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井戸端スポーツ会議 part 2「スポーツ庁の必要性」

今回の記事のネタ元は,以下の,
スポーツ庁,選手強化へ予算一元化・・・五輪にらみ
というものです.

そのニュースを以下に要約しておきます.

【スポーツ庁計画の概略】
文部科学省の外局を検討.2015年度からの発足を目指す.
スポーツ振興に関する予算を一元的に管理.各種競技団体などに配分することで、戦略的な選手強化策につなげることが目玉.
団体に対する監督・指導を強め、相次ぐ不祥事の再発防止につなげる狙いもある.

【担当する業務】
〈1〉トップ選手の強化策
〈2〉学校体育・運動部活動の支援
〈3〉地域スポーツの振興
〈4〉障害者スポーツ推進
〈5〉国際大会招致やスポーツを通じた国際交流


以前からスポーツ庁やスポーツ省を作りたいという話はあってですね.
「省」が本当は理想的なんですけど,これは大掛かりだから,せめて「庁」でいいから作ってほしいというスポーツ関係者の要望は昔からあったんです.

こういう話が出ると,一般の人からよく聞かれるのが,
「スポーツごときで省庁を作るのは・・・,なんかぁ」
というものです.

スポーツ庁の必要性について,ネットで検索すると,
毎日新聞の社説
http://mainichi.jp/opinion/news/20131104k0000m070104000c.html
が出てきます.

逆に言うと,それくらいしか出てこないということでして.
なのでこのブログでも取り上げておこうと思いました.
ちなみに,話す内容は上記の毎日の社説とそんなに違いませんのであしからずご容赦ください.

「今のままじゃダメなの?」「天下り先をつくるだけじゃないか?」
というところですが,たしかに,今のままでもダメじゃないし,天下り先になるとは思います.
でも,そんな瑣末な大衆ルサンチマンにまみれた戯言を気にするよりも,スポーツの省庁を作るメリットのほうが圧倒的に大きいのです.

(1)スポーツに興味がある人の就職先ができた
のっけから挑発するようですけれども,でも重要だと思います.
スポーツの価値を国民がより良い形で享受できるよう,国の政策に活かしていきたいと考えている人達のポストができるという部分では,非常に歓迎されるところです.
そう簡単にはいかないことは承知の上で,その可能性を探れる機会ができたことは良いことだと思います.

日本国民のスポーツを見る目は熱いですが,スポーツを診る目というのは結構冷たいものがありまして.
あれだけワールドカップだとか箱根駅伝だとかクラブ活動だとかで盛り上がって楽しんで,日常の中にも「実はそれ『スポーツ的なモノ』だよ」っていうのがてんこ盛りな生活を送っておきながら,スポーツと聞くと「下流なもの」のように見做す人って多いものです.
後述しますが,そうしたスポーツの価値を専門的に取り扱う部署ができたことは,日本国民のスポーツを見る目をより良いものにしていくチャンスを得たということですから,私としては素直に喜んでおります.
私も将来は関連部署でいいから天下りたいという夢も見ております.

(2)健常者スポーツと障害者スポーツの統合
これは私も大学教員という立場でスポーツに向きあうようになって痛感しました.
過去の記事でもどっかに書いているかもしれませんが,健常者スポーツと障害者スポーツの管轄が異なるというのは非常に厄介な問題を持っております.
健常者スポーツは文部科学省,障害者スポーツは厚生労働省だったのです.

これについては,
http://sankei.jp.msn.com/sports/news/140401/oth14040108350000-n1.htm
のニュースにもあるように,先々月から文部科学省に新しい組織を作って一体化してサポートするようになりました.

これまでに起こっていた具体的な問題点としては,
例えば東京・赤羽に国立スポーツ科学センター(通称,JISS)に併設されている,ナショナルトレーニングセンター(通称,NTC)という非常に優れたトレーニング施設についてです.
ここはオリンピック選手や日本代表選手が優先的に使用できるようになっていますが,パラリンピックや障害者の日本代表選手は使用にかなりの制限がありました.
これは,NTCの管轄が文部科学省のため,厚生労働省管轄の障害者アスリートの使用が認められないからです.

内部の人に聞いたところ,これは各種競団体によって使用のノウハウが違うようでして.
どことは言えませんが,障害者競技に力を入れている某競技団体は,障害者アスリートにNTCを利用させています.これは競技団体のマネジメント次第というところがあるんです.
しかし,そういう抜け道を知らない,もしくは煩雑な手続きをとりたくない競技団体は,障害者アスリートにNTCを利用させることを躊躇してしまうわけです.

4月から始まったこの新しい組織によって,2014年度については,そうした部分が改善されるところが期待されます.
ただ,これもあくまで「パラリンピック」の支援であって,障害者スポーツ全体のことを管轄できるわけではありません.
この点,スポーツ庁には期待したいところなのです.

というのも,障害者スポーツというのは思想や哲学の面でかなりやっかいな問題を抱えておりまして,
例えばパラリンピックであれば,オリンピックと同様に「メダルを取りに行く」「より高みを目指す」という目標でまとまることができますので,今回のように競技選手の支援を謳う新組織で,とりあえず対応ということになったのでしょう.
ですが,障害者のスポーツを取り巻く問題がやっかいなのは,障害者のスポーツには「メダルを取りに行く」とか「より高みを目指す」とは別のベクトルを向いたものを重要視したい人達が結構いるということです.

メダルだけが全てじゃない.可能性への挑戦なんだ.といったところを大事にしたい人々からすれば,現在の競技志向のパラリンピックの流れに嫌悪感を持つわけです.
でも,そんな事言い出したら健常者スポーツだって同じですよね.

ですから,これについては障害者も健常者も同じようにスポーツすることに変わりはないというスタンスから論じる必要性があるわけです.
でも,現状としてはそうではない,ということなんですね.

私見を言わせてもらえれば,競技スポーツへの適切な支援というのは重要です.
過去記事にも書きましたが,トップアスリートが見せるプレーは人々に憧れと誇りをもたらします.
これには非常に大きな価値があります.
トップアスリートが人々から憧れられ,誇りを与えてくれるような活躍をしてもらうよう支援すること.それは,その競技で「メダルを取って誇らしい」という程度の狭い話ではないのです.

極端な話,別にメダルを1個もとれなくてもいいのです.
採算度外視で,とにかくひたすらに「勝つ」「強くなる」ということを目指した活動をしている人を,国として我々の手で抱えておく.そのことに意義があると考えています.
※なお,これについては国民的漫画・アニメ『ドラゴンボール』の孫悟空というキャラクターの関係としても論じられると思いますので,機会があったらまた.
※ということで後日それを書きました.
スポーツとニーチェとドラゴンボール

そうした「スポーツ」という活動の中から,健康啓発や文学,ビジネスの芽,政策の提言といった,誰にも馴染みあるものが惹起されてくるのだと思います.
(ここらへんの詳しい話は■人間はスポーツする存在であるとかを)

「競技スポーツの支援だけでなく,レクリエーショナルスポーツへの支援も重要」などという人もいますが,私はそれを否定してるわけではありません.
両面の支援が必要でしょうが,私としましては,やや競技スポーツへの(適切な)支援が優先かとは思います.
ただ,これはバランスの問題ですので,競技スポーツへの支援が強すぎる時代が来れば,私は「レクリエーショナルスポーツも大事だ」と言うに違いありません.それだけの話しです.

(3)スポーツの価値をちゃんと議論できる
スポーツ庁(省)を設置したほうが良い理由として,最も大きいのは「スポーツのことをちゃんと考える組織・場の確保」というものです.
日本のスポーツは「◯◯のためにやるもの」という視点からスタートしているところがありまして・・.つまり,ツールとしてのスポーツとして捉えているのです.

健康のためのスポーツだから厚生省,教育のためのスポーツだから文科省,土建のためのスポーツだから国交省,ビジネスのためのスポーツだから経産省.
全部,◯◯のためのスポーツという面でしか捉えられていません.
各省庁が管轄する領域の思惑で,スポーツがバラバラに検討されているのです.

そんなわけですから,我が国にとってスポーツは一体どのような価値を持っているのか?という最も重要な観点を論じることが少ないまま今日に至った,という状態になっているわけです.

なので,きっとこの国の多くの方々は,スポーツのことを体育と同一視したり,健康ビジネスのコンテンツであったり,トップアスリートを通じて国際的アピールをする広告なんだ,という考え方を “本気で信じている” 可能性が極めて高いのです.

そして,これは完全に私の推察でしかないのですが,
二元論的な価値で物事を評価することが多いなかにあって,精神と身体という2つを比べた場合に,「身体よりも精神の方が上」という価値観を持っている人は多いのではないでしょうか.
身体は精神の器に過ぎない,とか,我思う故に我あり,という観点からしても,精神を身体の上にもってくる考え方というのは強いと思います.

それゆえ,身体活動の代表とも言える「スポーツ」のことを,その他の精神的活動と比較して,下流のものだと見做す風潮があるのではないか.そんな気がするのです.

ですが,精神を作り出しているのは身体である脳とも言えますし,身体の調子次第で精神の在り方も変わってくるということは身に覚えがあることだと思います.
とすれば,身体によって精神はいかようにも成り得る,とまで言わないにしても,相互依存の関係にあることは納得してもらえる解釈だと思われます.

これについて,少なくないスポーツ科学者が,「実はスポーツというのは頭を使う活動なんだ」といった発言をして,「精神活動」との張り合いをすることがあります.
お気持ちは分からないでもないのですが,これ,私も学生時代から聞いていて「みっともないなぁ」と感じていたものの一つです.
「スポーツも頭を使う活動なのだ」ということをもって,その発言者は「頭を使う活動は高尚なのだ」という価値観を持っていらっしゃるわけですから.

そんな精神身体論とは話を別にして,スポーツや身体表現という活動それ自体に人間を読み解く鍵があるのではないか.
そうした部分を掘り下げていくことに意義があるのではないか?それがスポーツの価値を考えることだと思います.

今回のスポーツ庁の設置ニュースでは,障害者スポーツや他省庁との連携が取り沙汰される面が大きいのですが.いえ,これは急務であることはたしかなのです.
ですから,理想的にはスポーツ省.欲張らずにまずはスポーツ庁.というところなわけです.

でも,スポーツが持っている人類への普遍的価値を,国として享受するための議論ができるよう,スポーツ庁の今後の発展に期待したいところです.


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