2016年6月9日木曜日

井戸端スポーツ会議 part 31『バレー,変じゃね? いや変だよ』

こんなニュースが出ています.
バレーの熱狂的応援、変じゃね? アイドルが踊り、DJが絶叫 ストレート負けでも「やばい超最高」
大盛り上がりで終わったバレーボール、リオ五輪世界最終予選。日本チームを応援してはいた。けれど、おそろいの赤いTシャツを着たアイドルやアナウンサーの熱狂的な姿がテレビに映るたびにモヤモヤしてしまった私。この感じ、何だろう。日本戦の直後、タイ女子チームのコーチはこう言ったそうだ。「これはスポーツではない。日本のショーだ」(withnews6月9日)
日本のバレーボールが気色悪い事態になっていることは以前から問題視されていました.
以前と言ってもそれはそれはかなり以前からで,私が学生だった15年くらい前(2000年頃)からです.ゼミでも話題にしていたし,食堂での学生同士の世間話のテーマにもなっていました.

「バレーを盛り上げるためには必要なところもあるのではないか」という意見もありましたが,当時のスポーツ系専攻学生の大方の見方としては,
「これはおかしい」「スポーツじゃない」「死ねばいいのに」
というものでした.

ややエコノミックな思考をしたがる “意識高い系” 学生なんかは,
「これからのスポーツは,こうやってエンターテイメント性をもたせる必要があるんだよ」
とか言っていましたし,近鉄バファローズの身売り問題に端を発する「プロ野球再編問題」とも重なっていたので,ファンサービス重視とかスポーツビジネスの工夫といったことが取り沙汰されるようになった時でもあり,こうしたバレーボール界の取り組みを肯定的に捉えていた学生もいたことは確かです.ただ,それでも彼らは少数派でした.

私がテレビを見なくなったのは,ちょうどその頃からです.だからその後のテレビの中のバレーボールは知りません.
上記のニュースと関連記事を読んでみたのですが,当時よりも「気色悪い状況」はさらに加速しているようですね.

これはプロ野球やJリーグが取り組むファンサービスやエンターテイメント性の強調とはわけが違います.
国際試合です.やっていいことと悪いことがあります.

バランス感覚の欠如.不誠実なスポーツへの態度.
東京を諦めるでもお話したように,日本の社会がここに現れています.
スポーツを見れば,その社会が分かるのです.

これについて,もっとちゃんとした批判をした人がいます.
ヨハン・ホイジンガです.
一般への認知度は低く,ちょっと地味な歴史家・思想家ですが,我々体育・スポーツ関係では知らぬ者はいない重要な位置づけとなる人物です.

バレーボールの件,あれこれ私が語るよりも,ホイジンガの主著『朝の影のなかに』と『ホモ・ルーデンス』からいくつか引用しましょう.そこに全てが書かれています.

ホイジンガは近現代社会のなかにある特徴を見出します.それが,
ピュエリリズム(ピュアリリズム):小児病
です.
子供を大人にひきあげようとはせず,逆に子供の行動に合わせてふるまう社会,このような社会の精神態度をピュアリリズムと名付けようと思う.(朝の影のなかに)
では,子供のように振る舞う社会とはどのようなものか?
ピュアリリズムは二様にあらわれる.ひとつは,まじめで重要な活動と目されながら,そのじつ,それが,まったく内容空虚なあそびとしての性格を帯びているばあいであり,ひとつは,たしかにあそびと目されてはいるのだが,しかし,その行動の態様からして,真のあそびとしての性格を失っているばあいである.(朝の影のなかに)
今の日本社会でありスポーツ界,そして件のバレーボール界のことです.
それらの大部分は,現代の精神的コミュニケーションの技術によって惹き起こされたり,または押し進められたりした習慣である.これに属するものには,たとえば,たやすく満足は得られても,けっしてそれで飽和してしまうということのない,つまらぬ気晴らしを求めたがる欲望,粗野なセンセーションの追求,巨大な見せ物に対する喜び,などがある.(中略)さかんなクラブ精神とそれに伴う記章,きまった型の手の動かし方,合言葉(定型化した喊声,喝采,挨拶の言葉など),スローガン,それから歩調を合わせた行列行進,その他がある.(ホモ・ルーデンス)
おいおい,それじゃスポーツイベントの全否定じゃないか,と思うでしょう.「遊び」と「スポーツ」に肯定的文化因子を見出したホイジンガが,その主張とは矛盾したことを言っているようにも聞こえます.しかし,そうではありません
現代社会のなかでさかんにはびこっている小児病は,遊びの機能の一つであるとしてよいだろうか,それともそうではないのか,という疑問がここに起こってくる.(中略)しかし私は今,遊びの概念の境界はもっときびしく引くべきであると考えており,そういう理由から,小児病に対しては遊びの形式としての性質を認めることを拒否しなければならないと思う. 遊んでいる子供はけっして子供っぽくない.子供っぽくなるのは,遊びが子供を退屈させたときか,どうやって遊んだらよいかわからなくなったときに,初めてそうなるのだ.(ホモ・ルーデンス)
では,このピュエリリズム(ピュアリリズム:小児病)の本質とはなんなのでしょうか?
判断力と批判意欲の衰弱がその基礎にある.このなかばみずからえらびとった昏迷の状態に,大衆はひじょうな居心地のよさを感じている.ひとたび倫理的確信のブレーキがゆるむや,いついかなる瞬間にも危険極まりないものとなりうる状況がここにある.(朝の影のなかに)
バレーボール界とそれにまとわりつくメディアの「遊び」と思うなかれ.
これは「遊び」ではなく,「悪ふざけ」であり,ピュエリリズムなのです.
そしてこれはバレーボール界やスポーツ界に特有の現象ではなく,その社会の有り様がここに現れているのです.


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