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いじめ防止対策推進法のこと

いじめ防止対策推進法について取り上げておきたいと思います.
最近,こんなニュースが頻発しています.
いじめ防止対策推進法に懸念 教育現場「対応機械的に」(朝日新聞)
被害女性との父親が明かす「いじめ防止法」の無力な実態(東京スポーツ)

継続して読んでいただいている方はご存知かと思いますが,このブログでは再三にわたって学校教育における「いじめ問題」の取り扱いの難しさと,それを簡単に扱おうとする世論・民意の愚かしさに警鐘を鳴らしてきました.
『いじめ防止対策推進法』についても,当初から「こんなもの絶対に機能しない」と述べてきたところです.
その代表的な過去記事がこちら↓

そもそも,本ブログの『Deus ex machinaな日々』というタイトルが,こうした「いじめ問題」に代表される「私が考えている凄い解決方法を,優れた能力のあるどこかの誰かが着手すれば,問題はたちどころに解決できるんでしょ」という態度(デウスエクスマキナ的手法)に対する嫌悪に由来しています.

話をいじめ防止対策推進法に戻します.
この法律は3年をめどに改正を検討することが規定されています.
ですので,そういう議論が出てきているようです.
いじめ防止法施行3年、馳浩文科相「改正必要ならば議論」(産経新聞)
どのように改正するのかが問題ですが,例えばこの記事にはこうあります.
(本法律が立法する)きっかけとなった大津市でいじめを苦に自殺した中2男子生徒の遺族は今年2月、いじめの情報を学校が把握した場合、保護者への報告を義務化することなどを馳氏に要望している。
冗談じゃない.そんなことを学校に義務付けようものなら,教育現場は大混乱です.
これは「そんなことしたら隠蔽できなくなるじゃないか」という話ではありません.

いいですか.落ち着いて誤解無きよう聞いて下さい.
子供の「いじめ」について落ち着いて正面から向き合ってくれる「親」だったらそれでいいでしょう.
しかし,教育現場にいる人なら分かってくれることですが,世の中そんな親ばかりではありません.問題を抱えた親,当事者の相関関係がいわくつき等,そういうケースがいろいろあります.
情報を包み隠さずストレートに伝えたら問題がこじれて,結局は子供のためにならない状況になる場合だってあるのです.
「報告の義務付け」なんてことしようものなら,良い意味での学校における情報コントロールができなくなることを意味します.

そんなこと言うと「学校による情報コントロールだと!? 都合よく情報をかき回すだけじゃないのか? お前ら何様のつもりだ!」と食ってかかる人もいるでしょうが,そういうことではありません.
何もかもオープンにすることが「善」だとは限らない.
(教育のプロの方々に向かって「教師ごときが何様のつもり」という態度をとる連中が,私はそもそも気に入らないのですが,それはこの際脇に置きます)

これを法律によって「義務付け」をするということは,どんな親であろうと,どんなシチュエーションであろうと報告しなければならないことを意味します.それが子供を教育する現場においてどれだけ恐ろしいことかお分かりでしょうか?
「想像できない」「わからない」という人は学校教育にイチャモンつけるべきではない.

こういうことを言うと,「だったら例外を用意すればいいのではないか?」と言い出す人が出てきます.けど,それって結局今と一緒ということです.
例えば道路交通法において,制限速度をオーバーしてはいけない,というドライバーとしての義務がありますよね.
それに例外として「急いでいる場合はこの限りでない」なんてものを用意したらどうなるか,容易に想像できることでしょう.これと同じことです.

いじめ防止対策推進法は機能しません.
過去記事でも書いていますが,ここでもう一度述べておきます.
なぜいじめ防止対策推進法は機能しないのか?

それは,この法律があろうとなかろうと,学校では「いじめ」への対策はされているからです.わざわざ法律にしなくてもよいものです.
この法律を読んでいただけると分かるのですが,学校現場にある人達からすれば,
「そんなこと昔からやってるよ.ってか,これは現実的じゃないから,もっと別の良い方法を採らせてほしいんですけど」
というような内容なのです.

たしかに「いじめ問題」に端を発する重大事件が起きたことは痛ましいことです.ですが,それをもって日本の学校における「いじめ問題への対応」が不適切なものだと断じ,それに対する法律をこしらえるのはあまりに拙劣です.

今,いじめ防止対策推進法が,
「機械的対応になっている」
「無力だ」
「効果的ではない」
ということになっている.
そんなこと,教育現場を少しでも垣間見たことがある人なら最初からわかることです.
どうして教育現場に立っている者や,その専門家の意見を聞かなかったのか.

もっと言うなら,私は「いじめ防止対策推進法」には現代社会の闇が隠れていると睨んでいます.
それは何かというと,子供のいじめを法律で,そして,教師の力でコントロールできるものだと考えていることです.
そして,「いじめを無くせば,子供が善く育つ」と考えていることです.

「いじめは良くない」「いじめを無くそう」
とても良いことです.異論はありません.

しかし,「いじめ」はどのような社会でも発生するものです.「防止」できるものでも,解決できるものでもありません.定常的に発生し続ける現象です.
けれども,この「いじめ」の悪化を放置すると,その社会や共同体が健全に機能しなくなってしまう.それでは問題だから,どのようにすれば良いのだろうか,と考えることが大切なのです.

誤解を恐れず言えば,「いじめ」がなくなってしまうと健全な学校教育ができなくなってしまう.そういうものではないかと思います.
学校教育において「いじめ」とは,それが被害側であれ加害側であれ,より良い人間になる上での克服すべき課題と捉えるべきではないでしょうか.
いじめとは,無くせるものではないからです.人間,生きている限りどこまでもついてくる課題であり,それは「発生」をコントロールするのではなく,「現象」をコントロールするところに人間性が現れてくるのだと思うんです.

ですから,いじめを「防止」して「なくそう」とする思想哲学を持つこの法律では,絶対にいじめ問題に対処することはできません.
仮に「いじめ」を無くせたとしましょう.でもそこには,「いじめ」という名称ではない「いじめ 2.0」が発生したことを意味します
これはちょうど,「クリスマスで寂しい思いをしないために,クリスマスを禁止しよう」っていうのと同じです.恋人がいないことの寂しさは,クリスマスによって発生するものではありませんし,禁止したところで「クリスマスが寂しい」とは異なる別の「恋人がいない寂しい状況」が発生することと一緒です.

そうこうするうち,切羽詰まった人が「出合い系サイト」なんかに手を出すわけですけど.
ここで私の予言.この「いじめ防止対策推進法」,今その改正が検討されているようですが,
「いじめ防止対策推進法も,出会い系サイトと同じ思想哲学のことをやり出すであろう・・(例えば,いじめの解決法が文科省の管理サイトとしてアップされるとか)
この予言が当たらないことを切に祈っております.

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