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名作を漫画で

昨日に引き続き,今日も 「マンガで読破シリーズ」に手をつけました. ダンテ 著『神曲』 を買う時に, ドストエフスキー 著『カラマーゾフの兄弟』 と プルースト 著『失われた時を求めて』 も買っていましたので,それを. ということで今日は『カラマーゾフの兄弟』 と 『失われた時を求めて』 に目を通してみました. Amazonのレビューでは善し悪しがありますけど,総じて賞賛のコメントが多く,私も悪くない出来だと思っております. 何より,「どうせなら,読まないくらいなら読んだ方がいい」 という感じでしょうか. 活字の方が優れているという価値観が絶対的なわけではないはずですから,楽しめるメディアで楽しめばいいのです. サッカーが敷居が高ければフットサル.アルマーニでなくてもAOKIのスーツを着ればよいのです. 大切なのはそこで何を得るかです. 原作は両方とももの凄い量の小説ですから,間違っても2時間チョイで2作品を制覇できることは不可能. マンガなら,あらすじを追うだけならそれができます. 先日, 『世界・名著のあらすじ』 とかいうのを読んでみましたが,いかんせん あらすじ過ぎて本当にあらすじしかわからない. やっぱり作品として物語を楽しみたいので,漫画に再構成するという企画はうれしいものです. このシリーズを通して,名著の良さが味わえそうです.

神曲

最近は世界の名作文学が漫画として再構成されて出ているようで,先日,「日本人の歴史教科書」 もいいけど,ついでにそれらも買っておきました. 購入したのは ダンテ 著『(マンガで読破シリーズ)神曲』. 神曲と言えば,私は学生時代に 「宗教学」 なる授業で先生が取り上げていたことを思い出します. 使った本は 野上素一 訳『神曲物語』 でした. 大学の授業で,半期(10回)しかない授業ですので,神曲の全てを扱うことなどできるはずもなく,天国(天堂)篇を少しかじったくらいだったことを覚えています. 結局 授業で何を扱ったかも頭に入らず(S先生すみません!),ノート持ち込みアリの試験にパスして終わったのですけど,やっぱり世界になだたる名作文学ですから興味がゼロというわけではないのでして. その後,幾度か神曲読了に挑戦はしてみるけど挫折するオチ. モヤモヤした気持ちで数年を過ごしてきた日にピリオドを打つべく, 「漫画なら・・・!」 と一念発起して読んでみました. 一度読み始めたら,漫画であることもあって小一時間で読了. それでいてダンテの神曲物語の概略を押さえているので,たしかな満足感は得ることができました. 物語は,主人公・ダンテが ウェリギリウスとかいう出所不明なお坊さんと一緒にあの世に行って地獄,煉獄(浄罪),天国(天堂)の各エリアを見学して回るお話でして,キリスト教が持つ宗教観についてダンテなりの解釈を交えながら驚きとスペクタクルに満ちた展開で書いているという感じです. 人々がそれぞれにぼんやりと「天国」や「地獄」をイメージしてるなかで,13世紀当時,これほどまでに思いきって宗教的世界観を鮮明に描き出したことは評価されて当然でしょう. 原作には,いろいろとたくさんの文章が書かれていますけど,「要するに言いたいことはこういう事だ」 ということが掴めればそれでいい.読まずに放っておくくらいなら漫画で十分だと思います. それに,これを機にもう一度原作に挑戦する気にもなったというものです. 気を良くした私は,次は ドストエフスキー 著『カラマーゾフの兄弟』 に足をつっこむことにしました. 原作が訳書で出てますけど,あの量をみて尻込みしていたところですから,ちょうどいい機会ですね...

スポーツ観とその変化

今年の世界陸上がドイツ・ベルリンで開催されることになっています. で,TBSに日本陸連から注文がつきました. TBS世界陸上、選手キャッチ コピーダメ! サンケイスポーツ 2009.7.25 陸上の世界選手権(8月15日開幕、ベルリン)の独占放送権を持つTBSテレビが、日本陸連から選手の キャッチコピー(CC)を撤廃 するよう通達を受けていたことが24日、分かった。 同局では1997年のアテネ大会から独占放送を続けており、男子短距離の朝原宣治(37)を 「燃える走魂」 、男子400メートルハードルの為末大(31)を 「侍ハードラー」 などと日本人選手、有力外国人選手に独自のCCを付け、大会期間中に連呼してきた。 だが、ネット上での批判や一部のネーミングに不信感を抱いた現場関係者も多く、高野進強化委員長(48)らが“強権”を発動したとみられる。 現代のスポーツは大衆の興味を巻き込むことでその存在意義があるものです.ゆえに,スポーツはマスメディアが持つ本質と親和性が高く,特に日本においてはプロ野球との連携が代表例です. 今回の日本陸連の注文は,そういう意味において(??)な感じもしますが,スポーツ界がマスメディアに対してその “伝え方” に違和感を覚え始めたことを物語っています. 妙なキャッチコピーを目にすると興ざめすることはたしかで,スポーツ界に身を置く者ほど嫌悪感を抱きます. キャッチコピーはスポーツをたまにしか見ない人達には有効なのかもしれませんが,コアなスポーツ・ファンのスポーツ観にはそぐわないはずです. ただ,今回の件で感じるのは,「スポーツ」 という “営み” や “行為” に関わる人が,その関係者を選ぶようになってきたことが考えられます.スポーツ・ファンとしてコアな存在に(無意識的に)フォーカスを合わせ始めた観があります. 別にそれが悪い事だとは言いませんが,スポーツを一般的エンターテイメントとして振興する時期から変換したことを意味します. 以前の記事 でも取り上げたスポーツ観の変遷の可能性.今回のことはスポーツに対する見方が変わり始める予兆的出来事である気がするのです. スポーツを純粋な(自然な)肉体の表現型として評価する価値観から,肉体の限界点を模索する営みへと変...

続・ネットカフェで

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あのあと入ったネットカフェでも個室がもらえませんでしたが,前のところよりは爽やかな空気に満ちており, 「ここなら寝れる!」 と腰を据えることに. 案内されたらPCに電源も入れず即 就寝. リクライニングチェアだったので座り(寝)心地もよく,周りを見渡せば10人中9人がグッスリとお休み中でした. なんかこう..,一体感と言いますか,店内の客たちと不思議な連帯感が共有できたような気がします. 当初は “ネットカフェ” ということで引いていたのですけど,いつしかワクワク感を味わっており,難民生活も悪くないなと無責任にも思うようになっていました. 4時半ごろに起床. そこでやっとPCに電源を入れて今日行く先の場所と電車の連絡を確認します.飲み放題のドリンクを一杯だけ頂戴し,更衣室に行って新しいシャツに着替え出発です. 早朝とはいえ空はかなり明るくなっていましたが,客引きはまだうろついていました. 「オニーさん,マッサージどうか?」 信号待ちの交差点で執拗に声をかける東南アジア系のオネーさんを無視して一路 駅へ. 現地の最寄り駅に着くと,そこからはタクシーで学生が待つ調査現場へ.調査現場は山奥,そこで合宿をしている小学生が対象です. 舗装されていないデコボコ道を激しく揺らされながら20分くらいで到着.携帯電話には圏外のマークが. 着くと早速 学生と合流して調査準備に取りかかります.が,ここでアクシデント発生.調査に使う機器の電池が切れてしまっていたのです. ということで,再び山の麓の街まで電池を買うため降りることになってしまいました. 「ということでトンボ返りですよ」 このジョークにタクシーの運転手は笑ってくれました.手配したタクシー会社がトンボタクシー(株) という名称だったから. 無事に調査も終わり,お世話になった現地の方とも挨拶をして終了. 正味,現地にいた時間は2時間.そのまま帰宅. 自宅に着いたのが11時頃だったので,ちょうど12時間の仕事ですね. 遠出した割にはアッサリした幕切れ. 帰りは,せっかく街にでたんだから遊んでこようかとも思いましたが,面倒くさくて諦めました. 大型書店がある駅が途中駅だったので降りようかとも考えたのですが,自宅近くの書店でいいやってことで. 長い一日.でも,朝が長いだけで(5時くらいから活動するだけで)ここまで時間の感覚が違うものなん...

ネットカフェで

明日は研究室の実験があって泊りがけの外出. 朝早くからの調査作業になるので現地で一泊することになりました. が,それにしてもネットカフェで一泊というのはいかがなものか. 実験を担当している研究室の学生は悠々自適に現地の宿泊所で泊まっているんですけど,私はというと,調査するところの近くの街でネットカフェ. ん~~,なんとかならんかったもんか? 手伝いに行くっていう私がネットカフェとはね~.まいっか. これまで耳にしてはいましたが,初めてネットカフェなるところに入ることになりました. そしてそこでコレを書いています. 店内はというと,いたって初空間. 何から何まで興味深い光景です. 受付の店員はこなれた様子で店のシステムを説明しますが,てんで頭に入ってきません.何を言ってるのかさっぱりです. 近くで大きな祭りがあったこともあって,店は結構混雑.期待していた個室が使えませんでした. まぁ, 外の生ぬるい風とよどんだ空気,そしてケバケバしい女や客引きを見ながらボーっと夜が明けるのを待つよりはいいでしょう. なかなか便利な空間が用意されているものです. プルースト 著『失われた時を求めて』 には, 「 ふと口にした紅茶に浸したマドレーヌの味と香りから,幼少期に家族そろって夏の休暇を過ごしたコンブレーの町全体が鮮烈に蘇ってくる 」 という一節があるのですが,この味覚と嗅覚によって記憶が鮮明に蘇ることを,この小説をもとにして “プルースト現象” といいます. 最近は匂いの研究もしておりまして,この現象にも興味があるのですけど,ここではそんなことを言いたいのではなく,このネットカフェの匂いがプルースト現象を起こさせるような匂いだったのです. 秋葉原 それです. 秋葉原の街を散策したことがありますが,ちょうどこの店内の匂いと同じです. ヒトの匂いとでもいいましょうか. 汗とか足の匂いとかじゃなく,純粋に “ヒト” の匂いです.オタク臭とはまさにこのこと. 無意識に顔をゆがめてしまうこの匂い.それにタバコの刺々しい匂いが混ざり合って最悪. 我慢できるのも時間の問題. 少しゆっくりしたら,さっさと出て行こうかと思います. そして次のネットカフェに.

文学作品も読まないと

最近はそう思うようになり,小説にも目を向けるようになりました. きっかけは村上春樹作品を友人に紹介された二ヶ月くらい前からで,何冊か読みその魅力がわかるようになってきたところです. ただ,小説を読むと文学の知識やウンチクは磨かれるようになるかもしれませんけど,なんというか,実学が身についているような気がしないので,どうせ読むなら “タメになる本” を読みたいという微妙な焦り感もあったりで. なら実学書を読んで,実際に実学を身に付けているのかと言えばそれも結構怪しい. 書を読むだけ,考えるだけではダメだ.実践が伴わなければならない. とお釈迦様もおっしゃっております. 実践してみて初めてその知識の価値や無価値がわかるわけですから,そういった場面に遭遇しなければいけないし,そういった場面に遭遇するようなアクションをかけなければいけないということでもあるのでしょう. ですが,それは別の視点からすれば,勉強と言うのは “自分が置かれている状況に沿った思考や知識だけを取り込むだけでよく,要はその知識を咀嚼し思考を重ねること” が重要なこととも言えるわけで. 自分の仕事以外の知識はからっきしといった職人肌の人でも,むしろそういった人のほうが教養が深いといったこともそれを裏付けています. そんなわけで,小説などの文学作品の中からも得られるものはあるはずだと信じて,いろいろな作品に目を向けようと思い立ち 『世界(日本)・名著のあらすじ』 とかいう少し前に流行った 「あらすじ本」 を買ってみました. 文学作品の分野に踏み出すジャンプ台になってくれればいいなと考えています.

腐ったみかん

ゲリラ豪雨とでも言うのでしょうか? 今,外は大雨です. 自宅の金属製のドアに横殴りの雨が叩き付けてきて,バリバリと耳障りな音を立てています. 「明日の朝にかけて大雨」 との予報ですが,自転車通勤の私としては困った限りです. せめて小雨,労せず通勤できる事を祈っています. 今日は 今村克彦 著『くたばれ学校』 というのを拝読. 現場で24年間 教師をやっていただけに一つ一つの言葉に重さがあります. 「いじめブーム」はもう終わりました!? オレは子どもを信じたい—出席停止でいったい何が解決すると言うのか こんな感じで第一章から現場の教師ならではの調子で始まります. 氏の考えはかなり私の教育観と類似しており, 「そうだそうだ」 と相づちを打ちながら一気に読み終えてしまいました. 詰め込み教育しかり,学級崩壊しかり,いじめ・自殺しかり,学校裏サイトしかり... 日本の将来を左右する子どもの教育問題のクセして,報道の仕方がまるで “ブーム” を取り上げるような扱い.その上,記者だかディレクターだか幹部だか知りませんが,報道する視点が彼らの主観性に満ち,問題を深く掘り下げないまま垂れ流す有様. 日本のマスメディアの腐敗が顕著に感じられる事象です. “問題を起こす生徒はその他の生徒に害を及ぼす前に隔離” 学校としても責任を問われずに済む適切な方法ですが,これが『教育』と言えるかどうか. いわゆる 「腐ったみかん理論 ,または 「割れ窓 broken window 理論」 というのでしょうが,これを無批判に教育現場へ入れるのはかなり危険だと思います. 大火事になる前にボヤの段階で消しておく.という意味なら教育マネジメント(?)や技術論として結構なことですが,問題はその “ボヤ(問題を起こしている生徒)” というのが学校にとってはボヤでも,当人にとっては大火事であるということ. 大火事になっている当人を切り離して消火活動をせずに延焼を防ぐ,という判断は教育活動としては倫理に欠けるということです. 以外と多いんですよ,「他の子どもがちゃんと勉強できる環境をつくるためには停学・退学これ当たり前では?」 というの. 私が通っていた高校の生徒でも,そんなふうに考える...

冷え性の特権

今日は真夏の体育館で体力測定という作業をしたんですけど, 実は暑くないんです.そんなに.私. 周りの人達は汗だくグッタリしながら作業していましたが,私はというと 「暑いにゃ暑いんだけど,そない言うほどでもないな」 という感じでしょうか. 「暑い・・・」 と周りがおっしゃっている手前,合わせるために自分も 「暑い〜」 と言ってます. 近年 お陰さまで冷え性になりまして,暑さに耐えられる身体を手に入れました. 血圧も上が100を切って下は60前後. クールに生きて行こうと思います. いろいろ体に変化が起こる三十路間近の今日この頃です.

あの話

あの レストランでの話 が今日になりました. 早いものです. 今日は勤め先の大学がある地元の一グループとの懇親会 (食事会&発表会) でして,なんだかよくわからないまま行って好き放題いろいろと話してきたという感じです. 身の程知らず,未熟な自分を反省しています. 昨夜のうちに資料を作ってしまう予定でしたが,村上春樹の『1Q84』を読み切るために必死だったので,今日の昼に適当につくってしまいました. ですが,それなりに興味は引いてくれたようで, “大学が地域に対してどのように貢献できるのか” というテーマを提案したのですが,さまざまなご意見がいただけました. 「まずは町役場に情報を」 これから始めるしかないし,それが手っ取り早いということ. こちらもそう思いましたし,ぜひそれをやってほしいとのことです. 大学内部ではそれほど気にしていなくても,意外と外部(町内)の人には興味があることも.練習試合やセミナー,講演会などなど,何かあれば知らせてくれればリアクションがあるのではないかということでした. 些細なことでいいので,町役場の広報部にお知らせしてほしいとのことです. でも,なかなか町役場に「これ載せて」なんて言いにくいような... けど,そこは人脈がものを言います. その時にまた連絡してくれれば,いろいろ手配してくれるようなことをおっしゃられていました. 9年住んだこの町ともそろそろお別れする時です. 大学と町がコラボレーションしてくれれば,これに勝る貢献はありません. なにか残して去りたいものです.

1Q84

つい今しがた読み終えました. 村上春樹 著『1Q84』 一度読んだだけではわからない部分もありましたが,素直におもしろい作品であったことはたしかです. 職場の同僚から勧められまして,発売当初は 「いつかは読んでみよう」 と思っていたのですけど,貸しくれるってんで早速読んでみることに. 久しぶりに仕事もせずガッツリ小説と向き合った3日間でした. なんでも,著者の村上春樹氏はオウム事件の裁判を傍聴しながらこの作品の構想を練ったそうで,随所にその影響がみられます. 新興宗教集団とそれにまつわる事件の構成など,オウム事件を彷彿とする部分が多く,なにより2人の主人公が置かされる状況がオウム事件を引き起こした被告人と類似します. 信じて疑わなかった日常の常識が覆えること.逮捕され,取調べを受けていくなかで,日常の宗教活動と世間の常識に乖離があることを知らされる.殺人すら(洗脳とはいえ)犯してしまう自らの精神状態とに混乱が生じるのです. ところが,彼らはそれでも教祖である朝原への帰依をやめることはできないのだそうです. 朝原にそれほどの影響力があったのか,それが心理学的にどんなメカニズムなのかは知る由もありませんが,『1Q84』 の作中にはこのような言葉があります. 「入口はあるが 出口はない」 一度シフトしてしまった世界からは抜け出すことはできない. クライマックス...,主人公の一人が自殺をはかる場面からは,オウム事件の被告人が現実と向き合った際の苦悩,「この自分を取り巻く世界」 への “ケジメ” への願望,そして元の “常識的常識の世界” に戻れない諦めにも似た複雑な心境とが重なります.