2017年12月12日火曜日

体育学的映画論「0.5ミリ」

チャンネルが合わないと全然おもしろくない映画です.
たぶん,私も10年前の自分ならおもしろくないと思ったはず.
30代という,この歳になったからこそハマった映画と言えます.
0.5ミリ(wikipedia)

チャンネルが合った映画ですので,何か評論しようって話ではないのかもしれません.
映画で捉えているものが,すんなり入ってきます.
久々に凄い映画を見た.いやぁ~,ええもん見たなぁって思える映画には,なかなか出会えるものではないですから.

にしても上映時間が長い.3時間超え.
でも,あっという間に感じるほどのめり込めます.

この『0.5ミリ』の原作者であり監督をした安藤桃子氏は私と同世代です.
小説版が2011年,映画は2014年に撮られたもので,2017年現在における我々「30代半ば」の者たちがなんとなく感じている「世代の見方」を写し撮っているように思います.
逆に,おそらくは20代以下の人が見ても退屈と感じる映画です.

30歳くらいになったら,以前にも増して世代間の違いを意識するようになってくるんですよ.それは別に「違い」を評価しようっていうわけじゃなくて,意識するってことです.
中年や高齢者との違いはもちろん,この歳になると20歳くらいの人との年齢差を感じるようになる.それも同じ民族・文化圏で育った者同士での差を感じるわけです.

劇の終盤で,主人公がつぶやきます.
「死にそうな爺さん相手にしてるとさ,時々思うの.私の知らない歴史を生きてきた人が,おんなじ世界に生きているんだなって.戦争とか私知らないし.今日生まれる子も,明日死ぬ爺さんも,みんな一緒に生きてんだよ.お互いにちょっとだけ目に見えない距離を歩み寄ってさ.心で理解できることってあるんだね」

あぁ,分かる分かるその感覚.
以前は頭で理解できていたことですが,最近は心の底からそう思うようになりました.
歴史を大切にするっていうのは,史実を追い求めたり知識を整理することではなくて,その民族と社会の生き様を語り継ぐことなんだなぁって.

劇中に出てくる老人たちとのエピソードは,どれも破天荒なものばかりですが,実はいずれも「普通」な人たちなんです.
そこら辺に住んでいる普通の老人に目を向けると,普通でないものが見えてくる.「介護」がそれを浮き彫りにさせます.

簡単に言えば「お年寄りを大切にしよう」という映画なのですけど,こうしたテーマとメッセージをきちんと取り扱った映画はほとんどないんじゃないでしょうか.
もっと広く捉えるなら,「人のことをちゃんと考えてあげよう」というのがテーマだとも思います.
介護とか高齢者は呼び水にすぎない.大事なのは「人」とどのように対峙するかです.

この点について,あえて焦点を絞らず,大きく切り取ってきたからこその3時間超えなのでしょう.
でも,じっくり腰を据えて見る価値はありました.私はこれくらいの長さで一気に見るのが丁度いいと思います.

ところで,この映画のロケ地は,私の地元である高知です.
映画を見ながら,「あっ,サニーマートだ.ここはフジグランの中だ.種崎海岸だ」と楽しくさせてくれます.
監督の安藤桃子氏は,この映画撮影を機に高知に移住したとのこと.
(実は)日本最大の映画県に移住されるとは,なかなかお目が高い映画監督です.
最近は高知市内に映画館を作ったというニュースがありましたね.
高知と映画(全体とは部分の総和以上のなにかである)

なお,この『0.5ミリ』では,土佐弁による演技は一切ありません.
変な土佐弁で演技するより,まったく触れなかったのはいい選択でした.
地元民としては好評価です.


2017年12月6日水曜日

例のNHKの判決

NHKの受信料を支払う必要のない私にとっては,価値があるんだか無いんだか難しい話題です.
でも,それだけに関心はあったりするわけで.

どうやらテレビなどの受信機を持っていれば,NHKの受信料を支払わなければならない状態にあることが認められたようです.

NHK受信契約、テレビあれば「義務」 最高裁が初判断(朝日新聞2017.12.6)
NHKが受信契約を結ばない男性に支払いを求めた訴訟で、最高裁大法廷(裁判長・寺田逸郎長官)は6日、テレビがあればNHKと契約を結ぶ義務があるとした放送法の規定は「合憲」とする初めての判断を示した。事実上、受信料の支払いを義務づける内容だ。
ただ,現在支払いを拒否している人が,違反しているからってんで一斉検挙なんてことにはならず,以下のように・・・
NHK受信契約、成立には裁判必要 最高裁(日本経済新聞2017.12.6)
NHK受信契約をめぐる6日の最高裁判決は、受信契約が成立する時期について「裁判で契約の承諾を命じる判決が確定すれば成立する」とした。「契約を申し込んだ時点で自動的に成立する」とのNHK側の主張は退けた。契約を拒む人から受信料を徴収するためには、今後も個別に裁判を起こさなければならない。
とのこと.

NHKが嫌いな人にとっては腹立たしい話でしょうが,冷静にフェアに考えてみれば当然の判断だと思います.
だって,法律を読めばどう考えたって「支払わなくていい」ということにはならないからです.

「テレビを持っていれば支払う」ということになっている以上,NHKの番組に不満があるから受信料を支払わない,などというチンピラみたいな主張が通るわけがない.
払いたくなければテレビを持たなければいいんです.私みたいに.

日本のテレビっていうのは,基本的にNHKを見るための装置です.
ついでに無料で民放も見れる仕組みになっているわけで.
これは別に日本独自のシステムではなく,その他の国でも採用されています.
もちろん,そういう国でも公共放送の受信料を「廃止しろ」とか「安くしろ」っていう不満は出ているそうで,私の知り合いのヨーロッパ人も,そんな政治話が母国でしょっちゅう持ち上がると言っていました.

むしろ,このNHK受信料の問題点とは,徴収する気が弱いNHK側に問題があります.
普通の感覚なら,テレビを購入する際にNHKと契約しなければ入手できない仕組みにしますよね.
例えば,よほど特別な事情がない限り,携帯電話も購入時にプロバイダと契約するし,自動車を購入する時も保険と一緒に組まされます.
それと同じ仕組みをNHKもすればいいだけのこと.
それが出来ないのは,何か後ろめたい事情があるからと勘ぐられても仕方がない.

たしかに,そんなことすると案外たくさんの人が「テレビを購入しない」という状況になったりするかもしれないから,ちょっとビビってるんでしょう.
あれって,テレビ1台あたりに課される場合もあるんですよね.ホテルの客室とかなんて,退っ引きならない状況になりますし.
NHK受信料、「ホテル1部屋1世帯」の不思議(東洋経済2017.4.3)
なので,家電業界からの圧力とか,今年の流行語になった忖度があったりするのかもしれません.

あなたがもしNHKの受信料を支払いたくないのであれば,テレビを持たなければいいんです.
テレビを持っていたら支払え,っていう仕組みになってるんだから,まずはテレビを捨てるのが先.
そしたら集金人も明るく元気に追い払えます.

NHKに不満があったとしても,まずはテレビを捨ててから要求しましょう.

何ていうか・・,テレビ(民放を含め)を見ながら「NHKは見る価値がないし実際見てないから,受信料を払いたくない」って言ってる人って,政治で言うところのサヨクとかウヨクによく似てるなって思います.
うん,凄く似てると思いますよ,そのメンタリティが.
憲法9条で平和が保てると思っていたり,憲法9条を改正すれば普通の国になれると思っている,そんな甘えたメンタリティです.

こういう人達と一緒にはなりたくない.
そんな思いを強くしたニュースでした.



2017年11月29日水曜日

井戸端スポーツ会議 part 51「大相撲の暴力事件について」

大相撲で暴力事件が発生.
暴力沙汰を起こした横綱・日馬富士が引退することになりました.
日馬富士が引退会見(NHK)
大相撲の平幕 貴ノ岩に暴行した責任を取って、29日、引退した横綱 日馬富士の記者会見が、師匠の伊勢ヶ濱親方も同席して午後2時すぎから福岡県太宰府市で始まりました。
(中略)
日馬富士は引退の理由について「親方と話して、横綱としてやってはいけないことを自分がやってしまった」と話しました。そのうえで届け出が29日になったことについて、「場所中だったので、頑張っている力士たちに頑張ってほしいということから本日になりました」と話しました。
本件そのものについて論じることは無いのですけど,関連してお話ししておきたいことはあります.
なお,日馬富士の引退については,私は至って「当然だろう」という立場です.
大相撲というスポーツ選手が持っている社会的影響力と,一般常識的な判断からすれば,引退もしくは追放が順当だと思うからです.

今回の事件は,例えば教育界で取り沙汰される事の多い「体罰」との関連が指摘できると思います.
これについて私なりの見解を一つ.

本当かどうか定かではありませんが,日馬富士サイドの主張としては,貴ノ岩が無礼な態度・行動をとったから,先輩力士として「鉄拳制裁」をしたということになっています.

私はこの「鉄拳制裁」そのものを悪く言うつもりはありません.そういうものがあっても不思議ではないからです.
しかし,「鉄拳制裁」それ自体は違法行為であることは押さえておく必要はある,そう思います.

これは体罰にも同じことが言えます.
体罰そのものは違法行為です.それが当事者以外に知れたら,逮捕されたり処罰されるものです.
しかし,体罰そのものを否定するつもりはありません.
法律違反だからって,それが全て「悪」だということはないからです.
体罰を使ってでも教育することで,それが巡り巡って日本の社会をより良くすることにつながるという覚悟があるのであれば,それは認められることだと思います.

ただし,角界の鉄拳制裁や,教育界の体罰のいずれにも言えることは,当事者間で納得できる行為であれば,それはそれで成り立つのですが,それが外部に知れたらアウトということです.
鉄拳制裁や体罰をする側には,その認識と,何よりその「覚悟」が求められるということ.

そもそも,当事者間で納得できることであれば,こじれて問題になんかならないはずですよ.
いや,「ならないはず」というような次元の話ではありません.

言い換えれば,自分自身が逮捕されたり処罰されることを引き受けた上で,それでも相手のためを思って鉄拳制裁や体罰をするのだという覚悟がその人にあるのか?
それが問われる事だと思います.
鉄拳制裁や体罰は世の中の人々に認められて当然のことだという認識でやっていたらマズいわけですよ.

で,今回は外部の人にバレちゃったわけですよね.
だったら引退か追放になって当然です.
むしろ,日馬富士に言いたいのは,そのつもりで鉄拳制裁したんだろ?ということ.
貴ノ岩に対し暴力を使ってでも訴えることで,それが巡り巡って日本の相撲界のためになるんだという認識でいたんだろ? ということですよ.

鉄拳制裁にしても体罰にしても,それが「是か非か」という判断や価値観を持つものではないんです.
大相撲では普通だとか,貴ノ岩にも問題があったとか,公的に鉄拳制裁(体罰)が認められるケースがあるはずだとか,そんなことはどうでもいいし,どれも的外れです.
ようするに,鉄拳制裁や体罰について,「認める/認めない」という話ではない.

どちらもダメなんです.人に暴力を振るうことは,何であれダメ.
でも,そんなダメなことであっても,当事者たちにとっては第3者たちとは認識が違うというものはあるわけで.
そのあたりを考慮して,今回の事件は論じられるべきだと思いますし,当事者間でそこが食い違っていたわけですから,日馬富士の引退は当然の結果だと考えられます.

2017年11月27日月曜日

いじめの正体

待ちに待った和田慎市先生の新著が出ました.
これまでにも当ブログで記事にさせていただいている,和田先生の新刊です.


和田先生のホームページはこちら.
先生が元気になる部屋(和田慎市ホームページ)

和田先生とは,当ブログをご縁に,何度か直接お会いして情報交換をさせてもらっています.
最近は,現役の高校教諭の先生方を交えた会として盛り上がっております.
学校教育対談(2回目)
学校教育対談(3回目)
学校教育対談(4回目)

ありがたいことに和田先生から本書を献本いただきましたので,早速読んでみました.
これまでにお話いただいていた「いじめ問題」がまとめられており,とても有意義な内容です.
帯には「『いじめは絶対になくならない』ここから出発する以外に,いじめ克服の道はない」とありますが,まさにその通り.
教育現場でいじめ問題を取り扱ってこられた和田先生からの,実用的な提言が並んでいます.

特に,第2章は「いじめ問題」を考える上では重要な示唆を得られます.
「いじめに関する7つの誤解」と題されたここでは,
1.いじめは根絶しなければならない
2.児童生徒の自殺は,いじめが原因である可能性が高い
3.いじめは犯罪だから法制強化し,厳正に対処する
4.いじめかどうかは被害者の判断による
5.学校(教師)は,いちはやくいじめに気づくはずである
6.学校は隠蔽体質なので,いじめはすべて保護者・教育委員会に報告する
7.重大ないじめは,積極的に外部機関に解決を依頼するとともに,世間にも広く伝えるべきである
といった,よく見聞きするこれら7点が,学校現場の実態から非常に乖離したものであることを説明してくれています.

難しい話ではありません.
ようするに,世間一般の皆さんが思うほど,
「いじめ問題は簡単ではない」
「子供の自殺は単純ではない」
ということを丁寧に解説した本です.

学校現場に携わっている方々からすれば,当たり前すぎて「何を今更」と思われることかと思いますが,いやいや,世間一般では本書で取り上げられていることが「当たり前」ではないから問題なのです.
だからこそ,本書は学校現場ではない人が「いじめ問題」を考える上で手にしてほしいですね.
もしくは,学校教育に携わっているものの,世間一般の方々との認識のズレに悩まされている先生方にもヒントを与えてくれるでしょう.

実は,本書で私のブログ記事を紹介していただきました.
こちらの記事です.
笑ってはいけない「いじめ防止対策推進法」
そこからちょっと抜粋しますね.
「いじめ防止対策推進法」では,
児童等は,いじめを行ってはならないとし,いじめが発生しないよう “防止” するための法律にしています.法律の名前からしてそうですから,これは間違いありません.
私はここに「いじめ防止対策推進法」という法律の真の恐怖が隠れていると睨んでいます.
それは何かというと,子供のいじめを法律で,そして,大人(もっと言うと“教師”)が防止(コントロール)できると考えていることです.
いじめを無くせば,子供が善く育つと考えていることです.
「いじめは良くない」「いじめを無くそう」
とても良いことです.異論はありません.
別に私は天邪鬼になって記事を書いているわけではないのです.
「いじめ」はどのような社会でも発生するものです.「防止」できるものでも,解決できるものでもありません.いじめが発生しない社会というのも気持ち悪いでしょ.
けれども,この「いじめ」を放置すると,その社会や共同体が健全に機能しなくなってしまう.それでは問題だから,どのようにすれば良いのだろうか,と考えることが大切です.
もっと言うと,「いじめ」がなくなってしまうと健全な学校教育ができなくなってしまう.それくらいの懐の深さで見守ってもらいたいところです.
和田先生は,こうした “いじめ” が持っている特性について,「あとがき」でコレステロールに例えていらっしゃいます.
とても適切な比喩です.

コレステロールは,増え過ぎると健康を害するようになりますが,これが少なすぎても生命活動に害を成します.
さらに,コレステロールと一口に言っても,LDLとHDLの2種類あるように,単純に示せるものではありません.
いじめもこれと一緒で,いじめがあるからこそ人間だし,いじめを乗り越えるところに人間らしさがあると言えます.

あと,本書で取り上げている重大なことのひとつが,いじめ問題や子供の自殺についての報道姿勢についての提言です.
結論から言えば,WHOが勧告している「自殺報道ガイドライン」を,日本のマスコミは守っていないのではないか? ということ.

例えば,WHOが勧告しているものには,
・写真や遺書を公表しない
・自殺の理由を単純化して報道しない
・センセーショナルに報道しない
等々のガイドラインがあるのですが,いじめ問題や子供の自殺についての報道では,明らかにこれが無視されているとしか思えません.
これについても,本書では学校教育現場の視点から多角的に論じられています.

繰り返しますが,何も難しい議論をしているわけではないのです.
いじめ問題や子供の自殺というのは,簡単で単純ではないということ.

簡単で単純な捉え方で取り組まれると,一番困るのは当の子供たちであり,それを支援する教育現場であることを知って頂きたいのです.


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