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教育機関のブランドとは

どうも.ご無沙汰しております.
1ヶ月に3本しか記事を書かなかったのも久しぶりですね.
2月はめちゃくちゃ忙しくしていたので,ブログにまで手が回りませんでした.

ところで,今月話題となったニュースにこんなのがあります.
「アルマーニ」制服に意見450件、批判多く 銀座・泰明小(産経新聞2018.2.14)
東京・銀座にある中央区立泰明小学校が実質的な制服に当たる標準服に、イタリアの高級ブランド「アルマーニ」監修のデザイン採用を決め、高額すぎるといった批判の声が出ている問題で、中央区教育委員会などに寄せられた意見が13日時点で450件に上ることが14日、同区への取材で分かった。
(中略)
新標準服は最大で8万円を超える場合があり、対象は今春入学予定の新1年生。批判が相次いだ後、和田利次校長は9日に記者会見して見直しを否定した。採用理由について「銀座の町の学校として発展していくために、ブランドの力をお借りするのも一つの方法と思った」と述べた。
マンガみたいな話題で,ちょっと俄には信じられませんでしたが,世の中には変な考えを持つに至る人がいるものです.

これについて的確な指摘をしている評論家の方がいますので,それを引用させていただきます.
私のブログでは過去記事でも教育問題を取り扱うことが多いのですが,本件については我が意を得たりの心境となりました.

著者は佐藤健志氏で,そのブログ記事からの引用となります.
生徒の服をアルマーニにしたら、学校がブランドになるんだってさ\(^O^)/
和田校長の主張はこうなるでしょう。
全文はこちら1)自分は泰明小学校が、銀座にふさわしい「ブランド」であらねばならぬと信じている。
2)ゆえに生徒は、自分の思い描く泰明ブランドのイメージに合わせるべきだ。
3)ところが実際にはそうならないのが耐えられない。
4)しかるに銀座には有名ブランド店も多い。
5)よって有名ブランドの標準服を導入すれば、生徒が自分の思い描く泰明ブランドに順応するだろう。
整理してもなお、ワケワカな言い分ですが
ここで注目したいのは
和田校長の考える「ブランド」なるものの中身。
学び舎の気高さ
だの
伝統ある、気品ある空間・集団(←おいおい、小学生の集団の伝統や気品って何だ?)
だの
銀座の街には、世界に名だたるブランドショップが立ち並んでおります
だのといった表現からして
この校長、ブランドを徹底的に物質的なもの、
さらに言えば商品化できるものだと思っているようです。
・・・スゴイなあ、うん。
学校が「ブランド」たりうるための条件、
それは当該の学校で学んだ生徒が
他校の出身者にはない才覚や能力を身につけること以外にありえません。
(中略)
というか、和田校長は
「身につける」という言葉すら
まったく即物的にしか解釈できないものと思われます。
でなければ、アルマーニの標準服なんて話になるわけがない。
しかも標準服とは
当該の学校に通っている間のみ着るもの。
つまり泰明小学校を卒業したら
文字通り、身につかないのです。
逆に言えば和田校長、
本当のところ、子供たちが卒業したあとのことなどはどうでもいいと思っているに違いない。
泰明小学校にいる間だけ、
自分の校長としてのプライド(もっとハッキリ言えば虚栄心)を満足させる存在であってくれればいい、
そう思っているのでなければ
ブランド物の標準服を導入することが学校のブランド化につながるなどという発想は
そもそも成立しえません。
全くもってその通りです.

そして,今回話題となったこの小学校・校長が手を出した「ブランド戦略」は,実は多くの教育機関がやらかそうとしている話でもあるのです.
大学もその例に漏れません.
いや,今後もっと顕在化してくるでしょう.

佐藤健志氏が指摘している,
「学校が「ブランド」たりうるための条件、それは当該の学校で学んだ生徒が他校の出身者にはない才覚や能力を身につけること以外にありえません。」
については,私も以前そんな記事を書いたことがあります.

過去記事を検索してみたら,これでした.
我ながら良いこと書いてると思いましたので,引用しておきます.
以前私が勤めていた大学でこんなことがありました.上司から「本学のオリジナリティを高めるために,何かいいアイデアはないか」と言われたんです.この上司が期待していたのはウケ狙いのものだったんですけどね.しかも横着にも「できれば我々が活きる体育系のもので」とのことでした.
それに対し私は「では,生花とか茶道とか,あと日本舞踊とかを本気でやらせてはどうでしょうか.卒業必修単位にして,きちんと習得できなかったら卒業できないようにするんです.グローバル教育にも一役買うと思います」と言ったんです.なお,これはウケ狙いではありません.
ものすごく嫌な顔をされました.
本当なら卒業論文をガチでやって,学術的思考力を鍛えたほうがいいに決まっています.でも,私はこの時「体育教師」という立場からしても,学生に “身に付ける” ことを重視するという意味において,上記のことを提案したつもりです.
この上司としては,もっと学生が履修希望したがるようなプログラムを私に考えさせたかったんです.なんのことはない.「履修希望者が増える」という状況ができれば,体育科が学内で一目置かれるようになるっていう目論見です.下衆ですね.
でも,そんな学生ウケする授業科目をつくったところでバカバカしい.
「◯大学の卒業生は,皆必ずお茶が点てられる」とか,「◯大学の学生は,全員が必修の書道で鍛えられているから字が綺麗」というのは,大学としてのオリジナリティだと思いませんか? 思いますよね?
はい,チャラいことは百も承知の上です.それでも,オリジナリティを本気で出したいというのであれば,こういうのが教育的にも大事だと思うんです.
昨今の大学は「スーパーグローバル」とかいう不気味な教育を展開しています.最近は高校もスーパーグローバルにしようとしています.
とにかく英語を堪能にさせようという力学が働いていて,実はちっともグローバルじゃない.周回遅れの残念な教育です.

一方,私が同僚の外国人教員の方々から聞くのは,
「本当にスーパーなグローバルにしたいのであれば,日本の大学は武道や茶道,神道やアニミズムといった教育に注力したらいいのではないか」
という,至極もっともなご意見です.
「そうじゃないと,外国人の学生がわざわざ日本の大学に来ようとは思わないから」
ということだそうですが,言い換えれば,そういう日本のオリジナリティを教育しないとグローバルな土俵では戦えないということでもあります.
だって,「英語による大学教育」なんて,アメリカやイギリスの大学を相手に勝てるわきゃねぇでしょ.

教育機関としてのブランドとは,学生・生徒に何を身に着けさせたのか? に尽きるのです.そして,その学校・大学を卒業した者に「さすが,やっぱり◯◯校を出た子は違うなぁ!」と思わせることにあると思います.

「英語での大学教育」について英語圏の国の大学と競うのも悪くはないのですけど,学術教育について,それこそもっとグローバルな視野で捉えてもらいたいものですね.


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