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代わりが誰かいるために

前回の記事では「じゃあ,代わりは誰かいるのか?」について,そもそも代わりが誰もいないことこそ絶望的な問題であり,むしろ,「代わりが誰もいない」ことを無自覚的に望んでいるウヨク的世論の絶望性を述べました.
彼らは誰か代わりが欲しいのではなく,代わりが誰もいない状況が嬉しいのです.お花畑ですね.
まだ言ってる「じゃあ,代わりは誰かいるのか?」

しかし,何度も繰り返しますが「代わりが誰もいない」ことは一つの国家として極めて恥ずかしいことです.ここにその国の民度が現れます.

「代わりは誰かいるのか?」という態度それ自体が問題なのですから,そうならないように気をつける必要があります.

「代わりは誰かいるのか?」
これは「英雄待望」のメンタリティです.
そんな人に限って「草莽崛起(身分を問わず在野の民が決起すること)」とか言ってたりします.矛盾です.

いえ,草莽崛起を批判したいわけではありません.
ちゃんと草莽崛起するべきだと思います.

そもそも,草莽崛起とは何でしょう? 
これもちゃんと意味を調べておいたほうが良いです.

「草莽崛起」の発言者として有名なのが,幕末のグレートティーチャー・吉田松陰です.
有名人なので詳細は割愛します.知らない人はウィキペディアを御一読ください.
吉田松陰(wikipedia)

そのウィキペディアに「草莽崛起」が紹介されています.
吉田松陰・草莽崛起(wikipedia)
吉田松陰は初出の手紙でこう述べています.
「今の幕府も諸侯も最早酔人なれば扶持の術なし.草莽崛起の人を望む外頼なし」
つまり,「今の政治家たちはバカ過ぎるから期待できない.ここは庶民が立ち上がることに期待したい」という意味です.
まさに現代社会にも当てはまりますね.

気をつけなければいけないのは,この着想は「革命思想」につながることです.
しかし,吉田松陰は「一君万民論(天皇のもとに万民は平等)」も唱えており,それなりに賢い人が聞けば危険性はありません.
一君万民論(wikipedia)
一君万民の思想のもと,草莽崛起するということです.これであれば筋が通ります.

そう考えると,草莽崛起と言いながら安◯首相を応援するっていうのが意味不明であることが分かると思います.
そんなこと言ってると,「民主主義国家であり,選挙で政治家を選ぶという現代日本においては,特定の政治家を皆で組織的に応援することこそが草莽崛起と言えないだろうか?」という趣旨の反論が返ってきそうです.
微笑ましい話ですね.

私は「政治家を応援すること」それ自体を批判したいわけではありません.
私が批判しているのは「代わりは誰かいるのか?」という「態度」です.

同時代,似たようことを福沢諭吉が唱えています.
「一身独立して一国独立する」
4年前にそんなことを記事にしていました.

福沢はこう言います.
「日本にはただ政府ありて未だ国民あらずと言うも可なり.(中略)道理あるものはこれに交わり,道理なきものはこれを打ち払わんのみ.一身独立して一国独立するとはこの事なり」
日本が一国としての独立を保つためには,日本人が「お上(政治家)」に付き従う態度から解き放たれ,「国民」として一身独立することが必要条件だと説いています.

つまり,売国政策を打ち出すような道理のない政治家が現れたら,これを打ち払わんのみ.
「まだ結果が出ていないけど,そのうち巻き返せる」
「他の政治家だったら,もっと酷いことになっていた」
「今はまだアメ◯カの圧力があるから仕方がない」
などと言っていてはダメなんです.
これらは完全な偶像崇拝であり,まともな政治思考ではありません.

分かり易い例がこれです.
「日本の首相がこの時期にア◯リカに逆らったら,潰されるのがオチだ」
潰されたら良いじゃないですか.潰されればいい.
保身のために,うまく波乗りしてやろうとするから逆らえないのです.結果,そんな政治家はノリノリで国体を破壊しようとする.
国がボロボロになって,アメ◯カからの圧力が「圧力」ですらなくなるその時まで.

「でも,せっかく首相になってくれたのに,潰されたらお終いじゃないか」そんなこと言う人に限って,「あとに続くを信ず」という特攻隊員の言葉を有難がったりします.いい加減ですね.
正しいことのために自らの身を捧げるのが政治家の務めです.次の首相も同じように逆らえばいいのです.
そうやって何度も潰されればいい.
でもそれが本当意味での「国家の意思表示」となります.

そのためには,代わりは誰でもいい状態にしておかなければいけません.
そういう政治家をコンスタントに出すためには,国民が一身独立し,多角的に物事を考える力が必要だと福沢諭吉は説いているのだと思います.

それは一朝一夕にはできないかもしれない.でも,そこを目指さなければ成熟した政治,独立国家としての政治は望めないでしょう.
「代わりは誰かいるのか」という態度がダメである理由がここにあります.


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