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井戸端スポーツ会議 part 35「リオデジャネイロ大会」

オリンピック・パラリンピック・リオデジャネイロ大会が始まったらしい.
でも,TV持っていないし興味ないので観戦するつもりはありません.

まったく関心がないわけではありません.
こういう仕事していますから気になる部分があるところはたしかで.
知り合いが試合に出てたりするし.
でも,だからといって情熱的に眺めるものではないと,そういうことです.

オリンピックに興味がなくなったのは中学生くらいからです.
大騒ぎするほどのものではないなと,そういうことです.
それ以上に,スポーツは「観る」ものではない.そう捉え始めたところが大きいです.

オリンピックだけじゃありません.
高校生くらいからプロスポーツ全般を見なくなりました.
プロ野球はもちろん,サッカー・ワールドカップもバレーボール・グランドチャンピオンズカップも見ません.
そもそもTV持っていないので見れません.
頑張ってスポーツ観戦に興味を持つように務めたこともあります.今思うと無駄な努力でした.

こういう仕事していますから,周りがそういう話をすることがあります.「あの試合,凄かったよねぇ」って.
その度,「ですよねぇ」などと適当な相槌を打っています.

一応,高校球児でしたので,WBCとかイチローの3000本安打には興味はあります.でも,わざわざリアルタイムで確認,観戦するほどではないですかね.

必竟,スポーツは「観る」ものではなく,「する」ものだということにしたんです.
自分で取り組んでこその「スポーツ」.
観ることに楽しみを見出すことは諦めました.
観戦なんて邪道.そういうスタイルにしています.

実は,我々のように体育・スポーツ学を専門にしている人には,こういう考え方の人が結構います.
同志多数が心強い.

「スポーツ観戦は邪道」
これは重要なスタンスではないかと思うんです.

否,スポーツ観戦そのものを批判しているのではありません.
スポーツ観戦する姿勢を問うているのです.

誰かがスポーツをしている様子を観ること,それ自体に「注力」すること.
ルールも経緯も意義もわからず,ひたすら観戦することに価値を見出す姿勢.
これは「バカ」を生み出すことにつながります.

よく,そのスポーツのルールや経緯や意義なんて細かいことは気にせず,盛り上がって観戦すればいいじゃないかと言う意見があります.オリンピックやワールドカップのような国際大会・日本代表戦ではそれが顕著です.

でも,短パンTシャツでは入れないレストラン,予備知識がなければ聞けない音楽,教養がなければ見れない美術があるのと同じように,「スポーツ観戦」するにしてもこれと同じことが言えるのだと思うんです.

渋谷でハイタッチ」する奴は,きっと格式あるレストランに短パンTシャツで入ろうとするし,『シン・ゴジラ』よりも『ゴジラ vs メカゴジラ』の方が戦闘シーンが良いと言い出す.

そんな連中をのさばらせると碌なことがありません.一刻も早く改善すべきです.
詳細は関連記事に譲ります.


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