2016年12月16日金曜日

大学における体育授業の意義2

体育の実技指導ができない大学教員が増えてきた
と言われることがあります.

そして,
「体育の指導方法を習ったことがないから,不安だし,授業計画が負担でしょうがない
とか,
「いつも学生になめられているようで悔しい」
とか言ってる先生もいますね.
たまに相談を受けることもあります.

でも,私はこう思うんです.
初心者にとってハードルが高く,入り口としての専門性が求められる種目(ダンスとかスキーとか)や,慎重な安全管理が求められるもの(水泳とか野外活動とか)でもない限り,大学体育の授業を教員が必死こいて指導しなくてもいい,と.

そうですね.「救急処置法」くらいの知識があれば大丈夫じゃないでしょうか.
一方,実技指導の能力はあるくせに,救急処置ができない教員もいます.学生がケガをしても知らんぷり,かと思えば摩訶不思議な応急手当をしたりする.こういう教員こそ危険です.

以前の記事の続編のつもりで書くので,興味のある人はこちらもどうぞ.
大学における体育授業の意義

そもそも,大学の授業として「体育」を受けさせる意義をきちんと考えてみたことがない人が多いのです.
そんな状態で悩んでいては,いつまでたっても自分なりの答えは湧き出てきません.
ひとまず体育をやってる感がある「スポーツ・スキルを習得させる」ことを第一に考えてしまうし,学生も一見それを望んでいるように見えるから,そこが大事だと思ってしまいます.

それも当然かもしれません.中学・高校まではそれが「体育」だったのですから.

でも,考えてもみてください.
大学に来てまで「スポーツ・スキルを習得させる」ことに何の意味があるのか.
常識的に考えたら「ありません」よね.
けど,それでも大学には体育の授業があるのです.

大学の手前である「高等学校」における体育の学習指導要領に目を通してみましょう.
「保健体育の目標」にはこう書かれています.
心と体を一体としてとらえ,健康・安全や運動についての理解と運動の合理的,計画的な実践を通して,生涯にわたって豊かなスポーツライフを継続する資質や能力を育てるとともに健康の保持増進のための実践力の育成と体力の向上を図り,明るく豊かで活力ある生活を営む態度を育てる。
大学には学習指導要領はありませんから,各大学・各教員の理念と哲学から教育されることになります.しかし,そうは言っても日本の大学における体育の授業です.日本の学校教育における「体育」の理念と哲学を踏襲するところがあって然りでしょう.

だとすれば,「生涯にわたって豊かなスポーツライフを継続」し,「明るく豊かで活力ある生活を営む態度」を持った人間を育てる最後の教育機関が大学ということになります.
ようするに,「スポーツを楽しむ」ための資質を育てなければならないのです.

こんなこと言うと,「ただ楽しませる授業では意味がない」と,尤もらしい意見を言う教員に遭遇します.
けど,そんな教員にかぎって,授業では学生の動きを「統率」することに満足感を得ています.そして,自分が用意した教材とプログラムによって「授業が盛り上がった」ことを喜んでいたりする.
中学・高校の教師になりそこねた人に多く見られるタイプですね.
大学の授業で「九九」を覚えさせて喜んでいるようなものです.
結局,こういう教員も「学生をただ楽しませているだけの授業」を展開してることに違いはありません.

スポーツが楽しいことは皆知っています.
練習すればスポーツのスキルが高まることも知っています.
これまで学校の授業でやってきたのですから.

でも,豊かなスポーツライフとは何か? 活力ある生活を営む態度とは何か? について,学校体育で学んでいるかと言われたら怪しいものです.
事実,90分間を学生の好きにさせたら「楽しめなくなる学生」とか「時間つぶしを始める学生」が現れます.
つまり,スポーツを楽しむことができない学生はたくさん存在するのです.

そんな彼らは,得てして「グループワークや演習形式の授業」を充実したものにできないし,就職活動も難儀します.
十人十色のクラスで,どうすれば皆が万遍なくスポーツを楽しむことができるのか.それを考えることは,社会を構成する者に必要な能力を育てることにつながっています.

学習指導要領の第一条「教育の目的」にはこうある.
教育の目的
第一条 教育は,人格の完成を目指し,平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。
バスケのドリブルや,バドミントンのサーブの練習をしてはいけないなどと言っているのではありません.授業を展開する上でのプログラムの一つとして盛り込んでいいでしょう.大学の授業として「九九」をやってはいけないと言っているわけではないのです.
でも,そんなことより,もっと大事なものが大学体育の授業にはあるのではないか,ということです.


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