2018年5月8日火曜日

ハラスメントといじめ

このブログでも度々取り上げることのあった和田慎市先生が,オピニオンサイトのiRONNAに記事を寄稿されています.
「ズボン脱がされてもイジメじゃない」それってどうなの?(iRONNA 2018.5.3)
私も全く賛同するところですので,ぜひリンク先の記事を閲覧ください.

ちょっと前まで一連の記事にしていた「セクハラ問題」において,セクハラはいじめ問題と類似していると述べました.
なので,ここでその関連をお話ししてみます.

実のところ,「いじめ」と「ハラスメント」は,「嫌がらせ」という意味において同義です.
嫌がらせ(wikipedia)
ハラスメント(コトバンク)
ですから,いじめであろうとセクシャルハラスメントであろうと,捉え方やその対処は同じものと考えられます.

セクシャル(性的)ないじめがセクシャルハラスメントであり,権力・上下関係を使ったいじめがパワーハラスメントであり,妊婦に対するいじめがマタニティハラスメント,師弟関係でのいじめがアカデミックハラスメントというわけ.
ようするに,相手が嫌がることをしたら,それはいじめでありハラスメントなんです.

和田先生は上記記事中の結論でこのように述べています.
 学校現場の人間として声を大にして言いたいことは、真にいじめを克服するためには、杓子(しゃくし)定規な定義や報告など形式にこだわるのではなく、まず根絶できない現実を受け止めるべきです。そのうえで、いじめの発生しにくい環境づくりをするとともに、重大な事態に陥らないように早期発見と迅速な対処を心掛け、当事者の人間関係修復と被害者の立ち直りをサポートしていくことです。さらに、有効な未然防止策は、いじめを能動的に克服し乗り越える力、いじめをやめさせる力を子供たちに地道に身につけさせていく教育しかないと思います。
至極当然な意見のように思えますが,そのようにならないのが一般社会の受け取り方というもの.
「いじめ」という状況そのものの発生を根絶したがるんですね.
いじめは悪.いじめの加害者に制裁を.いじめが発生する学校は碌でもないところだ,と声高に叫ぶ人達が後を絶ちません.

これは昨今話題になったセクハラに代表されるハラスメントにおいても同じことが言えます.
よく,セクハラ問題で「セクハラは根絶されなければならない」と吠えだす過激な思想を持った人がいますが,そりゃ無理ってものです.

勘違いしないでください.
先日までの記事でも分かるように,私はセクハラを「仕方ないもの」とか「発生しても放置してよい」と言っているわけでもありません.
むしろ,セクハラにせよ,いじめにせよ,私はその問題改善に積極的なほうだと自認しています.

ただ,いじめやハラスメントというのは,「法律」によって定義付けて根絶を目指すようなものではないと言いたいのです.
これはちょうど,憲法で「戦争をしない」と明記すれば,戦争が根絶できると言っているようなもの.
いじめやハラスメントというのは,戦争と同様にその発生を根絶することはできませんし,発生に至る背景や事情が複雑極まりないことや,当事者のどちらに「正義」や「もっともな言い分があるのか」といった点が不明瞭であるところも類似しています.

そんな不明瞭なものを法律で定義付けて,発生をコントロールするのは至難の業です,って言うか無理です.
いじめもハラスメントも戦争も,人間社会が存在する限り永遠に発生するもの.
課題となるのは,発生しにくい環境づくりと,例え発生したとしても重大な事態になることを回避する能力を養うことでしょう.

ところが,「いじめ防止対策推進法」や「男女雇用機会均等法」に代表される「嫌がらせ」への対処を謳う法律は,その法律の趣旨に問題があることに加え,「何をもって嫌がらせなのか?」を具体的に規定したがる姿勢を生み,それは同時に「何であれば嫌がらせにあたらないのか?」を引き出そうとする態度を惹起させます.
私がより問題と考えるのは後者のほうです.

つまり,「何をもって嫌がらせなのか?」については,いじめであれセクハラであれ,「被害者が心身の苦痛を受けたと感じた場合」となるわけですけど,これに対して「じゃあ,どこまでだったらいじめやセクハラにはならないのか?」という文句が出てくるんです.
賢い人であれば「“どこまでだったら” という表現が意味をなさない」ということにお気づきになるかと思いますが,世の中そんな人たちばかりではありません.
ネットにも世間話にも「どこまでだったら」と同じような文句を言う方々がいっぱいいます.「同じ行為をしても,訴えられる人と大丈夫な人がいるのはおかしい」とか言い出す輩ですね.

「何であれば嫌がらせにあたらないのか?」って聞かれたら,そりゃ「相手が心身の苦痛を受けたと感じないこと」というのが模範解答なのでしょう.
でも,明確なマニュアルを求めてしまうのが人間ですから,「◯◯はOK.△△はNG」というリストを欲しがります.
これが最大の問題点です.

和田先生が上記リンク先の記事で指摘しているのはまさにこの点で,「◯◯をしていたから,これはいじめだったのではないか」とか,「△△程度であれば,いじめではない」などといった個別具体的な行為や現象を指して「いじめか否か」を論じたがる人が多いわけです.
その結果,いじめ調査を担当する人としても,「◯◯はいじめと言えるのか?」とか,「△△はじゃれあいなのか?」といった議論をするハメになり,結局のところ世間が納得しそうな結論を導くことになる.
過去記事でも書いたことですが,「いじめ防止対策推進法は機能しない」というのは,そういう側面もあるからです.
いじめ防止対策推進法のこと
笑ってはいけない「いじめ防止対策推進法」
つまり,学校教育の場が,生徒間におけるコミュニケーションスキルや人間関係構築の涵養ではなく,生徒達の言動の正否を評定する場になってしまう恐れがあるのです.
(それが「良い」ことだという人がいれば,それはそれで別に議論する必要があります)

人間のコミュニケーションに,「◯◯はOK.△△はNG」なんてありゃしません.
そんなことしてたらまともな社会生活にならないのは,極一般的な社会生活を営んでいる方々はご案内の通りかと思います.

であるからこそ,学校教育においては「いじめ」「ハラスメント」が否応なしに発生する人間社会の虚しさと複雑さを見据えた上で,それへの対処と乗り越える力の育成に焦点を当てるべきではないかと思います.
それが,少なくとも日本社会におけるハラスメント行為の抑制につながるものと考えられます.


和田先生の著書にはこのようなものがあります↓
  



2018年5月1日火曜日

体育学的映画論「レディ・プレイヤー1」

うわ! やっちまった映画だろコレ!
って思ったんですが,意外とヒットしている次第です.

なので,ヒットしてる割には感想・レビューが悪いのでは?
って思ったんですけど,これまた意外と好評価みたいですね.

前回の「ペンタゴン・ペーパーズ」に引き続き,スティーヴン・スピルバーグ監督作品の「レディ・プレイヤー1」です.
レディ・プレイヤー1(wikipedia)
スピルバーグは仕事早いですね.脱帽します.

ただ,この「レディ・プレイヤー1」の出来は良くありません.
私と同じ感想を持ってるネットの「低評価レビュワー」はいるのかな?って思って探してみたんですけど,ザッと眺めた限りでは見つからなかったのでココに書きたいと思います.

低評価しているレビュワーの多くが,「話の流れが分からない」「オタク向けで私には合わなかった」「出演キャラに魅力がない」といったもののようですが,私の感想は「SF映画作品として,解釈できるテーマが余りにも薄っぺら過ぎだろう」といったところ.「ペンタゴン・ペーパーズ」と同じ監督の作品とは思えません.

「やっぱ,現実での人間関係が大事だし,現実ではお金持ちになったら権力を行使できるんだよね」
っていう,旧世代のサクセス・パターンが展開されていて,いかにも俗物なオッサンやオバサンたちが喜びそうな道徳的で下衆な映画になっております.

途中で眠くなったこと数回.
そしてクライマックスまで我慢したけど,その終わり方が酷くて退席したくなるも,両サイドに観客が並んでて出るに出れず.まあ,エンドクレジットになって無理やり出たけど.

映像が派手なので,それを見に行くくらいでしょうか.3Dとかでもやってるようなので,きっとそっちがオススメ.
時間つぶしに,コーラ飲んでポップコーン食べながら,トイレに立つのも気にせずのんびり見るタイプの映画です.

では・・,
【以下,ネタバレを含みつつ書いていきます】
ネタバレが気になる人は,映画を観てから読んで下さい.


80年代以降の映画やポップカルチャー,サブカルチャーへのオマージュが満載で,そうした「オマージュの渦」に巻き込まれたいオタクな人にとっては楽しい時間になると思います.
でも,私はそういう「ウォーリーを探せ」みたいなところに喜びを見出すタイプではないので,どうしても低評価になってしまうんです.

他にも,クライマックスでは日本のサブカルチャーであるメカゴジラとガンダムが登場し,両者が戦うシーンがあることが話題ですが,私は全然ワクワクしませんでした.
別に思い入れもないし,唐突だし,シーンとしての出来栄えもそんなに良くない.
どうしてここでこの両者なの?って疑問に思い,その疑問も疑問のまま.

SF映画としては,「VR方式のゲームが発展した末に,学校や仕事,ショッピングやカフェの時間といったことも仮想現実の中で済ませられる時代になった」ということを,もっと強調してほしかった.

なぜかって?
だって,この映画のストーリーだと,わざわざ仮想現実を舞台にする必要がないからです.
どっかの巨大複合企業の社長さんが死んだところ,遺言でその会社の経営権を「謎解き」できた人に譲るってことになって,その莫大な資産を目指して民間人やブラック企業が奪い合う.結果として,悪そうなブラック企業ではなく,無垢な少年少女たちが莫大な資産を手に入れましたとさ.
という「グーニーズ」タイプの物語.
眠たいでしょ?

せっかくVRゲームと仮想現実に浸った人間社会を題材にするのですから,以下の2点を深掘りしてほしかった.

1)主人公の男女のルックスや正体
VRゲームですから,ユーザーはゲーム内ではアバター(仮の姿)を使って自分の姿格好を表示させています.
途中,「オフライン(現実)で直接会ってみたい」という話になるのですが,そこで「アバターとは全く違う顔や体だったらどうする?」「若い女だと思っていたら,実は中年の男かも」という話題が出てくるんです.
ところが,どのキャラも想定通りなんですよ.
せめて主演の男か女のどちらかが,物凄いブサイクだったら物語に深みが出たというものです.

だってこの映画,現実でもアバターでもイケメンと美女の組み合わせで,結局,大金をせしめてラブラブのハッピーエンドという都合のいい話なのです.
そんなベタな展開,それこそ80年代の映画で腐るほど観てきました.

お互いの顔や正体が分からない中で,どのように信頼関係を築けるか.
「現実のルックスや正体」とは異なる,VRを舞台とした人間模様を描ける余地はあったと思うんです.
・・って考えながらウィキペディアを漁っていたら.
なんと! 本作の原作小説である「ゲームウォーズ」では,主人公の男女は肥満のブサイクという設定のようです.
ゲームウォーズ(wikipedia)
ほれみろ! こっちのほうが断然テーマとして深かったはず.
そのために仮想現実を舞台にしているはずなんだから.

2)仮想現実の可能性
VRゲームで教育や就職もできちゃうという時代背景は面白いので,もっとこの点を掘り下げてほしかったですね.
前述した,「お互いの顔や正体が分からない中で,どのように信頼関係を築けるか」ということと関連するテーマです.

実際,主人公の男女が肥満のブサイクだったというのが原作ですが,であるならば,これだけ仮想現実が人間社会へ密接に入り込んでいるわけですから,「仮想現実の中だけで築く恋愛や友人の可能性」を模索しても良かったのではないでしょうか.
もちろん,それでもやっぱり現実の姿を愛することが大事という結論にしたっていい.でも,私としては「仮想現実における人間関係の可能性」を模索してほしかった.

実のところ,スピルバーグ監督としては「仮想現実の可能性」は断ちたかったものと考えられます.
それは本作のラストシーンが物語っています.
経営権を手に入れた主人公の男女は,イチャつきながら「VRゲーム『オアシス』を,週に何日間かはログイン不可に設定した.なぜなら,みんなも僕たちみたいに現実の人間関係を大事にしてほしいからさ」とリア充満載のコメントを吐き捨てて,エンディングを迎えます.
全然おもしろくない.

こいつらは美男美女のカップルです.しかも莫大な資産を手に入れた超セレブ.そんな2人がオフィスチェアで抱き合って乳繰り合いながら「現実の世界を大事にしろ」と訴えるのは,もはや犯罪行為ではないか.
だってコイツらは,これからはもう仮想現実に入らなくても裕福で気楽な生活を謳歌できる身分になったからです.

仮想現実のなかで生きていたい人達もいるだろう.
仮想現実のなかでなら輝く人達もいるだろう.
この世に化粧やエステ,美容整形がなくならないのは,そうした身体的な「美」に対するコンプレックスや絶望感を持っている人が必ずいるからです.
ところが,そんな人々の仮想現実に託す希望と夢を,主人公の2人は「ログイン不可」という措置を講じることで打ち砕いてエンディング.

すなわち,現実であっても仮想現実であっても,人は「自分にとって都合のいい世界」を押し付けたがるものだという話になっている.
主人公の男女は,自分たちが「現実」の世界で恵まれたのを良いことに,ルックスや才能,経済的ステータスに恵まれていない人達が拠り所としている「仮想現実」を取り去って満足しているわけです.

いえ,別にそれでもいいんですけど.
であれば,SF映画としては,仮想現実のなかで生きていくよりも大事なものを提示すべきだし,仮想現実のなかで生きることの危険性や絶望を描くべきでした.
でも,そんなものは本作では一切出てきません.
(「旨い食い物は現実でしか味わえない」という気の利いたメッセージもありましたけど,実際はこれこそ仮想現実でなんとでもなります)

「仮想現実に閉じ籠もるって,なんだかイケてないよね」っていう偏見からスタートしたストーリーのような気がしてならないのが残念です.


2018年4月30日月曜日

「崖っぷちの大学が生き残る茨の道」の追記

動画配信 Huluで「崖っぷちホテル!」っていうドラマをみかけたので,現時点までの3話分を見てみたんです.
主演の一人である戸田恵梨香さんは,以前から良い女優だなぁと思っていたので,それに惹かれたのもあります.

あと,「崖っぷち」と言えば,だいぶ以前に書いた記事に,
崖っぷちの大学が生き残る茨の道
というのがありまして,きっと境遇が現在の少なくない大学と似てるんじゃないかと思ったのも理由の一つです.

ドラマですが,3話で見るの終わっときます.
これ以上見なくてもいいかなって.
どうしても批判的になってしまうのですが,もうちょっと作り込んでほしいところです.

役者さんの演技に不満があるわけじゃありません.
戸田さんもそうですけど,渡辺いっけいさんとか鈴木浩介さんといった個性的な役者さんを使っているし(この3人の組み合わせって「LIAR GAME」ですね),厨房の2人(中村倫也さんと浜辺美波さん)もなかなか良かった.特に浜辺さんは強烈なキャラの役ですけど,「こういう本当に無垢な娘,実際いるよね」っていう不自然な自然さが出ているのは素晴らしい.今後に期待.
それだけに,どうしてもドラマ自体の作り込みの粗さを感じてしまいます.

内容が気に入らないってわけでもないんです.
崖っぷちの経営組織が,再起を目指して奮闘するっていうのには魅力を感じます.
現代の大学って,どこもまさにそういう状態ですので,シンパシーもある.まぁ,こっちの方は峠を越えたと思ったら滑って転んで谷に落ちてる状態で,もう再起不能ですけどね.

崖っぷちに立たされた経営組織が復活しようとする時,そこで大事にすべきことは「我々の仕事は何なのか?」という点であることも普遍性があって良い.いつぞやブームになったピーター・ドラッカーのマネジメント論で最も重要なところでもあります.
もっとも,少なくない大学経営陣はドラッカーのマネジメント論を誤読しました.
それについても昔記事にしてます.■教育現場,結局,ドラッカーはどうなった?

昔,「王様のレストラン」というドラマがありましたが,「崖っぷちホテル!」はそれと雰囲気や出演キャラがよく似ています.「王様のレストラン」を見たことがない若者たちには見る価値はあるかもしれません.
逆に言えば,王様のレストランを見たことがある者としては,もう一捻りしてほしいのが実際のところ.

でも,それだけじゃない.
今回の「崖っぷちホテル」の何が気に入らないのかっていうと,役者さんが自分の行動理由や思考をいちいちセリフで喋るんですよ.
いえ,これはこのドラマだけに限ったことではありません.たいてい,出来の良くない映画やドラマはそういうことをします.

例えば第3話では,戸田さん演じるホテル支配人は,視聴者向けにこんな独り言を言います.「役職をかけて競争っておかしいだろ!」って.
それはセリフでいうことじゃありません.そこに不満を持つ支配人の状況を映せば済む話だし,それが読み取れるようなシーンを撮れば済む.それに,あのタイミングでの発言もおかしい.くどさが出ます.

最近,「ルパン三世」も新シリーズが出ていますが,こちらも同じことをしています.
第2話にて,暗殺者に追われるルパンと連れの女がこんな会話をするんです.
「ルパンは私を守っている.なぜ?」
「そういうのは言わぬが花ってやつなんだよ」
それに対し,「ルパンは私とエッチがしたいの?」と女は問い続けますが,ルパンはあぁだこうだと否定します.
で,さっき「言わぬが花」と言ってたくせに,ルパンは第2話の決めゼリフとしてこう言い放つんです.
「だけど感謝することはないぜ.俺がお前を守るのは,そういう俺が好きだからさ」

ルパン三世がそういう美意識の持ち主であることは,ルパンファンなら百も承知です.
それに,ご本人も言うように,そういうのはセリフで説明してはいけないのです.だから「言わぬが花」なんですから.
ルパンの行動や判断を粛々と描けば,ルパンが一見女好きなように見えて,実はどういう思考パターンをしているのか感じ取れるものです.

だけど,こういうセリフを吐かせてしまう.
こういうのって視聴者への配慮とは違うと思うんですよね.むしろ視聴者はバカにされているのかもしれない.ルパンがどういう奴なのか知らない人のために,第2話あたりで解説しておこう,ってな感じで.
こういうので一気に冷めてしまいます.

大学教育においても,「分かりやすい」が正義のような風潮があります.
「考えぬく力」を育む上でのわかり易さならまだしも,物事の正否を前提として教えるわかり易さが求められるんです.その正否に至る思考プロセスこそが大事なのに.
それと類似していて興味深いのですが,映画やドラマもそういう圧力と力学が働いているのかもしれない.そんなことを考えさせられました.
つまり,先に伝えたいメッセージがあって,そのメッセージを正確に伝えるために分かりやすく仕立てられた映像と音声が求められているんじゃないかと.

作品をどのように解釈するのかは受け取る側に委ねられているはずで,作者が意図しない解釈も当然あり得るんです.
もちろん,作者や演者に「こういうふうに解釈してもらいたい」という意図はあるのでしょうが,それをダイレクトに見せるのは野暮というもの.

ところで,「良いホテルとは何か」を考えていたら,高校時代を思い出させられました.
今から20年近く前の話です.
学校が休みの時に友達と徒歩旅行をしたことがありまして,愛知県新城市の山間部を歩いていて夜が更けてきた時のこと.
寒い季節だったし,天候も怪しいのに野宿できるような場所がないと焦っておりましたら,道に「民宿」の看板が.
「民宿だったら安く泊まれるんじゃないか」と,その夜は安全策をとることにしたんです.
それに,その日が旅程としては最後の一泊だろうと思っていたので,少しくらいお金使ってもいいかなって.

玄関にお邪魔して,予約していないけど泊まれるか? お値段はいくらなのか? を聞いてみたんです.
そしたら,着物を着た女将さんみたいな人が現れ,今日はお客さんはいないし,1泊5000円くらいで大丈夫とのお返事をいただきました.ただ,予約していないから食事が満足に出せないことと,お風呂は今から準備するので直ぐには入れないとのこと.
こちらとしては「野宿するかどうか」で迷っていたわけですから,「屋根があればOKです」と言ったのを覚えています.5000円ならギリギリ財布にあったし.

ところが,高校生の僕らとしても,ここが安い民宿ではないことを少しずつ感じ取ります.
まず,建物は民宿なだけに大きくないですけど,手入れと掃除が行き届いていて,趣がある.これは僕たちみたいなアホな高校生でも分かります.
次に,「食事が満足に出せない」とか完全に嘘.鴨鍋を中心とした豪華な夕食が出てきたんです.並べられていくお皿を前に,僕たちは目を見合わせました.「これヤバくね?」って.
鴨鍋は部屋まで女将さんが出てきて作ってくれたのですけど,いやいや,僕たちそんなサービス受けた経験ないし.こんなの出世してからの話だと思ってたから.
そして,お風呂は広くはないけどきれい.
一日歩いた疲れがとれます.

寝る前に,天井見上げながら「なあ,ここって本当に5000円なんかなぁ.絶対高級旅館だよなぁ.明日とてつもない値段請求されたらどうしよう.足りなかったら皿洗いとか風呂掃除しようか」って不安を抱えながら,それでも疲れ切ってたので直ぐに就寝.

で,次の日の朝.
これまた美味しい朝食もしっかりいただき,料金を支払おうとしたら,女将さんが「お代は結構です」って.
大変な徒歩旅行をしているんだから・・,などと言ってましたが,それにしても,こっちは美味いもの食って飲んでして,別に世界を救う旅をしているわけでもないのに,タダはないだろうと.
それでもお代は受け取らないということで,おまけに丁寧に見送っていただけました.

宿を出た後,歩きながら話したんです.
社会人になったら,またここに泊まりに来ようって.
その時,ちゃんと5000円を返そうって.

現代はインターネットが普及し,宿泊についても「楽天トラベル」が便利ですよね.
なので,その民宿がまだあるのか.どういう民宿なのか調べてみました.
そしたら案の定,その民宿の評価はすこぶる高い.めっちゃ高い.
だからでしょう,楽天トラベルでも賞を受賞しているし.しかも,ほらみろ,夕食込みだと結構高いじゃないか!
そんなお宿が「浮浪してる高校生をタダで泊めた」なんて話が広まるとマズいので,とりあえず名前は伏せときます.調べりゃ直ぐにわかるけど.

高校生から宿泊代をとらなかったから「良い宿泊所」だと言いたいわけじゃないんです.
でも,その時に受けたサービスは「大人になった時にまた来よう」って高校生ツーリストに思わせる気の利いたおもてなしであり,僕たちの青春時代の思い出になっているんですよ.

2018年4月29日日曜日

初めてのオーダーメイド・スーツ(4)

今回は(4)ですので,それ以前に(1)から(3)まであります.
初めてのオーダーメイド・スーツ(1)
初めてのオーダーメイド・スーツ(2)
初めてのオーダーメイド・スーツ(3)

もう既に「初めてのオーダー」ではないですし,スーツではなくシャツの話になってたりするんですけど,そのへんはご了承ください.

前回は,量販店であるAOKIでもパターンオーダーによるシャツが作れるということで,それを人気テーラー店のものと比較してみようと注文してみた,という話でした.
その後,オーダーしたシャツを受け取ったので,その感想です.

比較するにあたっての条件ですが,以前作った人気テーラー店のものと同価格帯(約1万円)で,類似した生地とデザインを注文しています.

AOKIでは既製服をベースとしてサイズ変更&デザイン設定するため,左右の袖の長さを変えるとか,袖や袖口の太さを変えるといった細かい変更はできません.そのため,既製服と同様に袖のボタンは「2つ」になります.
それ以外は,よほどこだわったデザインにしなければ,テーラー店と同じようなオーダーができます.私は凝ったデザインにしたいわけではないので気になりません.
実際,出来上がったシャツを着比べてみましたが,着心地に大きな違いはありませんでした.

今回,私は先にテーラー店でシャツを作っていましたので,AOKIで採寸・注文する時にサイズ感に対する経験が活きています.しかし,全くゼロの状態からオーダーするのはハードルが高いかもしれません.基準がなければ,どこまで広くしたり細くしたりして良いのか迷うものです.
その場合,対応してくれたAOKIの店員さんが,シャツのサイズ調整に詳しい人であることを祈りましょう.

これまでAOKIでは,肩と袖丈の関係からMサイズを購入していたんですけど,今回はSサイズをベースにして肩幅を広く,腹囲を小さく,裄丈を長めに変更して注文しています.それで丁度良いサイズでした.
でも,だとすると普段のMサイズシャツよりも腹囲が10cmも細くなっている計算です.
事実,以前まで着ていた既成シャツは腹回りがダボダボのブカブカで,腰や脇腹あたりがもっこり膨らみます.鏡に映るシルエットは全くの別物.
どれだけ既製服が「多くの人が着れる」という点を重視しているかが分かります.

ところで,これを読んでくれている皆さんへのアドバイスとしては,AOKIのオーダー・シャツを利用するコツは「袖の太さに合わせる」ということでしょうか(よほど歪な体型の人は別ですが).
AOKIのオーダー・シャツは袖(手首)の太さが設定できません(2018年4月現在).しかし,首周り,肩幅,胸周り,腹囲の太さ,そして裄丈は変更できます.
なので,袖(手首)の太さがぴったりのベースサイズを選んでおいて,そこから他のところを調節すればいいんです.
と言っても,試着するベースサイズのシャツの着心地だけから,それら全てを推測するのは難しいので,ちょっとずつ試していくしかないんでしょうけど.

結論として,私の体型であればAOKIのパーソナル・オーダーというシステムで購入してもいいかなって思います.デメリットがないですから.
そこまでするならテーラー店でもいいじゃないかとも思われるでしょうが,まあ,たしかにね.AOKIであるアドバンテージはないかも.
テーラー店の方がより細かいサイズ調整ができますし,店員からのアドバイスもありますので.

ただ,AOKIはどこにでもあるお店ですが,テーラー店はそんなにありゃしない.
環境条件に合わせて使い分けるといいでしょう.

今回分かったことは,AOKIでもテーラー店と同じようなシャツを手に入れることができるということ.
質を高望みすればキリがありませんが,なんだかんだでワイシャツって消耗品ですからね.結局のところ,安い生地をリピートすることになるわけですから.