2014年6月26日木曜日

井戸端スポーツ会議 part 3「サッカー日本代表」

このブログを見てくれている人の多くが,スポーツとは無縁だったり関心がない人だったりすることが窺えることがあります.
ですので,そういう人でもなんとなく分かった気になれる「サッカー日本代表論」を井戸端会議してみようというものです.
あんまり外野がゴチャゴチャ言うことではないのかもしれませんが,そこは「井戸端会議」ということで(以下略

今回のサッカー日本代表について,その総評ですが.
率直に言えば「よくやった」というところです.
それに付け加えて「メディアが煽るだけで,日本の実力はこんなもの」といった話をしようという気はありません.
その手の話は飽きました.今回はもっと建設的な話をしたいのです.

私が子供の頃(Jリーグ発足当時)の日本代表と比べると,雲泥の差があります.明らかに上手になっています.それは過去のプレー映像を見れば一目瞭然です.
だからこそ,やっぱり日本代表の実力というのも見えてくるわけでして.
他の代表チームの試合を見れば,それこそ一目瞭然です.

では何が違うのか? というところが気になるかと思いますが.
私見としては,「判断力」というところに違いあると感じます.
技術と体力は十分世界で通用するレベルです.

判断力(勝負勘とも言える)の強化は,これからの日本代表(というか日本人選手)の課題だと思います.でも,一朝一夕で身につけられることではありませんから,ジュニア期の選手をあずかるサッカー指導者の健闘を期待したいところであります.

それでは以下,それほど目新しくもないサッカー日本代表論ですが,興味があればどうぞ.
※それに,これはスポーツ指導論としては基本的な話だったりするので.「体育系大学を卒業した人はこう考える」ということで読んでください.

よく日本代表は「体力(フィジカル)が弱い」などと言われますが,実のところ体力レベルは他の代表チームの選手と違いがあるわけではありません.
もちろん,体力要素の中でも「背の高さ」というのは越えられない壁かもしれませんが,それを言い出したら強豪国でも背の低い選手はたくさんいます.

日本代表の体力的な強みは,敏捷性(スピード)の高さと豊富な運動量(持久力)だとされています(もちろん,それは平均的な特徴のこと.選手個々人で差があります).
いずれもサッカーという競技種目にとって,必要性が高い体力要素です.
それが十分に備わっているわけですから,あとはその活かし方にかかってきます.

日本代表のプレースタイルは,相手を翻弄するパスワークだとされています.それを目指しているという代表関係者のコメントは多いので,ほぼ間違いないことです.
パス回しによって相手を崩していこうとすれば,優れた敏捷性と運動量は最適な体力的特徴ということになります.
というか,そういう体力的な特徴と優位性があるから,パス回し主体のプレースタイルを選択しているという側面もあります.
そして実は,この日本代表のパスワークは世界的にも非常にレベルが高いと言われています.

つまり,技術と体力,そしてそれを活かそうという戦略・戦術も合致しているということですから,「じゃあ他に何が問題なんだ? 」ということになって,思わず「根性がない」「ハングリー精神が足りない」「勝利への意欲が感じられない」などと言い出す人が多いわけです.

冒頭に「今の日本代表(日本人選手)に足りないもの」として提言した「判断力」というのは,実は体力,技術,戦術といった領域と非常に密接な関係にあります.
ですから,これが足りていないと,体力も技術も戦術も,何もかもが足りていないように見えるわけでして,結果,全てにおいて劣っているように見えちゃうというところがあります.

皆さんも日本代表(Jリーグ)の試合映像(ダイジェスト映像でよい)と,他の代表チームや海外有名リーグの映像を見比べてみてください.
見れば見るほど違いがないように見えてしまうかと思います.もしくは,何かが違うようだけど,それを言葉に出来ないというところかもしれません.
ですが,以下の説明を読んだ上でプレー映像を見比べてみてください.きっと何かが感じられるようになるでしょう.
その他のフィールド型やネット型のスポーツを観戦する上でも有益です.

一言で言えば,日本代表は他チームと比べると「最も得点(勝利)できる行動がイメージできていない」ということです.
選択すべき行動(プレー)がイメージできていないので,その瞬間の行動を選択するために時間がかかったり,誤った行動を選択してしまうわけです.
正しい選択であっても時間がかかれば失敗しますし,技術・体力が優っていても失敗する可能性が高くなってきます.

これを,かつての日本代表監督を務めていたオシム氏は,2007年監督時の日本代表のプレー(守備)を指して「各駅停車の電車だ」と評しました.
ボールをとってからの前線への送り出しが遅いことを指した発言なのですが,つまり,どういう流れ(ボール運び)によってゴールマウスへと入れるのか?というイメージや青写真がないままにプレーしている.すなわち,どの経路が最もゴールへの確率が高いのか判断ができずにグズグズとパス回しをしているレベルにあることを指していたのではないかと推察されます.

ようは,パス回しの技術と戦術は優れているかもしれませんが,ゴールマウス,つまりは得点へと持っていくための判断力が弱い,ということです.
これは2014年現在の日本人選手にも同じことが言えるのではないでしょうか.
(こういうのは相対的な評価です.おそらく,2007年当時の選手よりも,今の選手は判断力は高くなっているでしょう.でも,他チームの選手はそれより高いということです)

この判断力の弱さは,ゴール前のプレーにも現れます.
ダイジェスト映像なんかを見ておりましても,強豪国のスピーディーでダイナミックなゴールシーンを目の当たりにすると,「あぁ,やっぱりフィジカルやスピード,パワーで負けてるなぁ」と思わされるかもしれません.
ですが,先にも言いましたように,運動能力は日本代表選手も決して劣っているわけではありません.

強豪国の選手が見せるあの動きは,日本人的に言えば「迷いがない」動きです.
迷いがない者の動きは,スピーディーでダイナミックなものになるのは当然です.
切り込むべきか,パスすべきか,どこにパスしようか,誰がどこにいるか,といったことを一々考えながら動いていたら,あんな動きはできません.
こういうのを体育学では「運動の先取り」って言ったりします.
逆に言えば,守備側とすれば相手の判断材料,選択肢を増やすことが存在意義です.それにより,「思い切ったプレー」ができなくなります.
(もちろん,その守備側の動きにしても判断力が必要になるわけですけど)

重要なのは,数ある選択肢のうち,最も成功の可能性が高い行動を選択できる判断力があるか?ということになります.
よく,「攻撃側に選択肢が増えれば,守備が難しくなる」という趣旨の話を聞くことがあるかと思いますが,それは「時間」の要素を考慮しない科学・実験的な論考です.
スポーツでは制限時間内に最適解を選択することが求められます.選択肢が増えてしまうことはマイナスにはなれど,プラスにはならないのです.

考えてもみてください.ゴールに誰もいなければ,そのまま蹴り込めば得点です.迷う必要も,選択に時間をかける必要もないわけです.
でも,その前にキーパーや守備の選手がいるとどうでしょう.どこに向かって動けばいいだろうか,どのタイミングでパスを出そうか,そのままシュートしようか,と選択肢ができることで迷うことになります.
その時,「この行動であれば間違いない」という判断が瞬時にできて,それを迷いなく行動に移せる選手であればどうでしょうか.
最大出力が出せて,精度が高く,タイミングも良いプレーができることは十分に予想されることです.
これを「ゴール前での余裕」と表現したり,評することもできるでしょう.
(繰り返しになりますが,これはスポーツ指導論としては基本的なものです.決して精神論ではありません)

こういった判断力も含めて「技術」とか「テクニック」とか「戦術(システム)の完成度」,あとは「経験」と言われることがあります.
そういう意味では,日本代表は技術やテクニックが低く,戦術運営能力も劣っているし,経験がない,と評されても良いのかもしれません.
そういう部分をカバーできるほどの「体力」が無いとも言えるわけです.

ですが,そういうこと(パス回しや機敏な動き)を単体で取り出してやらせた場合,それは上手くできるのです.試合において出来る可能性を持っていると言っていいでしょう.
ですが,それが実際の試合においては発揮されないということで困っている,と私は見ています.

華麗なるパス回しによって相手を翻弄しているつもりでも,判断力無きパス回しは自分たちを翻弄し,疲れさせます.
「パス回しをしていても得点できなきゃ意味が無い」という評論家もいますが,はい,その通りです.
問題になるのは,効果的なパス回しになっているのかどうか,という点なんですよね.
つまり,相手を翻弄させたり疲れさせるため,もっと言えば,得点できるためのパスのコース,タイミング,動き,といったものが随所で選択できているかどうか,という点です.

遠い遠い,遥か昔から言われていることではありますが,逆に言えば,ここが日本のサッカーでは徹底できていないことを示しているとも言えるでしょう.
いわゆる,
勝つためのプレーをしていない
というものです.
この記事で述べてきた言い方に戻せば,ピッチに立つ選手の判断基準が意識的にせよ無意識的にせよ,「点を取って勝つ」ことではなく「戦術を全うする」ことになっているのです.

では,どうすればその判断基準を「点を取って勝つ」というものにすることができるのか?
それは難しい話です.
おそらく,現役の代表選手や代表候補選手にアレコレ言ったり練習させても難しいと思われます.

冒頭にも述べましたが,この判断力というのは「勝負勘」と読み替えてもいいものだからです.
数値化できたり,言って教えられるものではないんです.それが一流選手たる所以でもありますし.
このサッカーにおける判断力を鍛えるためには,ジュニア期の練習で体に染み込ませるしかないように思います.

そうなりますと,日本代表が世界レベルで戦えるようになるためには,最低でもあと15年くらいは必要ということになります.
私としては結構短いと思っているのですが,気の早い人は耐えられない時間でしょうか.

個人競技であるテニスでも似たエピソードがあります.
私の恩師から聞いた話です.
男子テニス界の王者として君臨していたロジャー・フェデラーが,ジュニア選手だった頃のエピソードです.
ジュニア時代,彼はたしかに強い選手ではありましたが,目立った戦績は残せないでいました.
大きな大会にエントリーすれば一回戦負けが当たり前だった頃,とある人(故人・日本テニス界の大御所)が,そんなフェデラーの試合を見て「彼は将来,きっと大物になる」と評します.

その後の大化けっぷりは言わずもがなですが,その人がフェデラー少年の何に注目していたかというと,彼がやろうとしていたプレースタイルです.
ショットの正確性やフットワークの悪さは発育発達途上のジュニア選手であれば仕方がないことですが,やろうとしていたプレースタイルは抜群に優れたものだったと言うのです.

おそらくは彼のコーチが優れていたのでしょう.
例えジュニア時代に負けが重なったとしても,シニア選手になった際に必要となってくる判断力や戦術を,ジュニア期のその身に叩き込んでおくことを優先したのだと推察できます.
技術や体力というものは,練習を重ね,成長してくれば自ずと高まってきます.ですが,その場面でどのようなショットを打つべきか,どう動けば良いか,という判断力や戦術というのは,一朝一夕に身につくものではないのかもしれません.
となると,その時に満足な技術や体力がなかったとしても「やろうとする」というトレーニングが必要であることが考えられます.

つまり,上で述べてきた「最適解を選択する判断力」を鍛えるトレーニングというのは,決して「安全策を選択する判断力」と同義ではないのです.
ジュニア期の練習では尚のこと注意が必要で,将来,体力や技術が高まることを見越し,その時に必要とされる行動を教える必要があることを窺わせます.
それが例え,目の前の試合には勝てる可能性が低くなるものであったとしても,です.
日本のジュニア選手は世界大会でよく活躍しますが,シニアでの活躍が振るわないのは,こうしたことが背景にあるのかもしれません.

だとすれば,ジュニア選手が「やろうとする」トレーニングのためには,先人たちの努力する姿や,超一流のプレーを観る機会ということが,ほぼ必須の条件ということになるでしょう.
「やろうとする」ためのモデルや経験談がなければ,それは不可能だからです.

現在のサッカー少年が,先人たちの遺産を受け継ぎ,あと15年後,20年後のサッカー日本代表として世界トップレベルのプレーを見せてくれていることを期待しております.

井戸端スポーツ会議
■ 井戸端スポーツ会議 part 1「プロ野球16球団構想から」
■ 井戸端スポーツ会議 part 2「スポーツ庁の必要性」

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