手法などは,農業においても非常に役立っていますし.



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