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この本を読んじゃえば,このブログを読まなくていいですよ パート4

勉強とは何か


シリーズ化してきた記事です.

過去記事はこちら.



今までこのブログでいろいろ書いてきたけど,あるテーマについて,そのほとんど全てを言い尽くしてくれている書籍を紹介しています.

今回は,森博嗣 著『勉強の価値』です.
森博嗣の小説は,そのほとんどを読んでいます.
過去にも,森氏の本について紹介したこともありました.



帯にあるように,
「子供が勉強しないのは、大人(あなた)が勉強していないから。」
について解説されています.


まず,「勉強とは何か」について,多くの人は無頓着です.
つまり,勉強とは何かについて考えたこともないし,知らないのです.

そんな状態で勉強について云々することは無意味ですし,勉強など出来ません.


冒頭,こんな文章が出てきます.
「勉強の価値」を,実は僕自身,大学の四年生になるまで知らなかった.だから,その時点までは,僕は勉強をほとんどしなかった.嫌なことはしない.適当にサボることにしていた.
この本以外にも,森氏がこの件について触れている書籍があります.
どれとどれに書いてあるなどとピックアップすることはできないですが,例えば,小説『喜嶋先生の静かな世界』なんかに関連する場面が出てきます.


で,この感覚は私も同じように経験しているので,とてもシンパシーを感じます.
その経験はなにかというと,「卒業研究」です.卒論ともいいます.

森氏もこう述べています.
そんな僕の「勉強観」が一変したのは,四年生になって卒業研究を始めたときだった.このとき,僕は初めて「研究」という行為の意味を知ることになる.研究は,英語で「study」であり,勉強と同じだ.もちろん,「research」という単語もよく使われるけれど,この言葉は,「探求」に近いし,また,半分くらいは「調査」に分類されるだろう.

私もそれまでは,勉強というのは「可能な限り大量の情報やデータを取得して身につけておくこと」だと思っていました.
そうやって自分の付加価値を高めておくことが勉強の価値だと.
実際,そういう勉強方法で授業課題,レポート,期末試験などをこなしてきたし,それなりに優等生でしたから.

それに,私は3年生頃からあることがきっかけで急激に本を読むようになって,特に「勉強方法」についての,自己啓発系の本を集中的に読んだことがあります.
それらはいずれも例外なく,「大量の情報やデータをいかに記憶・処理するか」というものでした.
しかし,これは「処理」であって「勉強」ではない.つまり,間違いです.
その間違いに気づかせてくれたのが卒業研究です.

森氏も言う.
僕も,研究というのは,ただ深く調べること,詳しい情報を得ることだ,と認識していた.だから,卒業研究のテーマが決まったら,それについて図書館で調べものをするのだろう,と想像していた.なにしろ,大学に入って以来,数々のレポートを提出して単位取得してきたわけだが,どれも資料で調べれば良いだけだった.つまり,既にある情報をどこかで見つけてきなさい,という課題だったのである.

大学というのは,「勉強とはそういうものではない」ことを知ることができれば卒業と言えます.
私も過去記事でこんなことを書いたことがありました.
私が今いる大学の学生はそうでもないですが,以前勤めていたような大学の学生だと,もっと素直に,
「ネット記事や図書館を探せばどこかに,授業で課された課題の “回答” があるはず」
と考えて悪気なく行動する学生は多いものです.
かなり極端なことを言えば,「レポート課題とは,どこかにある “回答文章” を探し出してきてコピーすること」と本気で捉えている学生が多数存在します.
そうは言っても,これについて我々が愚痴っているわけにもいかず.地道に大学教員が学生をトレーニングするしかありません.そのために給料もらっているようなものですから.

他にも,こんな記事でも似たようなことを述べたことがあります.
よく,「最近の学生は,すぐにスマホやPCで正解を探し出そうとして,自分で考えようとしない」などと言われます.
たしかにネットへのアクセスが容易になることで,その傾向は加速したかもしれませんが,厳密にはこれは間違いです.
昔だって自分で考えようとせず「書籍」や「新聞」から正解を探し出そうとする学生がいました.
両者は一緒.大卒のバカは昔からいます.
問題なのは,ネットや図書館に「正解がある」と考えるこの態度です.

大学教員のなかにも,この違いが分かっていない輩が結構います.
もしくは,両者を区別して指導するのが面倒な人です.
いずれにせよ,万死に値しますね.

だから結局,授業の課題が「調べてきてコピペすればOK」なものを提示しちゃうわけ.
そんなんで「コピペ・レポートはダメだぞ」って言ったって,虚しい話です.
ところが,四年生になって取り組んだ卒研は,そうではなかった.研究をして論文を書くことが課題だが,まずは,関連した研究論文を読まされる.世界中の研究者が発表したものだ.そして,それらを踏まえて,何がわかっていないか,どこに疑問点があるのか,を考える.ようするに,まだ解決されていないもの,残っている「謎」を見つけるのだ.
(中略)
すると,ここまではわかっているが,この先は不明だ,という境界に囲まれていることに気づく.そこが,研究の前線である.それらの謎を解き明かすことで,研究は少しずつ前進する.
その問題を解くためには,それに類似した問題について勉強することになる.似ているもの,関連していそうなものを徹底的に調べ,自分の問題解決に役立つものはないか,と探し回る.それがない場合には,実験をしてみる.コンピュータを使ってシミュレーションをしてみる.そうして,もしかしてこうではないかという仮説を立て,少しずつ真理へ近づいていく,それが研究だ.

私は今,大学教員と研究者を辞めて農家をやっていますが,「やっていること」は以前と全く同じです.
つまり,研究をしているのです.

農業は極めて「研究色の強い仕事」の一つと言えます.
当たり前です.
人類の歴史は,「農業」を研究するところから始まっています.
いわゆる「農業革命」ですね.


多くの農家は「経験と勘」を使ってなんとかしていますが,それは過去の研究結果を元にしているから可能なのです.

で,これを一農家の立場で日頃から「研究」すれば,結構簡単に重要な知見が得られることを実感しています.
この1年だけでも,かなり面白い研究ができました.
まだ目に見えるかたちでご紹介できるものはありませんが,そのうち事例報告ができればと思います.

別の機会にこれをテーマにできればと思いますが,もし研究職を目指しているけど頓挫しているっていう人がいたら,農業への転身は結構オススメです.
私も意外なほど「研究ができる職業」だと思っています.
もちろん,「研究が好き」な人に限られますけど.


勉強というのは,「やりたいこと」,それも特に「チャレンジしたいこと」を達成するために必要なものを探すことを指します.

勉強には,「予め溜め込んでおいた知識や技術を活用する」っていう印象を持つ人が多いですが,そんなもので対応できるものは限られています.
同様に,これは学校教育とか,特に大学教育がそれだと思っている人も多いですね.

そう言えば,私が所属していた大学のゼミの先生の口癖が,
「君たちは勉強がなんなのかを知らないんだよ」
でしたが,まさにこれを指しているんです.

もっと簡単に述べると,勉強というのは,その行為に目的があるのではない,という点が重要なのだ.なにか,ほかの目的がある.そして,そのための過程が「勉強」と呼ばれているだけである.したがって,その過程を楽しめるかどうか,という問題は,本来の目的が見えていないわけで,そもそも問題でもない.

話を「帯」の文章にしてみましょう.
「子供が勉強しないのは、大人(あなた)が勉強していないから。」
というやつ.

これはつまり,大人がやりたいことに向かって,のびのび,かつ,一生懸命に楽しんでいないのに,なんで子供が同じことをしようと思うだろうか.ということです.

勉強というのは,生き方の問題でもあるのです.


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