2015年1月2日金曜日

井戸端スポーツ会議 part 13「私が嫌いなら見なければいい」

明けましておめでとうございます.
新年一発目,皆様の関心が高いスポーツニュースはなんでしょね?と思いながらYahoo!ニュースを覗いてみましたら,箱根駅伝とかラグビーよりもアクセス数を稼いでいる記事がありました.それがこれ↓

安藤美姫 3ショット公開への批判に反論「嫌いなら見なければいい」

フィギュアスケートの元日本代表・安藤美姫選手の身辺についてのニュースでした.
何かと世間を騒がせる安藤選手ですが,この度は自分の娘と交際中の男性の3ショットをネットに自身のSNSへ掲載.それがいろいろと反響を呼んでいるとのことです.

今回の写真掲載についてネットでは賛否両論だということだそうですが,なにをどう賛えたり否んだりして論じる必要があるのか私にはサッパリわかりません.
これについては彼女の気持ちも分からんでもないですがね.

ですが,澄ました顔をする者を叩いて,自分のレベルまで引っ張りたいのが世間の大多数を占める大衆というものです.
安藤選手もそれが分かっていないわけではないでしょうに,それを承知のうえで掲載するというのもまた,その判断には疑問符がついてしまいます.

その安藤選手は世間の反応に対して,こんなコメントをつけています.
「こんな風にコメントするという事は、どこかで気になっているから。そしてあなたが何か幸せではないからだと思います。“HateとLove”って実は同じ」

そりゃそうなんですけど,それを当事者である本人が言ってはいけないでしょう.図星である相手の気分を逆撫でするだけです.
どうでもいい存在だったら,たかが一女性のプライベートな話題にこんなにも騒がれることはありませんから.やっぱり皆さん,彼女のことが気になって気になってしょうがないのですよ.それが「好き」「Love」だというのは実際のところ本当なんだと思いますね.

でも,これをズバリ指摘された方は楽しくありません.
まあ,それで「だったら見てやんねぇーよ!」ってことになったら,お互いに楽になるのでしょうけどね.そうはならないですよね,やっぱり.

だからといって私は安藤選手の言動に強いシンパシーがあるわけではありません.
むしろ,どちらかと言うと「そんなことすんのは勘弁してくれ」と言いたいくらいです.

以前,
でも書きましたが,スポーツ選手は「英雄」であるべきなのです.
国を代表する選手ともなれば,その国の英雄であると言えます.そういう選手は英雄らしい振る舞いをしなければなりません.

なぜなら,そもそもスポーツとは人間が「英雄」を輩出するためのシステムであるとも言えるからです(詳しくは上記記事をどうぞ).
人々が手放しにスポーツに魅せられる理由,また,スポーツ選手にことさら「徳」を求めるところには,こうした点もあるのでしょう.

そうした観点からすると,今回のような安藤選手の言動はそのようには見えないわけですけど・・.
これは安藤選手の気持ちがどーのこーの,世間の見方がどーのこーの,そして,どちらの言い分に筋が通っているのだろうか?などという話ではないのです.

才能に恵まれた安藤選手は,英雄の一人であると言ってよいと思われます.
人は才能ある人間を愛します.英雄は愛されるべき存在です.
それ故に,こうした才能ある人間がどのような態度をとるのか,それは社会や所属集団にとって非常に重要なことになります.それはその国の人々(特に次世代を担う子供)が目指すべき象徴だからです.
ですから国を代表するスポーツ選手である安藤選手のような人物は,それ相応の振る舞いをするべきなのです.

と同時に,このような一流スポーツ選手を社会がどのように見るのか? という点も同時に重要になってくることを意味します.

そこで彼女のあのコメントに戻りましょう.
「こんな風にコメントするという事は、どこかで気になっているから。そしてあなたが何か幸せではないからだと思います。“HateとLove”って実は同じ」

どうでもいい存在であれば,つまり嫌いなスポーツ選手であれば,バッシングもせず葬るはずです.
ところがそうではない.
彼女自身が言うように,こうしてコメントを寄せている人は安藤選手のことが気になって気になって仕方ない人です.つまり安藤選手のことを愛しているとも言えなくない.屈折した愛ですね.ストーカーみたいなものです.
少なくない数の人が彼女の私生活をあれこれ知りたがっていて,その一挙手一投足に注目してしまう.この国の人々にとっては,安藤選手のような人物が愛すべきスポーツ選手(英雄)の一人になっているのです.

そんなことを言うと,
「ネットに掲載したから見ただけ」「ニュースにするから見てるだけ」
などと返す人もいましょうが,本当に気にしていなればクリックすらしていないはずです.
実際,私は件に関する元ニュースをスルーしていましたし,今回の記事用に意識して読まなきゃ無視しているものでした.
無視できない話題だから,気になって仕方がないニュースだから,そして,我らが愛する英雄に関する記事だから読まれているのです.

私はこの点にこそ本当の問題点があるように見えます.
申し訳ないのですが,安藤選手の置かれている状況やその言動は誉められたものではありませんし,誇るべき行動でもありません.
そういう安藤選手の状況や言動の数々をほじくり返して,注意深く気にしているのがこの国の人々の「スポーツ」に対する目だとも言えましょう.

繰り返しますが,才能あるスポーツ選手はこの国の英雄とも言える存在です.だからこそスポーツには魅力があるのですし,そこに莫大なお金とエネルギーが動きます.
そこから誕生したトップ選手をどのように扱うのか?という事は,その国の人々がどのような英雄を望んでいるのか?という点を炙り出す事にもなるのではないか,そう思うのです.

なので私としては,心の底から「放っとけばいいのに」と思います.
それが彼女を英雄のまま幕引きさせる “周りの配慮” です.ところが少なくない人々は彼女を我々一般の目線まで降ろしてきて,そこで対等に「在るべき姿」を論じようとします.
これは英雄を相手にした振る舞いとは言えないでしょう.
(これは「負けたのに楽しかったはダメ」ということを論じた人と同じです)

では結局何が言いたいのかというと・・,
現在のこの国の少なくない人々は,心の奥底で彼女のような態度をとるスポーツ選手を愛しているのであり,彼女のような振る舞いをする者を「英雄」と見做しているのではないか?ということです.

そして私は,そういう状況をあまり快く思っていないということです.

つまり,スポーツ選手をどのように報道するのか? どのようなスポーツ選手に関心を持つのか? という事は,その国の “次代の” 民度や道徳性を映すことに繋がるとも言えるのではないでしょうか.

井戸端スポーツ会議
■ 井戸端スポーツ会議 part 1「プロ野球16球団構想から」
■ 井戸端スポーツ会議 part 2「スポーツ庁の必要性」
■ 井戸端スポーツ会議 part 3「サッカー日本代表」
■ 井戸端スポーツ会議 part 4「自転車は車道を走らないほうが安全だろう」
井戸端スポーツ会議 part 5「グローバリズムはスポーツ」
井戸端スポーツ会議 part 6「スポーツとニーチェとドラゴンボール」
井戸端スポーツ会議 part 7「ジュニア世代の育成」
井戸端スポーツ会議 part 8「スポーツ観戦のような政治観戦」
井戸端スポーツ会議 part 9「スポーツ分析のような選挙分析」
井戸端スポーツ会議 part10「スポーツをすると勉強ができるようになる」
井戸端スポーツ会議 part11「人間は身体を通して理解する」
井戸端スポーツ会議 part12「なぜ障害者スポーツへの関心が低いのか」