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できればこんな教員・志望者を採用したい(ただし一部の大学に限る)

本記事についてまず,お断りしておかなければいけないこと.
このブログで “まことに残念なことに” アクセス数が増加してしまった「危ない大学」に心ならずとも奉職したい人に向けた記事です.
「とりあえずどんな大学でもいいから専任・常勤の教員になっておきたい」という場合を想定しています.

もしくは,経営難に喘いでいる大学,もしくは苛烈な競争にさらされている大学の「経営陣」の方々にとっては,
「あぁー,それ分かるぅ~」
ってことで楽しんで・・,いえ,共感してもらえることかと思います.

今,危ない大学は以下の様な人材を欲しがっています.なにふり構ってられない人は要チェックです.


(1)研究活動はしないが,コンスタントに研究業績を残せる
いきなり禅問答かナゾナゾのようなものですが,こういう手品が使える人が「欲しい人材」です.
経営陣としましては,「この難局を乗り越えるために,一致団結して業務にあたってもらいたい」ということで,「先生方に於かれましては,今は研究活動よりも教育に注力していただきたい」などと言いたくなるものです.
本気で危険水域のところでは研究への禁止令が出ます.
研究活動をする時間を用意しないのに,どうやって研究業績を残すんだ?そんな疑問や不満もあるでしょう.
どういうことかというと,経営陣としてはこういうことを言いたいわけです.
「現代の大学において,研究とは「プロセス」ではなく「結果」である」

研究活動(プロセス)を削り,代わりに,どんなものでもいいから研究業績(結果)を残せばOK.タイム・イズ・マネー.営業活動に精を出してくれ,ということです.
最近どっかで聞いたことがあるニュースと似ている気もしますが.私は無関係ではないと思いますよ.

なぜ「プロセス」を重視しないのに「結果」だけ求めるのかというと,そうじゃないと「大学」とは認めてもらえない,という仕組みになっているからです.
その「仕組み」をもうちょっと詳しくお話しますと,一応,文科省とか大学基準協会なんかでは「大学っぽい大学」として「研究やってるぞ指数」というものがありまして.これを各大学に要求するわけです.
危ない大学であっても,お役所から「大学」として認められるためには研究活動や研究業績が求められる時期がくる.という状況に直面するのです.

ところで,認定する側がその「この大学は研究もちゃんとやってるぞ指数」を定量化しようと考えたとき,「研究論文数」というものに頼るしかない,という現実があります.
断っておきますが,私は「研究論文数が多い人ほど,学術レベルが高い」などと言いたいわけではありません.逆の人だっています.でも,その正の相関性が強いから,定量化のためには「研究業績」を採用するしかない,ということです.

ですから,危ない大学では研究業績を「及第点」になるよう調節したいわけです.必要以上にスコアを稼ぐ必要はありませんから,そこから導き出される指示というのが,
「研究活動はするな,だけど研究業績は作れ」
というものです.これでちょうど良い加減になります.
「んな無茶な!」と反発も出ましょうから,「じゃなきゃ契約更新はしない」などと脅します.
この場合の研究業績なんて何でもいいんです.文章が書かれてあれば.以前の記事でご紹介した「紀要の投稿数が急上昇する年がある」というのはそのことです.
「教職員用」危ない大学とはこういうところだを参照のこと


(2)学生目線である
学生の反応を大事にする,学生の喜ぶ顔を見るのが好き.
というよりも,「学生に媚びる人」というのが,経営陣にとって「欲しい人材」です.
学生に媚びるなら,きっと経営陣にも媚びてくれます.利用しやすいのです.

危ない大学では,学生に育ってもらおうというつもりはありません.
とにかく,「学費に見合った4年間を過ごさせる」というところで話が進みます.
そんな大学の場合,はっきり言ってどんな人でも「教員」にはなれます.ウソでもなければ過言でもありません.そこらへんの居酒屋で巨人阪神戦を見ながら薀蓄をたれてるオヤジでも全然問題ないのです.

ですから,危ない大学に奉職したい場合は,学生に媚びることができることを,なるべく “遠回しに” 面接の場で言ったり,「教育への抱負」なんかで書きましょう.


(3)授業が無難である
テキストをしっかり教えるとか,求められている知識を与えることができる,という人が「欲しい人材」です.
いえ,別にこれは悪いことではないのですけど,「それだけ」だと非常に問題なんですよ.

大学は「既存の知識を与える教育」をするところではありませんから.
多くの学生は在学中はそういう認識なんでしょうが,それを完全に許したら大学教育としての価値がなくなります.
本来,大学というのは「研究活動を資源とした教育」をするところです.知識を得る場ではなく,自分で知識を紡ぎだす力を身につける場です.
我々教員からすれば,理解してほしいのではなく,考えてほしいのですが.

でも,経営陣としては学生の将来,今後の世界や日本社会がどうなろうと知ったことではないので,とりあえず4年後の学生の肩書やステータスだけを気にします.
50年後の事より来年のこと.来年の事より来週のこと.です.
「分かりやすい授業」「満足度の高い授業」をやってもらえるのなら,あとはゼミでクレープやたこ焼きを焼いて学生を楽しませてもらえればOKなのです.天気が良い日には,焼き芋を焼いてもいいでしょう.
どうせ授業なんか就職には役立ったりしないんだから.


(4)最近の流行に流れることができる
私としましては,そういう人間にならないように教育するのが大学の使命だと思っておるのですけど.
逆に経営陣にとっては喉から手が出るほど「欲しい人材」です.
学生に媚び,経営陣に媚び,そして最後に「世間にも媚びる人材」.完璧です.

流行に飛びつく人であれば,経営陣としても「これは昨今の流れです」とか「新しい動きです」などと言えば,どうとでも操れるので楽なのです.
本人たちも意気揚々と操られてくれます.
質よりも量.手順よりもスピード.中身よりも見栄え.というキーワードに “なぜか” 喜びます.
詳細は■反・大学改革論4(喜んでる教員)を参照のこと
ただ,こういう人はとても頭のいい人とは言えないので,経営陣としてもリスキーではあります.でも,それでもいいから雇っておき,学生ウケ,世間ウケを狙っていくしかない台所事情があります.
私の知っている某教員は,あまりに頭が悪過ぎて低次なトラブルを頻発させ,ついにクビになりました.最初からそんな人を雇わなければいいのにと思うんですけど,頭の悪い人を雇わなければいけないという事情もあります.
合掌.

危ない大学でも奉職したいと考えている方にとっては,あえてそういう「ふり」をするのもアリかなと思います.
以前の記事でもご紹介しましたが,最近の流行を知るためには文部科学省のホームページが参考になります.
具体的にはこんな資料が出ています.
文部科学省HPにある大学教育改革の資料等
教育再生実行会議「提言」

スーパーグローバルとか,コミュニケーション・スキルとか,社会に役立つ知識なんてことを発言していれば,まあまあ大丈夫かなと思います.

普通の大学への転職・就職の場合は,
といったシリーズをお読みください.

危ない大学ってどんな大学か?とか,内部事情については,
「教職員用」危ない大学とはこういうところだ
「教職員用」危ない大学とはこういうところだ 其の二
「教職員用」危ない大学とはこういうところだ 其の三

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