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やっぱり「いじめ防止対策推進法」が頓挫している|この法律を機能させるための改正の提言

すみません.この記事を定期的に読んでくれている方々にとっては,ナンノコッチャ?という記事が続きました.
ただ,あのような記事のほうが,普段書いている記事より何百倍・何千倍も読まれるので.
時々,ご了承ください.


いじめ防止対策推進法の改正が頓挫している


さて,こんなニュースが巷を騒がせています.
いじめ防止法座長試案に反対 元校長や被害者の高校生ら(教育新聞 2019年5月9日)

法律としてほぼ機能していなかった「いじめ防止対策推進法」を改正しようという動きです.

先日は,東京新聞にこんな社説も出ていました.
事情がまとまっているので,状況把握のために,以下を御一読ください.
いじめ防止法 悲劇防ぐ改正進めよ(東京新聞 2019.5.10)
超党派の国会議員によるいじめ防止対策推進法の改正作業が難航している。学校の負担増に配慮し、当初の対策強化案が後退。遺族らは反発している。悲劇をなくすため一歩でも前進できないか。
 十連休の後にも、埼玉県では電車にはねられ亡くなった高校生がいる。目撃情報から自殺とみられている。原因は分からないが、学校に行くのがつらかったのかもしれないと思うと胸が痛む。子どもたちをどうやったら救えるか。そこを原点に考えたい。
 法は、二〇一一年に大津市の中学二年男子がいじめ自殺した事件をきっかけに制定された。国や地方自治体、学校はいじめ防止の方針を定める。自殺や長期の不登校は「重大事態」と位置付け、第三者委員会をつくって原因究明にあたり、再発防止につなげる。
 しかしその後も全国で子どもが命を絶つ事態は続いている。第三者委員会の調査結果に遺族が納得せず、再調査になるなど、法は必ずしもうまく機能していない。




いじめ防止対策推進法は機能しない


この法律ができた時,こっぴどく批判していたのが昨日のことのように思います.
昨日のことのようではありますが,実際には昨日ではないので,私自身何を言っていたか忘れてしまいました.
過去記事から引用しておきます.
もう5年前なんですね.

笑ってはいけない「いじめ防止対策推進法」
長くなってしまいますが,本件についての私の主張をまとめると,以下になります.
まず,この法律は機能しません.なぜなら,この法律があろうとなかろうと,学校では「いじめ」への対策はされる(されている)からです.というか,法律で定めるようなことに馴染まないと言ったほうが適切です.
「これまで,いじめ防止対策がされていなかったから,今回のような法律ができたんじゃないのか」
というご批判もあるかもしれませんが,残念ながらトンチンカンな指摘です.ベクトルが違います,と言ったほうがいいかも.
私はこの法律が無意味だと言っているのではありません.機能しない.と言っているのです.
(中略)
 しかし,「いじめ防止対策推進法」では,
児童等は,いじめを行ってはならないとし,いじめが発生しないよう “防止” するための法律にしています.法律の名前からしてそうですから,これは間違いありません.
私はここに「いじめ防止対策推進法」という法律の真の恐怖が隠れていると睨んでいます.
それは何かというと,子供のいじめを法律で,そして,大人(もっと言うと“教師”)が防止(コントロール)できると考えていることです.
いじめを無くせば,子供が善く育つと考えていることです.
(中略)
法律があろうとなかろうと,知育,体育,徳育,芸術,遊戯,そして「いじめ」を交えながら,学校教育は今日も展開されていきます.
はっきり言って,法律でどうこうできるものではないのですから.
なので結論として,この法律は「機能しない」ということなのです.

この法律改正に携わっている方々の苦労を考えると,可哀想になります.
お疲れ様です.





いじめ防止対策推進法という存在が異常


そもそも,「いじめ防止対策」なんていう,摩訶不思議なことを学校現場でやらせようとすることがおかしい.

いじめは必ず発生します.
発生しない人間社会の方が不気味です.

こういうことを言うと,
「私はいじめなどしないぞ.それを他の者にも教育すればいいのだ」
とか言い出す人がいます.

残念でした.
いじめは「私はやっていない」と言えるものではないのです.
いじめ防止対策推進法の定義によれば,
「いじめ」とは、児童等に対して、当該児童等が在籍する学校に在籍している等当該児童等と一定の人的関係にある他の児童等が行う心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものを含む。)であって、当該行為の対象となった児童等が心身の苦痛を感じているものをいう。
つまり,本人が「いじめを受けている」と思えば,それはいじめです.
これは大人社会で適応されている「ハラスメント(嫌がらせ)対策」と同様ですね.

なので,「私はいじめなどしないぞ」と,まるで「いじめっ子」みたいな意見を表明したところで無意味です.
私の教員としての経験上,こういうメンタリティをしている奴が,一番いじめを好みます.
事実,いじめっ子を問い質すと「いじめているつもりはなかった.むしろ,アイツの方がキモいし,悪い奴なんだ」などと言い出すのが常です.

すなわち,「私はいじめなどしない」とふんぞり返る奴がいる限り,いじめは絶対に無くならないのです.


いじめは防止できません.
いじめ被害も防止できないのです.

学校や教師ができることとすれば,エスカレートすることを防ぐくらいです.
実際のところ,それも難しいのですけど.

前掲した,
からもう少し引用します.
人間は成長していくことで,そういう「いじめ」という現象に対して自己をコントロールできるようになっていきます.
いくつになっても出来ない人もたくさんいるでしょうけど(笑),いじめるとしても,周りや本人にバレないように,もしくは合法的に「いじめる」すべを知るようになる.それが大人になっていくということでもあるでしょうし,“心の底からいじめているか否か” といった点を論ずるならば,性格や人格,人徳,人間性という切り口から説明されるのかもしれません.
つまり,「いじめ」というのは人間社会(日本であれば,日本社会)が作り出している,その社会で過ごす人間らしい現象の一つと考えられます.
「いじめ方」が国や地域によって違ってくるのは当たり前で,「いじめ」とはすなわち,コミュニケーション法の一変種と捉えられなくもありません.
(中略)
「いじめ」はどのような社会でも発生するものです.「防止」できるものでも,解決できるものでもありません.いじめが発生しない社会というのも気持ち悪いでしょ.
けれども,この「いじめ」を放置すると,その社会や共同体が健全に機能しなくなってしまう.それでは問題だから,どのようにすれば良いのだろうか,と考えることが大切です.
もっと言うと,「いじめ」がなくなってしまうと健全な学校教育ができなくなってしまう.それくらいの懐の深さで見守ってもらいたいところです.


いいじめ防止対策推進の改正案


私なりに「いじめ防止対策推進法」の改正を提言します.
一番良いのは「撤廃」なのですが,それは現実的ではありません.

改正ポイントは3点.
(1)「いじめ」という現象を不可避のものとして定義・位置づける
(2)未成年犯罪の対策チームを組織し,場合によっては警察を入れる
(3)いじめ事件への教師の関与を減らす


(1)については前述してきた通りです.
いじめを防止することを考え始めると,人間を辞めなければいけません.


(2)と(3)は関連しています.
ある意味で「寂しい」ことかもしれませんが,教師の立場で「いじめ」という犯罪行為の対応と処理・処分することは避けた方がいいと思います.

なぜなら,教師は子供を守ろうとするからです.
それがたとえ「いじめ加害者」であってもです.
これは,いじめ加害者の親が,我が子を信じて守ろうとすることと似ています.

もちろん,そのあたりをドライに構えて対処できる,有能な教師もいます.
我が子であっても,犯罪を犯したら厳しく対処する親がいるのと同じです.

しかし,それをすべてのケースに求めることはできません.
その子の将来への傷とならないよう,どうしても甘く対処したり,表沙汰にならないようにしようとします.
でも,これが世間一般の人達の目には,「隠蔽体質」と映るわけですけど.


ですから,「いじめを無くそう」という理想を追いかけるのであれば,「いじめ問題・事件に教師は関われない」とするのが最も合理的でスマートです.
誤解してほしくないのは,私は合理的でスマートな方法が「教育上」理想と言っているわけではありません.むしろ,合理性とスマートさは教育に反することだと考えています.


「いじめ問題・事件に教師が関われない」となれば,いじめ被害者の行動が変わります.
教師を頼らず,未成年犯罪対策チームや警察に訴えるようになるのです.
そこでは「いじめ」ではなく,脅迫事件や暴力事件,窃盗,恐喝として処理するようにします.

もっと言えば,それによって「教師の行動」も変わります.
「いじめ」というフワッとしたものではなく,学校で起きている犯罪の抑止として動くようになります.
その対処や処分には,自分たちが関われないのですから,良い意味でも悪い意味でも「気兼ねなく」生徒を告発することができるのです.

教師の仕事の特性上,そうしないと「いじめを無くす」ことはできません.


さらに言えば,この法律をきちんと機能させようとすれば,もっと詳細な部分を詰める必要があります.

当初,いじめ被害者は,対策チームや警察に訴え出ることを躊躇するはずです.
この程度で訴えるのはやり過ぎじゃないか.友達を裏切ることになのではないか.余計にいじめられるのでは.という理由からです.

ですから,現実的には教師の口から訴えることが多くなるはずです.
しかし,学校や教師としては,「いじめ行為(に該当する,各種嫌がらせ行為)」の申告件数が多いと,その学校は問題が多いと思われないか心配し,申告を躊躇する可能性があります.
なので,法律や条例でそれを防ぐ必要があります.

具体的には,現在の警察と同じように「検挙件数のノルマ」を設定する必要があります.
そうしないと「いじめ行為を減らす・無くす」ことにはなりません.
つまり,年間20件とか月間2件などと設定しておき,各学校で,必ずその件数以上の「生徒の問題行動」を摘発することが教師のノルマになるのです.

もちろん,申告したり摘発するような事件が発生しないこともあるでしょう.
けど,それは警察にしても同様です.
それを「今年は発生しなかったから,じゃ,OK」ってことにするとダメなのです.
面倒だから申告しない,あの程度だったら摘発するようなことじゃないだろう,などと言い出すに決まっています.

些細なことでも,「極めて軽い事件であるが・・」などと言い回しながら申告させる必要があります.
それが機能する法律をつくる上で重要なことですので.

生徒にしてみれば,なんだか納得いかないような理由であっても「今回のお前の行為は申告しておく」という事態が,全国の学校で散見されることになるでしょう.

こうなってくると,いよいよ怪しい雰囲気が出てきますね.
というか,私はそういうのが嫌だから,教育現場を合理的でスマートにするのを避けたいのですけど.
でも,「いじめの被害をできるだけ減らしたい」という根本改善の方向に舵を切るのであれば,こういうことをしないと機能しませんよ.


良い方に解釈すれば,そうすることによって生徒は,社会人としての自覚が身につきます.
問題行為を申告された学生は,成績表に付されたり,高校・大学受験の際にマイナスポイントになる仕組みを作ればいいと思います.
教師にしても生徒にしても,「検挙件数のノルマ」があるのですから諦めがつきます.
「ムカつくけど,先生としてもノルマがあるから摘発しているんだ」という空気になれば法律は成功です.


ただ,そういう教育現場ってどうよ? と思ったりします.
私はもっと「いじめ」を柔らかく捉える教育現場がいいと考えていますが.

今回提言した改正案は,やや極端な話ですが,趣旨としてはそういう事です.
「いじめ防止」として機能させるには,そういう方向性をもった改正でなければ無意味です.

実際のところ,国民や世論もそこまで「いじめ防止」に関心があるわけじゃないので,そういう改正は難しいとも思います.
むしろ,いじめ防止が本当に達成されてしまうと,自分たちが「いじめ」をするのが気が引けて困るでしょうし(笑).
関心があるのは,どれだけ教育現場が混乱しているかというスキャンダルであり,それによって鎮まらない事件を酒の肴にしたいだけなのですから.