2017年5月14日日曜日

古代四国人・補足(神武東征で隠せなくなったこと)

今回は古事記の神代(上巻)から伝説(中巻)へと話が移るところ,すなわち「神武東征」です.

ここまで来ると,過去記事を読んでおかないと意味不明な妄想話(実際そうだけど)にしかならないので,過去記事を読むことを強くオススメします.
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古事記の中巻に入ると,上巻で展開されていたファンタジー色は薄まり,途端に戦記物になります.
きっと,この時代の出来事になってくると,ひと口に膾炙されている話が多くなってくるからだと思われます.

神武東征の流れを簡単に確認しておきましょう.
日向国(宮崎県日向・高千穂)で過ごしていた神武(カムヤマトイワレビコ)が「東に美しい国があるというから,せっかくなので侵略・占領しよう」と思い立ち,船団を伴い遠征することになりました.
まずは日向から北上し,「宇沙(大分県・宇佐市)」で休息.その後,さらに北上して「岡田宮(福岡県周辺)」に向かい,そこで1年を過ごします.
神武軍はそこから関門海峡をわたって中国地方に移動.阿岐国(広島県・安芸)で7年,吉備国(岡山県・吉備)で8年の駐留の後,浪速国(大阪)へと侵攻します.
浪速国では土着勢力であるナガスネヒコの軍団と遭遇し,これに敗戦します.しかもこの戦いで神武の兄・イツセが重傷.イツセは神武に「太陽を崇める我ら日向の民が,日(東)に向かって戦うのは縁起が良くない.回り込んで西から攻めよう」と言い残して死亡.
神武軍は熊野(和歌山・三重の境)まで紀伊半島を回り込み,山に入ってここから北上します.
途中,森で熊さんに出会ったところ,不思議な毒気にやられて神武軍は皆して気を失い倒れます.これが「熊に出会ったら死んだふり」の起源なのかもしれませんが,幸いなことに、熊はすぐに消えていなくなりました.
ここで土着民のタカクラジが神武の前に現れ,古事記・上巻のエピソードである大国主から葦原中津国を略奪・平定した,あの「タケミカヅチ」から頂戴したという聖剣・フツノミタマを渡してくれます.フツノミタマを神武が手にすると周囲の毒気は消えうせ,兵士たちは意識を取り戻したのです.
さらにはここに3本足の大きなカラス「八咫烏」が現れ,目的地である大和国まで道案内をしてくれることになりました.
宇陀(奈良県・宇陀市)まで来ると,そこにエウカシとオトウカシという土着豪族の兄弟がいました.八咫烏が「神武に仕えるカァー?」と聞いたところ,これに対し,エウカシは神武に仕えるふりをして暗殺しようと企てます.ところが,弟のオトウカシが兄の暗殺計画を神武にチクったことで事なきを得ます.ちなみに,エウカシは死亡.
さらに進んで忍坂に至ると,そこで屈強な軍団に遭遇.まともに戦ってはダメだと考えた神武は,彼らを騙し討ちで排除.
ついに大和国(奈良)まで来た神武軍は,ラスボスであるナガスネヒコと戦い,戦況を有利に展開.決戦の最中,そこにナガスネヒコが崇める神様・ニギハヤヒが登場し,「神武に従いなさい」と命令するも,彼はこれを拒否.そんな彼にブチ切れたニギハヤヒはナガスネヒコを殺して終了.
こうして神武(カムヤマトイワレビコ)は畝火の白橿原宮(奈良県・橿原市)を占領して「神武天皇」と名乗ったのです.
この話は,古事記上巻の最後,「国譲り」と「天孫降臨」から続く物語だと考えられます.
以下に,前回記事の足跡も含めて図示してみました.

繰り返しになりますが,過去記事も合わせて読んでもらうと理解が早まります.
それでは以下,神武東征のエピソードを解釈していきましょう.

まず,神武(カムヤマトイワレビコ)本人について.
国内向けに作成されている古事記では,神武はニニギの曾孫ですが,国外向けである日本書紀ではニニギが降臨して後,179万2470余年経過しているということになっています.
つまり,国内向けには「神武はニニギから近い身内」として紹介しているのに,国外向けには「神武はニニギとは遠い縁」であるということにしたいわけです.
これは「大国主とスサノオ」とは逆のパターンですね.
古代四国人・補足(大国主命の神話の裏を読む)
これには何かしらの意図があるのでしょう.

「179万年以上の時間を用意したのは,自国の長い歴史を国外に誇りたいから」と解釈されることがありますが,いくらなんでも盛り過ぎだし,もっと別のところで適切に盛れるはずです.つまり,国内の目に触れにくい神話である日本書紀には,時の朝廷や権力者の都合が反映されているものと思われます.
ようするに,国外向けの日本書紀には「皇祖神」や「神武(カムヤマトイワレビコ)」がどこの関係者なのか不明瞭にしておきたいという編纂者の願望が見える.

神武天皇の実在性についてですが.私は彼のような軍人・政治家は実在していたと考えます.しかし.現在に続く「天皇」とは別の存在だったのではないでしょうか.もっと言うと,古事記上巻のように「地域勢力」を象徴するものとして描かれているところもあると思います.

日向国・高千穂周辺を統治していたというニニギの曾孫「神武」は,おそらくは四国から侵攻して九州東部を平定した将軍や王族の身内です.この時はまだ,「四国 v.s. 九州」の対立は続いていたものと考えられます.
これについては,■古代四国人・補足(国譲りと天孫降臨から空想する)を合わせてご覧ください.

とは言え状況を簡単に一言で説明しておくと,
日本海回りで出雲・近畿(大国主)に攻め入っていた九州北部勢(アマテラス)の意表をつき,四国勢(ニニギ)が九州東部(サルタヒコ)を制圧したのが「天孫降臨」の物語
というわけです.

魏志倭人伝の記載を信じれば,国の結びつきが不安定な九州・邪馬台国ですから,これによる動乱を防ぎたい九州北部勢(アマテラス)は,四国勢(ニニギ)と和睦することにしたのではないでしょうか.九州遠征軍団の代表(神武)を九州北部まで招き,そこで和睦交渉を行ったものと思われます.
これが神武東征最初の部分になります.
つまり,神武軍は北上し,宇沙(宇佐市)と岡田宮(博多)を訪ねたのです.

なお,結論ありきの東征伝説ですから,「神武は大和・橿原を目指して東征した」というのは後付だと考えられます.
当初の目的は九州北部勢との和睦だった可能性があります.

さて,その和睦交渉の中身ですが,状況が状況だけにその内容は容易に察することができます.
「ここはひとつ、一緒に出雲・近畿に侵攻しましょう.そして,連合王国を作りましょう」
これしかありません.だから古事記における日本神話では「四国」と「九州」が大事な島として語られているのです.つまり,日本建国の礎は四国・九州連合にその源流がある可能性が高い.

九州は既に出雲をおさえています.日本海ルートは確保しているわけです.
問題は瀬戸内海ルートです.でも、この瀬戸内海ルートが非常にやっかい.その途中には安芸(広島)と吉備(岡山)という国力の高い強大な国が控えています.
近畿攻めをするには,この地域を味方にするか,制圧するかしないと難しいのです.

なので,阿岐国と吉備国への対応には長い時間を要したわけですね.それぞれ7年と8年の歳月を過ごしたと書かれているところから,その様子がうかがえます.
どのような対処をしたのか予想は難しいのですが,それが垣間見える考古学的遺跡が「高地性集落」です.その中でも防御型(戦争用)の高地性集落の時代変遷をプロットしたものが以下のもの.
画像元記事:http://web.joumon.jp.net/blog/2009/03/745.html(個人サイト)

まず,1世紀〜3世紀にかけては,四国の側に防御的高地性集落が数多く築かれていました.
この時代は奴国や邪馬台国が力を持っていたとされる時期と重なります.

しかし,時代が下ると四国の高地性集落は減少し,代わりに九州,広島,近畿に築かれるようになるのです.
これが3世紀から4世紀にかけての話です.

防御的高地性集落が築かれるのは,攻撃に怯える側と考えられます.
ここから考えられるのは,周辺国から押され気味だった四国が,ある時期を境に九州,広島,近畿に対し攻勢に出るようになった,ということです.
つまり,前回記事である「天孫降臨」と,今回の「神武東征」は3世紀から4世紀頃に発生した出来事である可能性があります.

おそらく,連合軍となった四国・九州は,まず阿岐国を武力的に威圧・攻略.次に大国として名高い(高地性集落も築かない)吉備国とは交渉にて同盟.そのようにして瀬戸内海の有力勢と「近畿地方への侵攻」を了解してもらうことにした.もしかすると,四国・九州・中国連合として近畿に攻め入ったのかもしれませんね.

そもそも,当時の船による渡航は,港町がある沿岸地域との友好関係がなければ不可能だとされています.1日に20kmしか進めないですし,たくさんの人や荷物を運ぶとなると,豊富な食料補給や予備人員の調達が必要です.
ましてや「軍団の移動・駐留」は至難の業.
神武東征が事実を基にした伝説だとすると,そこには瀬戸内海諸国の協力関係が必須となります.

当時のテクノロジーで「神武東征」をするためには,水・食料が豊富で人的資源も賄える重要拠点として,少なくとも岡山県,香川県,徳島県,その中でも特に「淡路島」を自国領土にしておかなければ成し得ない事業なのです.
国生み神話において,「淡路島」が最初に誕生した理由の一つかもしれません.

浪速国に入った神武軍を追い返したナガスネヒコですが,これは「大国主の神話」で語られていた人々,つまり,スサノオに象徴されている近畿勢のことと思われます.
古事記は近畿・大和朝廷とその権力者に都合のいい神話として作成されていますが,土着近畿勢に伝わる神話も入れておく必要があります.
なぜなら,彼ら「大和国を治めていた者(ナガスネヒコ)」とは,古事記上巻でスサノオと大国主を用いて暗喩されていた近畿勢のはずだからです.

結果的には「征服された地域」ではありますが,そんな彼らのプライドを守るためにも,「神話としてのスサノオと大国主の物語」は必要だったものと考えられます.
案の定,ナガスネヒコが奉っていたとされる神・ニギハヤヒは,近畿土着神話では「大国主の子孫」とか「スサノオの子孫」とされています.これが意味することは後述します.

最後に,大和国・橿原を占領するまでに至るエピソードは簡単な解釈になると思います.
さまざまな研究家が述べているように,各時代に起きた戦争の考証から,奈良盆地は西側からの攻撃に強い土地とされています.
それゆえ,実際に四国・九州連合は西側からの攻撃では攻めきれず,包囲攻撃をしかけたものと考えられます.瀬戸内海から大阪へ上陸する軍団と,日本海から京都を経由して南下する軍団による挟撃,そして目玉となる「熊野山中から背後をとる」という当時としては非常に大規模な軍事作戦です.

そこには「同時攻撃のタイミング」を合わせるための優秀な伝令兵が必須です.しかもこの伝令兵はその土地に精通した者でなければなりません.電話もGPSも無い世界では,「のろし」と徒歩による移動しか連絡手段がありません.
登山経験がある人は分かるでしょうが,そもそも,見知らぬ土地の山を大勢の兵士を伴って縦断するなど自殺行為に等しいのですから,その道案内ができる者は大変貴重で重大な役割を持った者ということは明らかです.
それをやってのけた人物,それが「八咫烏」として名を遺した者なのでしょう.
おそらく,八咫烏とは地元の山伏か忍者のような存在で,四国・九州連合軍における戦略的偵察部隊の象徴だと考えられます.

古事記上巻とのつながりとして考えてみましょう.
神武東征は,古事記編纂当時にも首都であった大和国を舞台にした占領物語です.
大和国の地元民および豪族にとってみれば,外国から現れた軍隊による占領を受けたことを意味します.そのインパクトたるや相当大きなものだったと考えられます.

しかし,そう考えると神武東征からさまざまな政治的経歴が読み取れます.
端的に言えば,「自分たちの地域が占領・迫害を受けたことを納得する/させるための理由づくり」ということです.
これは古事記の上巻後半~中巻前半まで,すなわち,「アマテラスとスサノオの誓約」から「大国主の国づくり」を経て,「神武東征」までに一貫している物語構成です.
古事記とは日本建国に重大な働きをしたであろう各地の勢力が,今の状況に「納得」してもらうために編纂されている部分が大きいのでしょうから.

先ほども述べたように,神武東征は首都・大和国の民衆にとっては非常に大きな出来事として記憶,伝承されているものと考えられます.
ですが,その後,大和国は首都として繁栄し,有力政治家も輩出し,日本に冠たる地位を築いて「今(古事記編纂当時:8世紀)」に至ります.
考古学的にも,近畿地方の文化が徐々に日本各地へと波及・侵食していったことが分かっているようですが,それでも当時の人々の伝承としては「この国は西方より現れた侵略者が建国した」ということが当然のごとく語られていたものと考えられます.

ですから,古事記編纂者が神武東征伝説を「ぼかす」ことは,これが限界だったものと考えられます.逆に言えば,かなり現実に近い話をすることになるから古事記の中巻に収めたとも言える.

それでも,神武東征の中にも強引な展開があります.
たとえば神武が討伐した近畿土着の豪族であるナガスネヒコにしても,彼らが奉っている神「ニギハヤヒ」もまた,アマテラスからの神勅を受けて大和国に降り立っている.すなわち,「天孫降臨」しているはずの存在として描かれています.

つまり,近畿勢の視点からすれば,自分たちの国を占領した神武(元・四国出身の九州方面将軍)を受け入れるために,自分たち自身を納得させるための理由として「彼もまた我らと同じく天孫なのであり,間違った道を歩んでいた我らの指導者・ナガスネヒコを討伐してくれた統治者なのだ」と構えることにより,共同体としてのアイデンティティを持つことができる構造になっているのです.

これと同様,天孫降臨から神武東征の冒頭へのエピソードは,九州北部勢を納得させるための物語と捉えることができます.
ニニギに象徴される四国勢による九州東部制圧の流れは,アマテラスによる指示のもと行なわれた,ということになっていました.
つまり,九州北部勢にとっての「ニニギ」という新たなる統治者の出現は,神話によれば自分たち自身,すなわち「アマテラス」が遣わした統治者だという構造になっています.

こうした「納得の仕方」は,ちょうど第二次世界大戦に敗戦した日本が,占領軍指令「マッカーサー」を迎え入れるとき,彼を「新たなる天皇」とか「国家として間違った道を歩んでいた日本を,正しい民主主義国として導くために《世界》から遣わされた統治者」と評したことと似ています.
つい先日まで「鬼畜米英」と称し,無差別爆撃や核爆弾を落とされて敗戦した相手なのに,人間や民族とは不思議なもので,このようにして自分の置かれた状況を納得しようとするのです.

逆に言えば,当時の西日本において重要な位置を占めていたはずの瀬戸内海勢力(わけても屈指の大国である吉備,伊予,讃岐)についての「納得用の記述」は出てきません.
これは裏を返せば,日本建国に破格の影響を与えたのが四国・中国地方,特に瀬戸内海勢力である可能性を示唆しています.
言い換えれば,古事記編纂当時において,神武が何者なのか? 神武軍がどのような構成だったのか? については,民間伝承として自明のことだったと考えられます.
配慮の必要がないところは,記述する必要もない.そんなところでしょうか.


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