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教員同士のいじめについて|いじめは犯罪ではなく,犯罪がいじめである

いじめ問題を扱うことの多いブログですから,この話題にも触れておきます.

神戸教員いじめ問題…被害教員は1年近く前から前校長に相談していたが対応は取られず(MBSニュース 2019/10/08)
神戸市立の小学校で教員4人が後輩教員に対していじめを繰り返していた問題で、被害を受けた教員は“前の校長に相談したものの市教委に報告するなどの対応が取られていなかった”と話しているということです。
 同僚の教員がいじめの様子を撮影した動画。校内で、嫌がる男性教員を別の教員が羽交い締めにして、無理やり激辛カレーを食べさせています。
 【いじめ行為の動画】
 「ごめんなさい。僕は辛いの好きじゃないです。」(男性教員)
 「勝ったー。」(加害教員)
 神戸市立東須磨小学校で、去年から今年にかけて30代から40代の教員の男女4人が、20代の男性教員に対していじめを行っていた問題。男性教員は激辛カレーを目にこすりつけられたり、買ったばかりの車の上に乗られたりなどのいじめを受けていました。男性教員は今年9月から精神的に不安定になり学校を休んでいます。

もちろん重大な事件だとは思うんですけど....

これを「いじめ」と称して報道する神経を疑います.


いじめ事件じゃないですよね.
暴力事件ですよね.


もはや「いじめ」「ハラスメント」の域を超えていて,完全に傷害罪ですし,自動車の上に乗るっていうのは,器物損壊罪の疑いもあります.


過去記事でも主張していることですが,「いじめ」とか「ハラスメント」という意味不明な名称を使って,曖昧に処理しようとする昨今の傾向は良いことではありません.

例の「いじめ防止対策推進法」が機能しないのも,「いじめ」という捉えどころのない,なんとでも解釈・表現できる現象について,「明確にする」という非現実的な対応を求められているからです.

だったら,「いじめ」などと言わず,傷害罪や脅迫罪としてしょっぴけばいい.
と思いますよね.
私もそう思いますよ.

でも,そこまで踏み込んだ対応はしないのが「世間」でもあります.

というのも,以下の事情があるからです.


今回のニュースを見ている世の中の大多数の人が,
「職場でこんな状況があるなんて信じられない!」
と思っているでしょう.

しかし実は,それに負けず劣らず多数の人がこのように思っています.
「あっ,こういうの,うちの職場でもあるよな」
って.


もともと,一般企業や役所を問わず,この手の「いじめ」と称されるハラスメント行為は頻発しています.
記憶に新しいところでは,「煮えたぎる鍋に顔を押し付けられた」といった事件がありましたよね.
閲覧注意「煮えたぎる鍋に部下の顔を…」芸能界社長によるパワハラ(NAVARまとめ2018年12月08日)

他にも典型的なものとして,
上司にコーヒーを頭からかけられたとか,
その上司に出すコーヒーには雑巾の汁を入れて出しているとか,
理不尽にぶん殴られるとか,
カラオケで無理やり歌わされるとか,
飲酒を強要されるとか,
一発芸をやれと言われるとか,
意味不明なサービス残業を強いられるとか,
むやみに身体接触をされる等々の「いじめ」がたくさんあるのです.


これらを世間の人々は,
「いくらなんでも,そういうのは『いじめ』には該当しない」
「社会人として我慢すべきこと」
「無能な奴がいじめられるのは仕方ない」
と言って逃げ回っていたのを覚えておいででしょうか?

っていうか,そもそも上記のようなことって,冷静に考えれば「いじめ」でも「ハラスメント」でもありません.
明らかに犯罪です.

そのうちの一つが,今回,小学校教員同士の中から出てきたということ.
特段,目新しい出来事ではありません.

こういう事案は,世間では日常茶飯事でしょう?


むしろ私としては,
「どこまでの犯罪なら『いじめ』と称することができるか?」
が興味深いところですね.

ところで,
「いじめは犯罪!絶対許さない!」
というキャッチフレーズがありますが,あれ,誤解を生みますよね.

「いじめ」という種類の犯罪があるのではなく,犯罪が「いじめ」なのです.

この相関関係を,世の中の多くの人が間違って捉えています.

人々が「いじめ」を犯罪のように感じるのは,そもそも犯罪がいじめだからです.
言葉遊びのように聞こえますが,この認識は重要です.

これをいい加減に解釈して法律にしたのが「いじめ防止対策推進法」です.
そのおかげで,このデタラメな法律は全く機能しません.
言葉や物事の本質をしっかり解釈せずに,その場のノリで作ってはいけないことの代表例としての価値はあるかもしれない.


この世の犯罪は,すべて「いじめの精神」から発生しています.
殺人も,窃盗も,詐欺も,誘拐も,放火も,スピード違反も全てです.

言い換えるなら,人間が犯罪を「これこそ犯罪だ」と認識するのは,そこに「いじめの精神」が見えるからです.

誰かが誰かを,または,何かが何かを「いじめているように見える」から,犯罪として成り立つのです.

逆に,その犯罪に「情状酌量の余地がある」と言われるのは,加害者が被害者から「いじめ」を受けていた場合を指します.
いじめを受けていたのだから,いじめ返すのは差し引きが発生すると考えるわけですね.


「いじめ」のことを犯罪の一種だと思っている限り,永遠に「いじめ」を克服することはできません.

「いじめ」とは影のようなもの.
これを取り出して犯罪性を問うことなど,土台無理な話なのです.




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