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2019年版:本当に危ない大学とはこういうところだ part 2



2019年版:本当に危ない大学とはこういうところだ part 1
の続きです.

2018年問題を生き抜こうと必死の「危ない大学」は,ある一定の法則性を持つことになります.
2018年問題(wikipedia)
予想はしていたけど,やっぱりいよいよ今年から本当にヤバいという大学は,皆似たような特徴が現れます.
学生,教員,事務員,幹部,いろいろな立場がおありでしょうが,それぞれの立場でさまざまな目で御覧ください.

私はと言うと,この「危ない大学教育界」を諦め,大学教員をやめることにしたので,吹っ切れていろいろ語れる立場です.
まだ諦めきれなかった時代の記事も合わせて読んでもらえたらと思います.本文末にリスト化してますので,そっちもどうぞ.

まず,前回ご紹介したのは以下のようなものでした.
(1)事実上,図書館がない
(2)なんでもない理由で教員や職員のクビが飛ぶ
(3)若手教員が「◯◯委員長」とか,果ては学科長とか教務部長をやっている
(4)特定の政治家の名前を目にすることが多い
(5)ホームページがやたら地味
(6)「私,この授業の専門じゃないんだけど」と堂々と言い訳する教員がいる

詳しくは前回記事をどうぞ.
では,以下よりパート2です.

 
 


(7)大学教員がバスを洗っている
もはや,「教員がバスを運転している」とか「大型免許を取得しないと来年クビになる」なんてレベルを超越した大学です.
それって施設課の仕事じゃね?っていう反論の余地はありません.

この前,学会でお会いした先生が,
「僕,大学のバスを洗う担当なんですよ.勘弁してほしいですよ」
って言ってきたので,吹き出して笑ってしまいました.

以前は用務員のオッサンがやっていたそうなのですが,その人が,今は別の仕事もやらなきゃいけなくなって,バスの洗車くらい誰か他の人がやってくれ,ってことになったそうです.
だったら施設課とか管理課とかがやりそうなものですが,過去記事でも述べたように,危ない大学ではこういった部署から切っていく傾向があります.
結果,若手教員でバスの運転もしているコイツがやればいい.ということになったんですね.

洗浄剤をホースの水で洗い流している時には,なんだかホッコリした気分になれるのですが,すすぎ終わった瞬間に強烈な焦燥感がぶり返してくる大学です.


(8)学内ポスターとか案内表示が手書きで汚い
危ない大学には,「なんでこの案内表示が手書きなんだ?」というものがたくさんあります.
しかもそれが,微妙な感じで汚らしいのです.

え? その理由?
知りませんよ.よく分からないけど,危ない大学には汚らしいポスターとか案内表示が散見されます.
全国指名手配されている容疑者の顔写真って,明らかに悪党の顔じゃないですか.
でも,どうして悪党の顔ってあんな感じなのか理由を説明できませんよね.それと一緒です.

決して「古臭い」というのではありません.
新しくとも,手書きで汚らしいのです.

たぶん,その理由の一つは以下のようなもの.
大学として計画性が無いもんだから,会議室とか実習支援室,相談室といった「それなりに重要な場所」について突発的に「案内表示」が必要な事態になり,とりあえず手書きで作ったんでしょうね.
作った人も,きっとその大学を卒業したての助手みたいな人です.
で,たどたどしくも丁寧に作っているから,クリアファイルとかに入れて防塵・防水加工になってたりして,不必要に耐久性があったりする.
とは言え,パワポとかでプリントアウトしてラミネート処理するほどのスキルがないので,微妙な出来栄え.
そんなのが春に貼ったまま,冬まで残ってる.
夏を越したその案内表示は汚らしくなりますが,その表示を見る人も少なくなって,むしろ気にならないから貼りっぱなし.
汚いなら捨てればいいのですが,「危ない大学」においては学外からの訪問者も少なく,今年もそのまま使っちゃえばいいやと放置して現在に至る.っていう,ヨレヨレのパンツみたいな状態が続きます.
そのうち誰かが「これ,もう捨てちゃいませんか.どっかに依頼してきちんとした表示板を作ってもらいましょうよ」って言い出すものの,事務室には理事長の息がかかった偏屈なお局ババアいて,「もったいない」とか「どうせ来年には不要になる」などと言ってポシャる.
・・・という感じじゃないですか.


(9)フィットネスルームに人がいない,っていうか誰もいない
まず,その大学に不釣り合いにもフィットネスルームという場所があります.
名前はなんでもいいです.トレーニング室とかエクササイズルームとか.
で,たいてい,そこに誰もいません.そんな大学は,危ない大学です.

かつて,時勢に乗って「スポーツ」とか「健康」に関連した事業をなにかやろうと,予算が無いなりにフィットネスルームを作ってみたんでしょうね.
ところが,フィットネスルームって簡単に考えてしまいそうですけど,実は運営・管理がメチャクチャ大変な場所です.スポーツクラブとかでバイトしてる学生なら分かるはず.
ところが,そんなバイト学生でも知っているようなフィットネスルーム事情を,大学教員とか経営陣は知りません.
たいてい,「俺はスポーツが専門だから」とドヤ顔したかった奴か,「スポーツクラブに通っていて,あのスポーティな雰囲気が大学にも欲しい」などとバブル脳で考えた奴が戦犯です.そもそも,そういう低能な奴に発言力があったり,権力がある時点で危ない大学とも言えます.

フィットネスルームって,利用方法を学生に任せると,備品の盗難が多発したり用具の取り扱いが雑になってくるし,汗とか汚れとかの洗浄・清掃もひっきりなしにやらないと,すぐに不潔で近寄りがたい場所になります.
なので,本来なら管理スタッフを常駐させなきゃ救急対応や安全面も確保できないのですが,そんな人材を置ける余裕がないわけです.

専門スタッフを雇用せずに学生スタッフで賄っている大学もありますが,危ない大学にはそんな責任感をもった学生もいない.いえ,学生に責任ある作業をさせられるほどの度量や教育力,余裕がないというのが実際です.

その結果,盗難されてもいいような備品しか利用できず,効果的だけど危険性があるトレーニング器具は置かず,使えるのはクラブ活動などで指導者がいる場合だけ,っていう使い勝手の悪い場所が誕生します.
斯くして,普段は誰も近寄らないフィットネスルームが出来上がってしまうわけですよ.

これは,そういうランニングコストやメンテナンス,マネジメントといった部分に配慮できず,とりあえずブームや雰囲気に流される大学経営者がいることの現れです.
だから,そんな大学は危ない大学になっているのです.


(10)朝礼を元気にやる
まず,危ない大学の多くは学校の職員室のように「朝礼」があります.
ということは,「個人研究室が無い」とか「出勤がタイムカード制」だとか「学長・理事長の権限がやたら強い」といったことも言えますが,そういうのは当たり前のこととして過去記事で紹介しましたね.

問題は,朝礼を「元気にやる」ということ.
一般企業とか学校であれば,ある種のファシズムというか全体主義的傾向があっても良いと思います.
「それが日本のダメなところだ」という議論は,この際脇において聞いてください.

危ない大学が朝礼をしたがるのは,経営陣が教職員をコントロールしたいからです.
タイムカード制にしたり,情報共有する時間をつくったり,いっそ皆で一緒に同じ部屋で仕事しよう,といったことの延長に朝礼があるのです.
それらは「大学教員」とか「学術的教育」とは無縁のものですが,「経営」するためには効果的なように思ってしまう.

もともと,大学経営というのは赤字になるものです.元を取るような商売じゃない.
もとい,そもそも商売じゃない.
大学での学び・研究とは,膨大なムダの中から突如として生まれ落ちる「知」を掬い取る行為に他なりません.
しかし,自立経営を強いられた中での経営難大学では,それをなんとか打開しようと必死になり,ムダなことをしようとする人を排除しようとします.
ストレートに言えば,危ない大学では「大学教員らしい大学教員」はいてもらっちゃ困る.

その結果,ちょっとでも反抗的な人には敏感になっていきます.
この同調圧力を求めた先にあるのが「元気な朝礼」です.
カラオケの時に歌うのを拒む奴は,俺と一緒に仕事するのが嫌なんじゃないか,という心理に似たなにかですね.

実際,危ない大学では朝礼をした方が良かったりします.
そこはもう既に「大学」ではないのだから,大学らしいことを目指したら,むしろしんどい.気力も体力ももたない.
問題を起こした学生の動静だとか,資格受験対策の進み具合だとか,不毛な学内イベントのだんどりをテキパキこなすためには,朝礼って結構便利だなと.
そんな諦観した空気が漂う教員たちには,この状況に異を唱えることができません.


(11)高校訪問の事前研修・練習がある
以前の記事では,「高校訪問がある」だけでした.
しかし,あれから時が経ち,本当に危ない大学は本気の高校訪問をするようになりました.
私も4年前にその「本気の高校訪問」を記事にしたことがあります.

高校訪問というのは,大学がお客様である「高校」に営業活動に行くことです.
事務員だけが取り組んでいる大学もありますが,危ない大学では「人手がほしい」とか「教員にも危機感をもってもらう」という理由で,大学総出でやっています.

かつての大学は,経営が苦しくなった際に「うちと同水準の大学が取り組んでいるから」という安直な理由で,ママゴトのような高校訪問をやっていました.
ところが,そんな甘っちょろい高校訪問では埒が明かないことに気がつくと,上述した私の過去記事のような「本気の高校訪問」に手を出すようになったのです.

もちろん,本気の高校訪問のためには練度が高くなければいけません.
相手の出方に応じて,話す内容を変えたり押し通す技術が必要になってきます.
サッカーの試合も,本気で勝とうとしたら練習や作戦をたてますよね.それと一緒です.

以前は,とりあえず掻き集めたメンバーで適当な打ち合わせをしてからやっていました.
しかし,「勝つ」ことを目的にすれば,自ずとやるべきことが見えてきます.
本気の高校訪問とはどういうものか? については,上記の過去記事を御覧ください.
自分で言うのもなんですけど,経験者の方々の意見を反映させて作っているので,かなり参考になります.

 


(12)理事長とか学長が「ピーター・ドラッカー」「スティーブ・ジョブズ」「松下幸之助」「堀江貴文」のミーハーで,ときどき教職員に向けて大学経営論を説いている
のぼせあがって学生に向けても説いてたら末期症状です.
かねてより研究していたとか,90年代からずっと説いていた,というのなら骨のある人でしょうが,ここ10年ほどで急にドヤ顔して語っているようでしたら始末に負えない.
ほぼ間違いなく無能な大学経営者です.

こういう人は「何を語っているか?」ではなく,「誰が語っているのか?」を大事にします.
言い換えれば,「何を伝えたいのか?」ではなく,「それを伝えている私を見てほしい」という自己顕示欲がモチベーションになっています.

なので,関心の低い教職員にも分かりやすくさせるため,一般にも知名度の高い人を引き合いに出して語りたがるんです.これからは「渋沢栄一」とか「安藤百福」を出してくるかも.
したがって,同類の有名人であるはずの「デール・カーネギー」とか「フィリップ・コトラー」「稲盛和夫」「ひろゆき」といった人たちを採用するのを避けます.関心の低い層からの反応がイマイチだからでしょう.

詳細は過去記事の,
で説明していますので,そちらもどうぞ.

どうせなら,福沢諭吉とかアリストテレス,そもそも自分とこの建学の祖を使ってほしいのですが,経営難に際しては都合が悪いのでしょう.


 
 


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