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沖縄科学技術大学院大学(OIST)の躍進は不思議でもなんでもない
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大学に競争原理・市場原理を持ち込んだ奴は,腹を切って死ぬべきである
地獄の火の海に投げ込んでやりたい.※元ネタはこちら→又吉イエス(wikipedia)
そんな気分になるのが,大学および教育全般に関する「競争原理」です.
この20年間ほど,大学を含めた教育業界は,
「教職員や学校同士を競争させれば,より良い教育が実現する」
などと,根拠のないデマを元にした政策が進められて,結果,崩壊してしまいました.
これを立て直すには数十年かかる,もしくは回復不能です.
このブログでは10年前の開設以来,再三再四に繰り返していることではありますが,教育業界を競争とか市場といったシステムで動かすことは出来ません.
これをご理解してもらえない人が多いこともあって,禍々しい思想にまみれた政策が強力に推し進められ,教育現場はメチャクチャになっています.
なかでも大学においては,特に,
「研究力の低下」
が叫ばれて久しいですね.
■日本の科学研究はなぜ大失速したか 〜今や先進国で最低の論文競争力(講談社2017.4.5)
■大学改革の凄惨さがニュースになっている|この国の大学はオワコンかもしれない
ですが,20〜30年前においては,
「怠惰な大学同士や研究者同士を競争させれば「研究力」が高まるはずだ」
という考えが主流だったんです.
未だにそう考えている人だっているでしょう.
もちろん,競争や市場原理の全てが悪いわけじゃなくて,
「どのように競争させるか?」
が大事であるとも言えます.
例えば科学研究費(通称,科研費)というものがあります.
※科研費を知らない人のために簡単に解説しておくと,日本の主に大学や研究機関に所属する研究者・教員が「私のやっている研究は価値のあるものだぞ」と申請書でアピールし,これを別の研究者が評価して,優秀な研究課題に対し研究費を割り当てる制度のことです.
現在では,この科研費が「日本で科学研究をするための主な資金」になっています.
逆に言えば,科研費を獲得できないと研究できない状態にあるんです.
この制度が典型ですが,要するに,
「科研費を獲得できなければ研究できなくなるゾ! という状態にすることで,それによって尻に火がつく研究者が多いはずだから,研究者や研究機関同士の競争が激化し,より良い研究結果が得られるのではないか」
という考え方ですよね.
中学2年生が考えた制度,100歩譲って,ズブの素人が考えた制度だと言うなら許せます.
でも,こんなもので研究が進むわけないし,研究環境が良くならないことは,まっとうな社会人であれば予想できることのはずです.
「欧米の仕組みを採用したんだ」
「選択と集中だ」
という言い訳や養護をしている人がいますが,実際にアメリカなどで研究をしてきた先生方に話を聞くと,その実像はちょっと違います.
まず,「競争させる」の発想がおかしい.
日本の科研費は,各研究分野や課題において優れた研究計画を立てている研究者・グループに資金を与える制度です.
しかし,これでは「研究競争」が激化しないんですよ.
例えば,今話題にもなっている新型ウイルスの研究をしているグループが国内に3つあったとしましょう.
そして,Aグループ,Bグループ,Cグループそれぞれが,「新型ウイルスの治療方法に関する研究」という類似した研究課題で申請したとします.
すると,科研費の割当を審査・判定をする人は,この3つのグループのうち1つのグループに科研費を与えるというパターンになることが多いのです.
仮にAグループが資金を獲得できたとすると,残りのBグループ,Cグループは資金が得られなかったことで,研究規模を縮小したり,別の研究課題に取り組んだりするわけです.
つまり,「新型ウイルスの治療方法」を研究するグループが,日本国内ではAグループだけになってしまうんですよ.
すなわち,「新型ウイルスの治療方法」の研究はAグループしかできない状態になるわけで,これでは競争にならないんです.
このバカバカしい仕組みを批判する人は遥か以前からいらっしゃいましたし,私も大学院生の頃からずっと「変テコな制度だなぁ」と不思議に思っていました.
じゃあどうすればいいのか?
ってお尋ねになるかと思いますが,そんなのは簡単で,上記の例であればA,B,Cそれぞれの研究グループに資金を与えて,グループ間で「研究成果を競争」させればいいのです.
逆に,現在の制度は「研究計画を競争」させているだけと言えます.
これで日本の研究成果(すなわち,日本の研究力)が低下するのは,あたり前田のクラッカーです.
もちろん,類似した研究課題を申請してきたグループが多数あれば,その中から採択数を狭めてもいいでしょう.
しかし,基本的には「類似した研究課題を複数のグループで競争させる」ことをさせないと,その研究課題の成果を押し上げることはできません.
つまり,「その課題を研究するのに最も適した研究者・グループ」を採択すれば,その研究が進むと考えるのは大きな間違い.
実際に審査して採択しなければいけないのは,「研究課題」の方なのです.
そして,その研究課題の成果を上げるために競争させるグループを選ぶことが大事なわけですよ.
っていうか,それがアメリカなどで行われている「競争的資金」なのだそうです.
日本人はその表面的な部分しか見ずに制度化しちゃったわけですね.
本日,こんなニュース記事がありました.
■沖縄の大学院「東大超え」論文実績のなぜ――領域の垣根を崩す研究環境(Yahoo!ニュース特集 2020.3.3)
ですが,20〜30年前においては,
「怠惰な大学同士や研究者同士を競争させれば「研究力」が高まるはずだ」
という考えが主流だったんです.
未だにそう考えている人だっているでしょう.
もちろん,競争や市場原理の全てが悪いわけじゃなくて,
「どのように競争させるか?」
が大事であるとも言えます.
例えば科学研究費(通称,科研費)というものがあります.
※科研費を知らない人のために簡単に解説しておくと,日本の主に大学や研究機関に所属する研究者・教員が「私のやっている研究は価値のあるものだぞ」と申請書でアピールし,これを別の研究者が評価して,優秀な研究課題に対し研究費を割り当てる制度のことです.
現在では,この科研費が「日本で科学研究をするための主な資金」になっています.
逆に言えば,科研費を獲得できないと研究できない状態にあるんです.
この制度が典型ですが,要するに,
「科研費を獲得できなければ研究できなくなるゾ! という状態にすることで,それによって尻に火がつく研究者が多いはずだから,研究者や研究機関同士の競争が激化し,より良い研究結果が得られるのではないか」
という考え方ですよね.
中学2年生が考えた制度,100歩譲って,ズブの素人が考えた制度だと言うなら許せます.
でも,こんなもので研究が進むわけないし,研究環境が良くならないことは,まっとうな社会人であれば予想できることのはずです.
「欧米の仕組みを採用したんだ」
「選択と集中だ」
という言い訳や養護をしている人がいますが,実際にアメリカなどで研究をしてきた先生方に話を聞くと,その実像はちょっと違います.
まず,「競争させる」の発想がおかしい.
日本の科研費は,各研究分野や課題において優れた研究計画を立てている研究者・グループに資金を与える制度です.
しかし,これでは「研究競争」が激化しないんですよ.
例えば,今話題にもなっている新型ウイルスの研究をしているグループが国内に3つあったとしましょう.
そして,Aグループ,Bグループ,Cグループそれぞれが,「新型ウイルスの治療方法に関する研究」という類似した研究課題で申請したとします.
すると,科研費の割当を審査・判定をする人は,この3つのグループのうち1つのグループに科研費を与えるというパターンになることが多いのです.
仮にAグループが資金を獲得できたとすると,残りのBグループ,Cグループは資金が得られなかったことで,研究規模を縮小したり,別の研究課題に取り組んだりするわけです.
つまり,「新型ウイルスの治療方法」を研究するグループが,日本国内ではAグループだけになってしまうんですよ.
すなわち,「新型ウイルスの治療方法」の研究はAグループしかできない状態になるわけで,これでは競争にならないんです.
このバカバカしい仕組みを批判する人は遥か以前からいらっしゃいましたし,私も大学院生の頃からずっと「変テコな制度だなぁ」と不思議に思っていました.
じゃあどうすればいいのか?
ってお尋ねになるかと思いますが,そんなのは簡単で,上記の例であればA,B,Cそれぞれの研究グループに資金を与えて,グループ間で「研究成果を競争」させればいいのです.
逆に,現在の制度は「研究計画を競争」させているだけと言えます.
これで日本の研究成果(すなわち,日本の研究力)が低下するのは,あたり前田のクラッカーです.
もちろん,類似した研究課題を申請してきたグループが多数あれば,その中から採択数を狭めてもいいでしょう.
しかし,基本的には「類似した研究課題を複数のグループで競争させる」ことをさせないと,その研究課題の成果を押し上げることはできません.
つまり,「その課題を研究するのに最も適した研究者・グループ」を採択すれば,その研究が進むと考えるのは大きな間違い.
実際に審査して採択しなければいけないのは,「研究課題」の方なのです.
そして,その研究課題の成果を上げるために競争させるグループを選ぶことが大事なわけですよ.
っていうか,それがアメリカなどで行われている「競争的資金」なのだそうです.
日本人はその表面的な部分しか見ずに制度化しちゃったわけですね.
沖縄科学技術大学院大学の事例
本日,こんなニュース記事がありました.
■沖縄の大学院「東大超え」論文実績のなぜ――領域の垣根を崩す研究環境(Yahoo!ニュース特集 2020.3.3)
私もこの沖縄科学技術大学院大学は,以前からその資金繰りの特殊性を含めてずっと注目していまして,今となっては後出しジャンケンみたいになっちゃうけど,きっと良い成果が出るはずだよな,と思っていたんです.
で,やっぱり予想通りだった.
以下,そのニュース記事から抜粋です.
長めの引用ですが,私の言いたいことを網羅しているので読んでください.
2019年6月に英・科学誌「ネイチャー」などを出版するシュプリンガー・ネイチャーの発表した調査報告が、日本の教育関係者らに驚きを与えた。世界の大学・大学院における自然科学分野の質の高い論文のランキングで、世界9位に沖縄科学技術大学院大学(OIST)が入ったからだ。東京大学などを抑え、日本国内でトップの評価だった。まあ,そういうことです.
(中略)
学校区分では私立大学に当たるOISTだが、運営資金のほぼ全てを日本政府が拠出する。沖縄振興予算のうち毎年約200億円ほどが割り当てられており、開学に向けた動きが本格化した05年からの累計は1990億円に上る。
通常、私立大学は運営経費の2分の1以内でしか日本政府から補助を受けることができない。しかしOISTは「特別な学校法人」という位置づけでその範囲を超える補助が受けられるため、政府資金だけで運営することが可能だ。同様のルールが適用されているのは、他に放送大学しかない。
(中略)
研究資金のあり方にも特長がある。ピーター・グルース学長は「OISTでは5年間、教員に対し安定的に資金を提供しており、ハイリスクな研究も可能です」と説明する。
(中略)
「日本の大学では、日本学術振興会(JSPS)のような競争的資金を狙いがちです。競争的資金の場合、他の研究者が評価しやすい内容であることが優先され、結果的にメインストリームの研究しか採択されません。化学や物理学などの分野のノーベル賞受賞者数で、MPSは日本を上回っています。高いリスクを取って研究することが、いかに世界的に重要であるかを示す一例ですよね」
もちろんこの大学の問題点も指摘されています.
しかし、政府に運営資金を「依存し過ぎている」のは、OISTにとって課題だという。17年度にOISTが獲得した外部資金は、全予算の6%に過ぎない。これは国内の大学と比べてもかなり低い水準だ。ですが,そもそも日本の大学は,研究者が自由に使える研究費が少ないことが問題視されているんです.
研究費に限らず,日本は教育にかける経費が少ないことで有名です.
何度かお示ししたことのあるグラフですが,以下を御覧ください.
![]() |
教育予算のGDP比 文部科学省(2014年) |
100歩譲って,全ての大学でOISTと同じような規模でやれとは言いませんが,「研究を自由にできる」という要素を振り撒くことは必要だと思います.
でも今は,複数の研究グループが寄り合って,お金を捻り出す工夫をしている状態です.
これは競争とは言いません.
そして何より,「成果を出す」ことについて,純粋に楽しめる空間にしなければなりません.
逆に,「成果を出さないと資金がもらえない」という制度だと,捏造論文や研究不正などが横行するようになります.
事実,日本は研究不正大国ですし.
■研究不正大国・日本|なぜ日本は不正論文・撤回論文が多いのか?
■「撤回論文数」世界ランキング(研究者倫理)
研究計画を競争させれば研究成果が出る,などと考えてやってきた結果が今の日本.
資金を与えた上で,研究成果を競争させなければダメであるという,極めて当たり前のことを問いかけねばなりません.
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